内容説明
現代社会を覆う〈記憶喪失〉に抗して
いかにして人は過去との結びつきを恢復し、生きるのに必要な記憶を取り戻すことができるのか? 孤高の巨人による幻の名著、本邦初訳。
「私たちの社会が未来を前にして無力になったのだとしたら、それは私たちの社会が記憶を失ったことに原因があるのではないか。」
(本書より)
「私たちの社会が未来を前にして無力になったのだとしたら、それは私たちの社会が記憶を失ったことに原因があるのではないか」
近年、〈記憶〉は生々しい政治的争点のひとつとして我々の眼前に立ち現れている。記憶とナショナリズムの問題はその典型だろう。ただ本書によれば、この社会は「記憶の零度」をその本質とする。
「過去は未来を照らさず、精神は闇のなかを歩んでいる」――。現代の未曾有の変化を前に、トクヴィルが語ったこの言葉が本書の出発点となる。それは、記憶の政治的位相ではなく、その根源的かつ人類学的役割を明らかにしてゆく。かつてハンナ・アーレントが「人間存在の深みの次元」の剝奪として析出したものと、それはちょうど重なってくる。
さまざまな抗争とせめぎあいのなかで騒々しい表層の下には一体何があるのか? いかにして人は過去との結びつきを恢復し、生きるのに必要な記憶を取り戻すことができるのか?
不可逆的変化と政治的喧噪のなかで足場を失った現代人の〈記憶喪失〉に向き合う、孤高の巨人の静かな思索。日本語版への序文と長編解説を収録。
[原題]L’avenir de la mémoire
[著者略歴]
フェルナン・デュモン Fernand Dumont(1927-1997)
カナダ・ケベック州に生まれる。ケベック・ラヴァル大学、パリ・ソルボンヌ大学で学んだのち、1955年にラヴァル大学の社会学教授に就任。パリ社会科学高等研究院客員研究主任やケベック文化研究所所長を歴任した。1964年に『キリスト教思想の転回のために』(Pour la conversion de la pensée chrétienne)でモントリオール市文学賞、1969年には『人間の場』(Le Lieu de l’homme)でカナダ総督賞、1995年にはエッセイ『共通理性』(Raisons communes)でモントリオール市大賞をそれぞれ受賞。1975年には、彼の著作全体にダヴィッド賞(ケベックで最も権威ある文学賞)が贈られている。
[訳者略歴]
伊達聖伸(だて・きよのぶ)
1975年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。2002年から07年までフランスに留学。リール第三大学博士課程修了。Ph.D.(パリ高等研究院との共同指導)。現在、上智大学外国語学部准教授。『ライシテ、道徳、宗教学』(勁草書房)でサントリー学芸賞、渋沢・クローデル賞。『社会統合と宗教的なもの』(編著、白水社)『共和国か宗教か、それとも』(同)他。
*略歴は刊行時のものです