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クラブ白水社 バックナンバー
西荻窪 悲しみ荘日記

第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回 第7回 第8回 第9回 第10回 第11回 

第1回

どこでこうなったんだろうな……。
ふと、そう呟いてみる。
ここは西荻窪。松庵三丁目。いま、鯨の肉の缶詰めを食いながら酒を飲んでいる。
悲しみアパート「IK荘」の一室。
寒い。コートが脱げない。家賃42000円。
そしてBGMは、ビル・エヴァンスのUNDERCURRENT。
そういえばこのCD、「井の頭CD日記」でも登場したよな……。
そう、なにをかくそう、奈落亭凡百ことわたくしS山T彦は、リッチだったけど辛くやるせなかった久我山ライフを敢えて葬り、いまここ西荻窪にてあやかしの独居生活を開始したのです。
そして今回より始まる、新連載「西荻悲しみ荘日記」。
さ、いってみようじゃないか。銭湯「第2玉の湯」帰りのほてった我がボディーを慈しみながら。
ああ、それにしても、この鯨の缶詰め、まずいねえ〜。

西荻。個人的に思い入れの深い街である。
この街にわしが出没し始めたのは、1991年、わしが28歳だったころ。
当時、わしは「我々」というバンドのドラマーだった。
初めてのギグは、ライヴハウス「WATTS」にてであった。
いまでこそ、この界隈にはいろいろライヴハウスがあるが、そのころとしては、このWATTSと、伝説の「アケタの店」ぐらいだったのではなかろうか。(たぶん間違ってるけど、ごみんに。)
ああ、そういえば、浅川マキ。『灯ともし頃』という大傑作があるわけだが、これは西荻アケタの店におけるライヴ録音一発取り1975年ものである。この作品でオルガンを弾いてるのが、YMO結成4〜5年前くらい、ヒッピーっぽく御髭たくわえ気味だった長髪の若き坂本龍一教授である。
隔世の感あり。まあ、四半世紀前ですもの、しかたないわよね。

さて、28歳で西荻デビューし、最も親しんできたのは、やはり飲み屋である。
北口の「戎」、南の「風人亭」、「満月堂」などにはお世話になってきた。
バンドの打上げは、かならず安居酒屋「鬼無里」で行われていたといっていい。
実にいい雰囲気の飲み屋さんたちなのである。とくに、「戎」では、巨大なイワシコロッケ(イモにイワシを一匹まるごと突っ込んで揚げてある。コロッケからイワシのシッポがのぞいている)に唇を焦がしながら飲む、焼酎の水道水割り(蛇口に焼酎の入った、コップをかざして注ぐ。それだけ)が最高であり最低である(ああ、直ちに飲みたくなってくるわ)。
とはいえ、まだまだ未体験の飲み屋があらゆる路地、路地裏、横丁に隠されているようなのである。
今後、このレポートで逐次報告していきたい。

今日の昼飯は、南口「登亭」にてしたためられた。この店のめしはひたすら肉と脂および濃厚なソースの数々によって成り立っている。カウンターのみの店内。調理する主人を取り巻くようにして、客はめしができるのを待ち、そしてくらう。とんかつ定食なら600円。わしはハンバーグ盛り合わせ。エビフライにはタルタルソースがかかり、チャーシューには味噌がかかり、ハンバーグにはデミグラスソース。この三店の盛り合わせにサラダの付け合わせ&味噌汁&めしで650円。もちろん「安い」といわざるを得ない。西荻価格の基本は、ここに始まる。ああ、生きていける、これならば。となりに座る娘2人、食べきれないらしく、大半を残して店を出ていくのだった。もちろんわしは全てを食いつくす。

さあ、いざ満を持して汲み尽くしましょう。イエモン『楽園』を聴きながら、麗しの西荻悲しみライフの全貌を。「愛と勇気と絶望を この両手一杯に。」



第2回

 3月 某日。どうしてこうも、何もかも記憶に残らないんだろう。
 先日、渋谷百軒店あたりのロック飲み屋に入り、どうした拍子かトーキング・ヘッズをリクエストして踊りだしたまではよかった。顔にバンソーコーをした見知らぬ若者に声をかけられ、そいつのテーブルからアーリータイムスのボトルを失敬して踊りながらラッパ飲みしたまではよかった。そのつぎの瞬間、わしは友人の部屋の床の上で倒れていた。いいや。次の瞬間などではありえない。アーリータイムズから床の上まで、おそらく少なくとも5時間の懸隔があるはずだった。
 何も覚えていない。
 これほど覚えていないのは初めてだ。
 いくらなんでも、切れ切れの記憶の断片ぐらいは、どんなに酔い狂っていても残っているものだ。たとえば先だっての引っ越しパーティーの当夜、酩酊後の記憶として残っているのは、からっぽの押入にかくれて妖しい戯れにふける、わしの若い友人男女(お互い初対面)がガサゴソする音の艶めきであり、阿佐ヶ谷のDJイヴェントでハーパーを立て続けに10杯飲んだときも、重厚なビートにまみれてわめき舞う自分の姿の滑稽さははっきりと思い出せる。
 しかし、アーリータイムズから床の上まで、その夜のことはまったく、完全に…… だって、5時間以上よ! 少しはそのあいだに酒がさめてふっと我に返ってもよさそうなものじゃないさ。
 この日わしを泊めてくれた友人にはおととい再会したのだが、のたまわく:「もう、すーちゃんとサシで飲むのはやめとくよ。アタシひとりで世話するのはごめんだからね」そして四千数百円をわしは深く詫びつつ彼女に支払った。5時間のあいだにわしが飲んだ酒代の請求である。記憶は失われ、金も失われた。

 3月 某日。夕刻、西荻窪界隈をぶらつく。モロヘイヤのジュースを飲ませるスタンドを発見。躊躇なく300円を支払い、ストレートで一気に。ああ。これできょうも健康だ。さっ、今夜はどんな不健康なことをしようかのう。
 さらにぶらつき、バロックの流れるやけに清潔なヒノキ格子戸の古本屋でむかしの「ガロ」増刊号などを読んだりして、さらにぶらつくと、いつしかライヴハウスwatts の前にいた。ふふ、きょうはどんな悲しみバンドが出演するのかいのう、と何の気なしに看板を一瞥する。そこには「ロマンポルシェ」の文字がちいさく書きなぐられてある。「おおっ!」わしの心の臓は激しくバウンドした。ロマンポルシェ! 井の頭時代からおなじみの、極道ノイズドクターF.健ちゃんご推賞の、いまを時めく説教バンド、ロマンポルシェ! これはぜひ見ねばならない。そのまえに少し酒をのんでおく必要もある。吉祥寺「貴船」にて安ホッピーを楽しみ、ただちに西荻にとってかえし、午後9時30分、ロマンポルシェのステージへと向かう。
 う〜む、聞きしにまさる生の説教の迫力。今宵は、「女は容貌でも性格でもなく、乳輪の大きさで選べ」「ダンベルもって一輪車に乗り、時速120キロで甲州街道突っ走る。それが21世紀の一般的な通勤風景であってほしい」「ただしい監禁のしかた」などに関しての説教が繰り広げられた。メンバーは二人。説教担当の掟ポルシェ氏。絶妙のディレイさばきを見せるロマン優光氏。ああまさに、偉大なる託宣の光臨ともいうべく、ここ悲しみの町西荻窪のさみしい夜に響きわたる、説教の雄叫び。インターミッション「闘魂注入タイム」では、メンバー同士繰り返しビンタを入れながらタバスコを口中にそそぎ込むという荒技で、見るものの魂を震撼させるのだった。そうだよ! 体を張るんだ、気を効かせるんだよ! わかったか!
(ロマンポルシェ最新作「暴力大将」絶賛発売中!)

 3月 某日。きょうも部屋にはガスがない。煮炊きができないのでメシを食いに外へ出る。
 そういえば昨日深夜2時、24時間スーパーセイフーで紫蘇(大葉)を買い、ちぎって(刻んで、ではない)納豆に混ぜて食った。目下、わしの悲しみ荘における野菜摂取は、クレソンとパセリと紫蘇に限定されている。クレソンはゴマをかけ、コンソメの素をかけて食う。パセリは、やはりゴマをかけ、やはりコンソメをかけ、ときにはポン酢をかけて食う。紫蘇の場合は、やはり前述のように納豆との相性が極めつけである。これらは、いっさいの火力を絶たれた環境でも調理が可能であり、安価であり、滋養豊富である。そして、こんなものばかり食べているのに、わしは痩せ衰えることを知らない。原因は、荻窪〜西荻窪〜吉祥寺と連なるグッドテイスト・ハイクオリティー・ラーメン・ベルト地帯に帰すことができる。とくに西荻は、うまいラーメンをいつなんどきでも低価格で食すことができる、ベルト地帯のなかでもきわめて好条件の整った地域である。酒気をおび、銭湯の時間を激しく気にしつつも、はっと我にかえるとノレンをくぐり、たちこめる麺蒸気に身を浸してしまっている、わし。先日はセイフー前、「東京とんこつ」という形容矛盾のようなラーメンを楽しんだ。(麺は細すぎない江戸風支那ソバ。そしてスープはちょっとゆるめのとんこつ。)しかしなによりも、悲しみ荘から徒歩30秒のところにある「まるや」。あとちょっとで自分の部屋、という地点で罪深くわしを誘う提灯のほの明かり。店内には高らかにジャズが流れ、オヤジのラーメンの風味はいかなる時でも冴えているから、困っちゃうんである。

 休日の遅いひるめし。きょうは「大松庵」にて玉子丼セット。ソバのコシ、よーし。メシの量、よーし。さ、今夜も不健康なできごとが、たくさんまっていますように。



第3回
1 「うなぎ&サンタナ」の巻(神田〜有楽町〜日暮里〜西荻窪)

 休日の神田駅周辺。なんと閑散とした風景。ガード下、悲しみポルノ映画館の看板を楽しみつつ、めざすはウナギの老舗『きくかわ』である。昼の1時。まずビール。しかし、アサヒスーパードライなんだよねー。まずいねコレ。肝焼きを所望するも、5時からしかやってないと。じゃあ、白焼きいっちゃおう。骨から揚げも。おお、ほたるイカも。あとおしんこ。うふーん。しあわせよ。シメはもちろんウナ丼。でかいんだ、ここのウナギが。ふつうの2倍ある。ああ、きのう夜、酒呑んだあとで上野広小路『デリー』にてヴェリーホットな「カシミール・カレー」をルー大盛りで汗かきまくりながら食ったばかりなのに、昼間っからまたぞろ濃厚なお食事に身をおぼれさせてしまう。いやあ、もう、食うことぐらいしか楽しみないのよね。腹ごなししなくちゃ。で、有楽町まで皇居経由で歩く。実はこれから、国際フォーラムでなんと「サンタナ」を観るのである。連れの友人が、タダ券もってるから行こうという。
 サンタナ! 言わずと知れたおやじラテンロックである。連れの友人とわし、開演後ただちに睡眠に入る。一時間ほど眠り、気がつくと「ブラック・マジック・ウーマン」が始まっていて、一階席は総立ち。そんなもんなのね。わしの前の席に、団塊っぽい紳士が妻と娘同伴で来てる(娘もちろん爆睡)。50代の白髪者は多いが膨腹者はあまりいない。さて、2時間半の長きののち、ライヴは終った。腰がだるい。酒だ。突然、場所は日暮里に移り、ジャズ串焼き『とりや』にて「くろべえ」(=焼酎の黒ビール割り)で集中的に酔う。ささみの納豆あえとミョウガが秀逸。山手線で新宿〜中央線のりかえで西荻に到着。「第2玉の湯」へ赴き、カレーとウナギで脂臭くなっている我が身を洗浄。ああでも、入浴前に「富士そば」へ行ってホーレンソーそばを食べておくべきであった。
 わたくしの休日は、このように食い物との戯れだけで成り立っている。カモン幸福。

2 「西女連」結成の巻(吉祥寺〜西荻窪)

 吉祥寺『曼陀羅』にて知人のライヴを聴く。その後、中央線上における安居酒屋の完成形ともいうべき名店『美舟』で呑む(主にホッピー)。メンバーは、70年代ニューヨーク・パンクのエロス面の正統的継承者で痙攣系ギタリストのU村S也氏他2名。このS也氏はわしと同い年、今年37歳なのだが、先だって同居人とお別れになった。某女性と三ヶ月の同棲生活を送るも、「出ていけ」発言をしてしまい、そしてその女性は本当に出て行ってしまい、S也氏ご自身、その当座は自らの発言を激しく悔いたという、人間的な、あまりに人間的な体験を通過していらっしゃった人物なのである。お住いもやはり西荻。さっ! ここまで道具立てが揃えばわしと意気投合しないわけにはいくまい。深更にいたるまで馬鹿話とたわけ話に大輪の花が咲く。結局、この夜最大の収穫は、S也氏を代表人とし、わしがその補佐役を務める「西荻窪もう女つくらない連盟」(略して西女連[せいじょれん])の結成であった。このカルト団体で教祖の称号をだれに捧げるか、議論の結果、「三十路童貞」の異名をとる(とS也氏が保証する)某Y田さん(やはりギタリスト、西荻窪在住)を推挽。早速Y田さんに携帯でTELし、一方的に教祖就任のご報告をする。有無を言わさず教祖抜きで連盟結成の祝杯(もちろんホッピー)。西女連、最初の活動は貞操帯の開発。メンバーはこれの着用を義務づけられる。いかなる美女/好みの異性に遭遇しても、決して貞操帯をはずすことができないように、メンバーどうし、鍵を交換しあい、隠す。捨てちゃってもいいことに決定する。今後、この団体の行動については、逐一報告する予定である。

3 「井草八幡」参拝の巻(松庵〜西荻北〜青梅街道〜善福寺公園)

 土曜日。目覚めれば1時。ひるめしを食うまえに、まず酒を飲む。かるく読書。2時。洗濯開始。ああ! また定食屋のランチタイムを逸してしまった。しかたないので、ポテチをつまみながら酒を飲む。洗濯機止まる。洗濯物干す。3時。いい天気だ! 酒をもって散歩に行こう。最近は善福寺川に沿って歩くことが多い。べつに目指してるわけじゃないのに、「井草八幡」に着いてしまう。鬱蒼とした樹々がいつまでも続き昼なお暗い。森閑としている。だれもいないので、独り言を言うチャンス。「神さびた場所であることよのう」。アホそうな犬が通ったので「変な犬よのう」。境内にて小憩。神社にはむなしそうに座っている人がしばしばいるものだ。このときもそのような若者が。視線をあわせないようにするため、縁起由来を記した看板を眺め、この神社が12世紀に建立されたものであることを確認。そそくさと再び参道を抜け、青梅街道をへて善福寺公園に至る。池のほとりにて、満開しだれ柳の垂れ具合を楽しむ。5時。腹が減ったので西荻に戻り、悲しみの安喫茶でもそもそパンをたべる。安喫茶の向かいにトルコ料理屋があるのを発見したが、こわくて入ることができない。きっとまた今宵も「戒」に行って、豚の子宮かなんかで宝焼酎を飲むんであろうなあ。日が沈んでいった。



第4回
「ワイルド・ホット・GWの日々」篇

5月2日 昔懐かしいトーキング・ヘッズのライヴ・ムーヴィー『ストップ・メイキング・センス』を鑑賞。同行者は、前々回、わしの5時間記憶喪失バカ飲みの夜につきあわせられ大迷惑を被った編集者N尾さんと、伝説のバンドTAKTで1976年わしが13歳の時にコラボレートしたカメラマンのワダ氏(ちなみに音楽の友社から出てる『ラヴ・ジェネレーション1966-1979』に、このTAKTのCDはとりあげられている。書店にて見るように)。観賞後、渋谷のブラジル音楽飲み屋BAR BOSSAにて「ピンガ」を初体験。うまい! これがサイバラ先生の『鳥頭紀行』でさかんに登場し活躍していた酒か! あまりにも爽やかなので5杯くらい立て続けに飲み、その後はラムに移行する。おだやかに流れる時間とともに終電は失われ、タクシーにて浅草のワダ氏邸に至り深更ブランデーとともにゆるやかに沈没。

5月5日 西女連(西荻窪もう女つくらない連盟)の会長であるU村S也氏の誘いで阿佐ヶ谷ラピュタそばの温室画廊のオープニング・パーティーへ赴く。酒を飲み、長身のギタリストM川くんの伴奏にて「人間狩り〜悲しみ軍団の歌」を会場にて披露。そのあと、西女連の「尊師」Y田氏・M川くんの彼女・尊師のお友達?の美しい女性(仮名:実家西荻さん)の3名も合流し、吉祥寺南口にて演奏開始。駅前にやきいも屋さんがいる。どうやら実家西荻さんのお知り合い。二人で話し込んでいる。わしら、商売の応援にと、「イモ屋」の歌をサンタナ風ラテンヴァージョンで。「突然段ボール」のベーシストKずえさんが通りかかったので演奏を聞いてもらう。Kずえさん、これから仕事だという。GWなのに大変ねえ、というねぎらいの言葉に「そう、そこのマンガ喫茶で今夜中に『日出ずる処の天子』全巻読んどかなきゃなんないのよー」。さすがフリー編集者。休日も気が抜けないのである。
さて、西女連バンドは井の頭公園に場を移し、あらためて演奏。30分ほど経ったところで、向こうの方から見知らぬ女の子が走ってくる:「わー! 楽しそう! わたしも叩いていいですかー!」と、わしのボンゴにかじりつく。「もちろん、いいわよー、おやり」と叩かせる。名を問うと、「かずき、でーす」。年は二十歳になったばかり。そうか、かずきちゃん、君、今宵はわしらのバンドの一員だよ、おおいにやりたまえ。ということで、会長と尊師のギター、M川くんのマンドリン、かずきのボンゴ、そして踊り歌うわし、というフォーメーションが完成。ほどなく酒は五体を駆けめぐり、いつしかわしと会長、かずきちゃんとその友人の4人によるフォークダンス「マイム・マイム」へと引き続いていく。有頂天のわしは別れ際、ボンゴをかずきちゃんに進呈。自転車で三鷹方面へ走り去る彼女を見送り、「良いパーカッショニストになるんだよ」。涙。おいさん、この夜のことは終生忘れないであろう。

5月6日 この日、宿願の「イエローモンキー以外完全禁止カラオケ大会」が開催された。新宿ヴァージンメガストア、6時、イエモンCD売場前にて待ち合わせ。「つぼ八」にて酒を若干注入し、GW最後の夜を狂い過ごそうと蝟集してくる若者の波をかき分け、カラオケ館に突入し、直ちに入力。「サック・オブ・ライフ」、「薔薇娼婦麗奈」、「エデンの夜に」「バラ色の日々」ETC.……。メンバーは字幕翻訳に携わるN澤さんとやはり翻訳関係プロデューサーのK部さん、わし。よーし! いけー! うたえー! マジにびっしり全部イエモン。初期のグラムっちいナンバーから最新ヒット曲まで総なめ。ああ、夢のようだわ。陶酔。そして2時間は一瞬のうちに。延長の嵐を吹かせたいところをグッとこらえ、近日中にまたふたたび、の固き誓いをたて、わしらは歌舞伎町を後にするのだった。

5月17日 すでにGWは遠く、でもわしは有給休暇。マンデリンを女子大通りの「物豆奇(ものずき)」でいただきながら読書(山田稔『コーマルタン界隈』)。悲しみ荘にもどり、ゆらゆら帝国を聴く。買ってきたコロッケにソースをかけ、ビールもいただいてみる。ああ、わしはひとり。畳。曇り空。カラスが鳴いている。

今月の麺:西荻「初音」、荻窪「二葉」。前者は6時閉店。後者は8時。というか、麺が無くなったら即閉店。おおそういえば、荻窪には「ちょっと亭」というすばらしい讃岐うどん店もあるのよ。



第5回

6月。ある日の手紙より。

拝啓 
 
すっかり梅雨のただなかです。いかがお過ごしですか。
あなたさまの忠告に従い、西荻の住人になって四ヶ月になります。
ようやく平常の人格を取り戻しつつあります。
今日は洋食屋「からし亭」で遅い夕食をしたためました。
ここに越してきてからすっかり外食専門です。
とにかくメシが安い。うまい。ありがたい。
ここに来るまでは自炊するのが結構好きだったのですがね。
そういえば私の実父も、かつて西荻に下宿していたそうで、「からし亭」はその当時(昭和20年代)からあるのだそうです。たぶん全然変わってないんじゃないでしょうか。
時が止まっています。
ある友人は、お婆さんが無性に好きで、朽ち果てかかっていたり存亡の危機におちいっている事物とかに愛着を抑えきれない性癖の持ち主ですが、彼もこの辺に住んでもう長く、離れ難さを感じているようです。そう。そういう街です。

それにしても、夏を前にして、なんとか体重を57キロぐらいに落としたいと思ってます。
あなたさまは確か身長170くらいでしたよね。
わたしも同じくらい。いま××キロもあるんですよ。いけませんよね。
あなたさまの痩せた体躯が本当にうらやましい。45キロくらいでしょ?
ガバガバ酒を呑むのがいけないんですよね。
そういえば髪を明るい茶色に染めました。
行きつけの飲み屋の娘も、「それくらいにしといた方がいいよ」っていってくれました。
そう。もういいトシですものね。自分を変えなくちゃ。
なんて、あなたさまにまた怒られそうですけど。「ようするに、ほんとは<俺もまだまだ、どころか、これから>なんて思ってるんでしょ。物欲しげに。」
いいじゃないですか。来年は21世紀なんですから。
でも、あなたさまは、ほめてくれるかしら。この髪の毛。

そういえば、このあいだお会いしたとき、「なんですーちゃんの部屋、キッチンの電気が緑色なの?」ってお尋ねでしたね。
裸電球しか付けられないんですよ、ここ。
で、普通の電球じゃ丸裸だと(安酒を供するいいかんじのモツ焼き屋じみて)雰囲気出すぎちゃうんで、わざわざ緑色にした、っていう。
でも、台所のミドリ電球付けっぱなしにして、銭湯から帰ってくると、外から見てなんか怪しい病棟から光が洩れてるみたいでコワイ。
まあ、「独身病」患者の収容施設ですから。
あ、そうだこの前、「30になるころには結婚していたいなー」なんて、おっしゃってましたよね。 そんなさみしい前未来時制のディスクール、お願いだから言わないでくれませんか。

あなたさまが秘蔵してる、あの分厚な日活ロマンポルノ写真名鑑、こんど貸してください。
「日向まこ」という女優のファンだったんですけど。
あと、『美代子阿佐ヶ谷気分』というマンガ、お持ちじゃないですか?
中野のタコシェでは数万円の値がついているそうです。手が出ません。
また遊びに行きます。お土産は何が良いですか?
こんど、「元気いいぞう」見に行きませんか。
ご都合お聞かせ下さい。「ダンテ」でお待ちしてます。
では。


第6回
7月某日  「蒲原さんのこと」

トイレで○○○していると、壁の向こうからテレビがずっと聞こえている。蒲原さん(仮名、隣の住人)の笑い声もすぐ近くで聞こえる。おもしろい番組のようだ。蒲原さんは帰宅するとすぐテレビをつけて見始める。テレビが好きなのである。わしの部屋にはそういったものがない。わしは帰ってくると何をしてるかな。たぶん昨晩の飲み残しの酒がグラスに入ってるので、それを飲むことが多い。その酒は闇の中でひっそりとわしの帰りを待っていたんだな。さて、蒲原さんだが、先だって彼の部屋からジョン・レノンの『インスタント・カーマ』が響いてきたことがあった(やっぱりわしはトイレにいた)。洗濯中に廊下で鉢合わせしたときに、「ジョン・レノン好きですか」と聞いたら、すこしびっくりした様子ではあったが「えーまあ」と恥ずかしそうに呟くのである。休みの日には、お互い洗濯機を回しあっているので、たいていそういう時は二言三言声をかける。蒲原さん:「雨降りますかねえ」わし:「(だって、あなたもう洗い始めてんじゃん)う〜ん、賭ですねこれは」蒲原さん「雨上がってはいるんですけどねえ」わし:「(じゃあ、もう大丈夫じゃん)ハラハラしますよね」とかなんとか。蒲原さん歳のころはわしよりちょっと上で40ぐらい? 無精ひげ濃いし体格いいし酒は強そう。朝、くわえタバコでサンダル履きママチャリ出勤をなさる。わしはその後ろ姿を部屋の窓から見送りながら、「いってらっしゃい、今日も生きて戻ってこようね、蒲原さん」といったカンジのコトバを心の中でアレしてみたりするのだった。

7月某日  「さらば尊師!」

西女連(西荻窪もう女つくらない連盟)のシンボルとして3カ月間にわたり君臨したY田昇氏(1968〜 )が、遂に西荻を離れ、故郷の埼玉県M郷市に惜しまれつつ帰還することになってしまった。その理由は残された二人のメンバー(会長:U村S也氏、副会長:わし 共に1963〜 )には最後まで詳かにされることはなかった。ああ、さようなら尊師! 最後のサタデーミッドナイトはなぜか国分寺ディープ呑み屋めぐり。「ほんやら洞」〜「ほら貝」のコース。尊師なにを思ったか店内で酒を呑みながらトレードマークのゲジゲジ眉毛を剃り始める! なにゆえに? その理由はやはりわからない。この夜わしら3人の中年に同行してくれたのはカレンな乙女テクノちゃん(1977〜 )現役ナースである。テクノちゃんのチャームのおかげでアデュー尊師の宵が湿っぽいものにならずに済んだ。ありがとうテクノちゃん! (尊師は眉を剃るにあたり彼女にカミソリを借りたのである。)早朝、西荻に戻り、会長宅で4人、朝酒をやりつつゆるやかに沈没。目覚めて午後一時、激しい空腹を満たすべく西荻北「一円ラーメン」にて一同中華の嵐。

7月某日  「プールでうひょひょ」

中央線同僚のY宅に宿泊。目覚めてのち、メシは荻窪の「徳大」にて。わしはYの導きで初めて行ったのだが、「うますぎるラーメン・チャーハン・ニラレバ」の連打に完全に打ちのめされる。打ちのめされたまま帰宅し、直ちに洗濯開始。あまりの陽光の激しさに干せば瞬時に乾くランジェリーたち。この日お江戸は気温37度。暑い! よーし、なにもすることないし、プール行っちゃおう! スポーツは全般にわたりまったくトホホなわしだが、泳ぐことだけは出来るのである。千駄ヶ谷、東京体育館のプール。わしは70年代のパンクロッカーだった中学生の頃からここの50メートルプールがすごく好きで、夏には必ず訪れる。いったん泳ぎ始めたら絶対に立ち止まったり戻ったりしてはいけないキマリ。もっとも、2.2メートルの水深なのでそれも叶わぬのではあるが。深いので泳いでいるとまるで蒼天を飛遊しておるかのような錯覚に囚われる。プールサイドでストレッチしたり寝っころがったりしつついつしか2時間。熱いシャワーを浴びプールを出て駅のキオスクに立ち寄る。もちろんビールである。モルツの500mlをイッキに。腰に片手を当て宙をにらむ。「うあー、うめー。」再び荻窪で途中下車し「オリンピック」にてディスカウントなソックスを4足800円で。さらに喫茶「邪宗門」に至り香り高きカッフェ片手に読書をたのしむ(小泉義之『ドゥルーズの哲学 生命・自然・未来のために』)。シメはサマーダイエット中にもかかわらず、あえて西荻「からし亭」において「ピーマン肉いため」を食す。

7月30日  「うなうな」

土用の丑でございます。この日はH中野在住Y子さまの長唄の会を聴きに浅草へ。会場にいたK我山在住のHORRY夫妻と午後2時、吾妻橋近辺でうなうなする。あーやっぱいいな。うなうなは。西荻に戻り銭湯のあと高円寺にて西女連会長率いるバンド「スペシアル・ビュー」を鑑賞。さてここで告知! 9月10日、7時。東高円寺UFO CLUB にてわしが太鼓叩くバンド、ピーフランのライヴ! スリーピースバンド美学の結晶「割礼」も出演!
出演:割礼、スペシアル・ビュー、ピーフラン



第7回

 8月。夏休みの月である。太陽が燃えている。悲しみ荘の隣はちいさな曹洞宗のお寺である。ネコが境内でへたばっている。いつものクロネコである。図書館まで足を運ぼうと部屋を出ると、そのネコがわしに向かってこうべをもたげた。べつに何か言いたげな様子ではないのでそのまま通り過ぎる。わし、動物はおしなべて嫌いだが、見ている分にはネコのみオッケーなのである。もちろん近づいてきたらわしは慌てふためいて逃げるであろう。
 暑い日盛りに外を歩くのは好き。とくに善福寺川に沿って西荻北の図書館まで至る行程の遊歩道、照りつける日差しを恐れて皆様は家にこもっているので、人影がない。まちがひっそりと死んでいる。灼熱のなかでわしは一人。いい気分だ。
 この日借りた本:『7歳からの微分・積分』と『SELF&OTHERS』by 牛腸茂雄。

 夏休みの月だ。どこかへ行こう。で、信州斑尾で開催されるジャズフェスティバルに連れてってもらう。わしは自動車の運転というものをしたことがないので、人様の車(T井戸在住、S藤氏)の厄介になるのである。途中戸隠の町に立ち寄りソバを食う。やはり長野のソバはうまい。これにshock hearts されていつしか話題は杉浦日向子さんが新潮文庫で出してる「ソ連」(ソバ愛好者連盟、だったっけ?)をめぐって展開し始め、この日同行した数名の男女のあいだで「ソ連」のマネをしようということが決定する(第一回の活動報告は次回に詳説)。会場ではクーラーボックスに仕込んだ大量のビールが炎天下休む間もなくこれらの男女によって嚥下されていく。若干ジャズ音痴のわしはあまりにもキマリすぎているジャズメンの威厳のまえに、しばしひれ伏しておったのだが、下世話なヒップ・ホップ系バンドの登場と共に平生の音楽鑑賞態度を取り戻した。際限なく痴呆のごとくジャンプとシャウトをくり返し、やがて重度の筋肉痛に。しかしわしはめげない。帰路、疾駆する車のサンルーフ全開し上半身を突き出す。夏の山野を吹く清涼な風にわが身さらそうではないか。旅の首謀者のひとりA藤氏も麦酒片手にハコノリ状態。そして、おお、わしの隣では大ちゃん(推定25歳)がほとんど爪先だけを車内に残してルーフにへばりついているではないか。さすがチベット自転車旅行男。いつしか車は妙高高原にさしかかり、山稜に沈まんとする夕日がわしらの視界を領していくのだった。

今月の西女連(西荻窪もう女つくらない連盟) 主な活動報告:

★  歌舞伎勉強会 江戸芸能愛好家である三味線ナースさくらさんによるレクチャー。夜の善福寺公園にて。参加者はローソクと酒を持参。題目は四世鶴谷南北作『東海道四谷怪談』。テクストはさくら先生自筆のプリントと白水社刊「歌舞伎オンステージ」シリーズのシナリオを使用。
★  納涼歌舞伎鑑賞会 歌舞伎座にて。前述の勉強会参加者による『東海道四谷怪談』実地見学。参加者は:
U村会長・さくら先生・徳Eさん・テクノちゃん・O 栗さんフロム清瀬・わし。歌舞伎観賞後、銀座〜高円寺に至るどういうわけだか朝5時までの長時間飲酒リレーに発展。
★  下北沢ロック飲み屋歴訪 会長が常日頃親しんでいる下北のあちこちを出たり入ったりする。三軒目、スズナリに隣接する映画館付属のバーで「ザラメ」さんに面会。フォーク系弾き語りの人とはきいていたが、この映画館で映写技師をしていたのでちょっと驚く。(この人のステージはかなりイケていた。浸れた。今後ハマるかもしれない。)四軒目あたりから記憶朦朧となり、店の名も失念したのでここには記さない。看板にA.ウォーホルのバナナを掲げる踏切際の店であったことは覚えている。参加者:会長・かずみさん・テクノちゃん、白水社からは、わしに加えて極道ノイズドクターF-KENと「ふらんす」現編集長おばんぼんが特別参加。
★  隅田川花火大会 西女連(いつものメンツ&通称「インド帰り先生」)、まずは浅草ひさご通り伝説のカウンター・オババ・バー「甘粕」にてトリスのハイボール。店のマダム=オババに叱られないかビクビクしつつ今宵の幕開け。会場でわしが参加してるバンド「ピーフラン」のリーダー宮Z氏夫妻ご一行に出会う。数十万人といわれている人出の中でバッタリ。しかも帰途、わしが13歳の時やってたバンド「TAKT」の元メンバーでカメラマンのW田氏にも路上遭遇。運命の呪いを聞く気分にしばし慄然としつつも偶然の邂逅に祝杯をあげる。

 今年の夏は人だかりの中にばかりいたねえ、と会長。この夜も太鼓を乱打し踊り練り歩く汗まみれの人の群に揉まるるわしら。高円寺阿波踊り大会。さくら先生が出場するというので、ふたりの中年男は綿々と続く踊りの「連」の列を追いかけながらその姿を探すこと3〜40分、「あと5分で踊りは終了です」のアナウンスが響きわたる。「あれじゃないか?」と指をさす会長。三味線を弾きながら歩む姿がそこに。しかし三味線隊はみんな編み笠をかぶっているので判別できない。「いっせーのーせ、さっくらー!」ふたり声を合わせ吠えれば振り返る顔。まさしくさくら先生。「よかった間にあったわーわー」わしらは手を振り、彼女も振りかえす。青春ドラマのワンシーンさながらに……。夏休みの月もあと僅かだというのにまるで解放区のような様相を呈するこの夜の高円寺。見よ、若者が自動車を取り囲み怒号をあげている。だが彼らを責めることはできない。あちこちの飲み屋からは人々がはみだし溢れ、路上にゴロゴロところがっているのだ……車など通ることは許されない。この光景をまのあたりにして、煮え煮え酔眼のわしはここ杉並区が日本国から独立する日の幻影を夜空に夢見るのだった。

 ……ああ、呑んで帰れば腹が減る。ラーメンかっ食らいたい気持ちは忘れたふりしてサマーダイエット。今宵も深夜のトコロテン。黒ゴマを大量にまぶし、JINRO をやりつつ、ちゅるちゅるとすすれば侘びしさもひとしおというものよのう。ああ、やはりわしは一人。



第8回

こんにちは。西荻歴半年の、奈落亭凡百です。
夏が終わった。12年振りに冷蔵庫のない夏を過ごしたのだった。
そう、悲しみ荘には冷蔵庫がない。前々回書いたように、テレビ受像機もない。先だってパソコンも動かなくなった。電気代安いです。800円!
しかも、ガスが来てないのである。調理器具、なーし。ガス代、0円!
風呂もないので、水道代も安いのだろうが、こちらはなぜかふた月に二千円も徴収されている。解せん!
とにかくないない尽くしでございます。もちろん妻もない。37歳独身・健康! ううむ、言うことなし!

さて、風呂のないわしは当然銭湯に行く。
西荻周辺には、5軒の風呂屋がある。しかもわしの部屋から近くて2分、一番遠くても7〜8分ほどのところに。便利である。次にそれらの風呂屋を列挙する:
1 第二玉ノ湯 (徒歩2分 シャンプー用シャワーあり率60% 上がり湯シャワー2基 )
2 玉ノ湯   (徒歩5分 同シャワーあり率100% パワフルジャグジー、上がり湯シャワー2基)
3 第二清水湯 (徒歩7分 同あり率40% 番台は中 古めかしい 銭湯専門誌「SEN10」常備)
4 天狗湯   (徒歩6分 同あり率50% 番台は中 足拭きマット清潔度低し)
特徴としては、たとえば4の天狗湯。営業終了ころになると脱衣場にステテコオヤジ(鉢巻き姿)があらわれ、「この辺で夜の一時までやってんのはウチだけだあ」とすべての客に自慢してまわる。ようするに早く客を帰すためわざとうるさがられようとしているのだ。わしは一度すべての照明を切られても粘っていたことがある。玄関で草履を履こうと下駄箱に近づくと、オヤジ正に下ろさんとしていたシャッターをあわてて再び引き上げた(まいったかオヤジ)。店中に変な注意書きの張り紙がいっぱいあって、やはりこれがわしら入浴者たちを威嚇する。そして極めつけは、自衛隊閲兵式の模様を伝える全面大の新聞記事がドーンとこれみよがしに飾ってあることである。ソファー(キレイではない)に座ってくつろいでいても、それが気になって仕方ない。まわりが裸のムサい男たちばかりなので、まるで徴兵されて兵舎暮らししてて駐屯地の共同浴場にいるような気分になる。「サイパン島に残されていた砲台」の写真(もちろんオヤジ撮影)なんかも額縁に収まっている。落ち着かないので、この風呂屋にはなるべく近づかないようにしているが、実際営業時間は長いし、12時を過ぎると他の銭湯には行くのがはばかられる。やむなく入りにいってしまう我が身がつらい……ああ戦中派銭湯の生き残り。疲れがとれないのである。

さて、前回お話しできなかった「ソ連の会」第一回についてのレポートを。
会場は中央線豊田駅から車で20数分という超・辺鄙なところにある蕎麦店「吾平」である。
こんなややこしい場所にある蕎麦屋よく知ってるわね、と誰しも思うのだが、これをご存知だったのは天下の蕎麦好き第一人者を自認する中国語堪能レディー「ロジョコ」様だった。この日のメンバーは、この方以外に:バンド「冷血」在籍中のパワフルドラマー「サバオ」君、稀代のインド・フリークにしてブラジル音楽愛好家ミス・「シフォン・ナカヲ」、ロジョコ様のご近所さんで元・俳句雑誌編集者「あなこ」さん、そしてわし、である。
さて、もちろん、「吾平」の蕎麦は絶品であり蕎麦湯はトロリとして香ぐわしく、酒は「澤の井 本醸造」だったかしらでスコブル有り難かったわけだが、「ソ連の会」、それのみで終わるはずもなく八王子市街に車を疾駆させ、ゴージャスなカラオケ会館になだれこみ歌いまくり飲みまくりの段となった。普通ならこの辺でお開きとなりそうなところを更に、八王子ラーメン界に燦然と輝くわりには暗い住宅街の横町に潜む名店「××」(名称忘却のため名はあえて伏す)にて一杯1000円の「南京ラーメン」をすすり上げるに到った。まさに麺を愛する者たちですもの麺に始まり麺に終わるのである。
次回「ソ連の会」は10月初旬、荻窪「本むら庵」にて行われる予定。

今月の感動カラオケ。
坂本冬美の『夜桜お七』。最初は西女連温泉旅行の帰り、三味線ナースさくら先生が歌ったとき。2回目は弊社DTPオペレイターT村さんの歌声にて。久々に胸おどる逸品に出会った気がする。演歌とブルースの見事なフュージョン。今度はわしが人々にお聞かせする番である。



第9回

「すっかり秋だなー」(よしもとよしとも「マイナス・ゼロ」より)

秋になるとわしは真っ先にしたいことがある。
それはさんまである。ていうか、さんまの新鮮な刺身を食うことである。
もちろん戻りガツオもいい。これらは二品とも、生姜をすり下ろして醤油に混ぜ、浸し、食すことができる。
勤め先のなら、猿楽町辺りにある「東寿司」のランチにてこうしたものを味わう喜び。
居住地の西荻窪なら手打ちうどん屋なのになぜか魚&肴がめっぽう豊富な「春日」にて。
そしてジェイアールお茶の水駅すぐ、丸善前の「とちぎや」は、こうしたものを惜しげもなくドンブリの上にちりばめて食わしてくれる。
うまい。ありがたい。
さながら命の恩人に覚えるであろうほどのヴォルテージにて、わしは常日頃よりこうした店店にたいして感謝の念を抱懐しているのである。

さて、メシの話題はいつしても良いものである。
「ソ連の会」結成以来、わしはさまざまな蕎麦屋に出入りするようになった。
この一月の間に「つる屋」「鞍馬」(以上、西荻窪)「みや野」「慈久庵」(以上、阿佐ヶ谷)「池之端薮」(上野)「松翁」(猿楽町)などを巡り歩いた。会社の近くにある「まつや」など、毎週通っておる。
先だっての「ソ連」例会では荻窪「本むら庵」を訪れたし。
でも、結局蕎麦屋って飲み屋なのよね。良い蕎麦屋にはかならずいいツマミが揃ってたり、良い酒が備わってたりするわけでね。早じまいの店が多いから「昼専用飲み屋」っていうかんじで利用してしまう。
だが、次のような蕎麦屋も、この世には存在する。
場所は青森県弘前。店名は「高砂」。露地めいた玄関先といい、建物が料亭チックで石灯篭なんて置いてあるところといい、座敷が広くて中庭が眺められることといい、「このムードなら当然うんめえ酒が……」と期待させるたたずまいである。棟方志功先生もこの店をこよなく愛しておられた、とガイドブックにも記述がある。さっ、それじゃってなもんで「とりあえずビールください」の一言を発してみたところ、しかし「すいませ〜んお酒おいてないんですよ〜」とのご返事が……。いやー、驚いたのなんのって。4人で行ったのだが、皆かなりイケるクチの面々しかも一日の仕事を終えてようやく杯を、という流れだったので、しばし絶句。わしなんか、落胆してないフリをするために中庭をじっと凝視してしまった。「酒のないことを知らずにここに来たのか!」と店の人はわしらを嘲笑しているんではないかとの疑心暗鬼もさることながら、「蕎麦屋に酒がない」という信じ得べからざる状況をどのように納得すればよいのか判らなかったのである。「青森おそるべし」。羽田空港に向かう帰路の機上で、わしはおのれのソウルの動揺を鎮めることに腐心し続けていた。できるだけ早く、東京の勝手知った蕎麦屋に赴き、直ちに酒を注文せねば、と念じつつ。

(わしはなぜ青森に居たのか? それは「フランス文学会」が弘前大学でおこなわれたからである。大学の学食のテーブルに弊社刊行物を並べて、学会に出席している大学の先生相手に商売をするためである。わしも中央線で酒呑んだり喫茶店でごろごろしたり無為な日々を浪費しているだけでなく、このように世間様とまっとうなお付き合いができるというところもお見せしなくてはいかんのだった。それゆえに大学の先生とカラオケに行き、「スモーク・オン・ザ・ウォーター」を一緒に歌ったりもするのである。学会期間中の2・3日、弘前市街はどこに行ってもフランス語の先生に遭遇してしまう町と化した。ちょっと気の効いた飲み屋に入ると、客の大半がフランス語の先生で、みんなが津軽三味線の生演奏に聞き入っていたりするのはいささか妙であった。)

さて、原稿提出もタイムリミットらしい。そろそろ掴筆しなくては。酒のことに思いを馳せねばならん刻限となった(4時33分)ことでもあるし。では読者諸賢のみなさま、次回をお楽しみに。



第10回

休日でも早起きするようになった。11時には目覚める。すっかり日が短くなったので、さっさと洗濯にかかり洗ったものを日光に晒さねばならんのだ。袋に詰まった下着やシャツを畳にぶちまけていると下に住んでるバンド者がベースをぼこぼこ弾き始める。こいつが意外に芸達者な野郎で、マンドリンや怪しい民族楽器なんかもこなすことがある。しかしそいつの演奏につきあっているわけにはいかん。わしはわしで洗濯用BGMをかける(マリーサ・モンチの歌声)。窓を開けるとのどかな秋晴れ。はるか向こうたなびく雲をしばし目で追う。日当たりと空の広さだけは極上のわが庵、悲しみ荘にますます愛着を覚える瞬間である。

こうなったらやるしかない! と思って先頃よりポルトガル語の学校に通っている。サンバやボサノバを授業の合間に聴かせてくれたりしてなかなか楽しい。そう。こういった音楽を自ら歌い、理解したいと思えばこそ、「こうなったらやるしかない!」という段になったわけである。プロフェソーラはヘナータ(RENATA)さん。美しき人妻南ブラジル出身32歳である。わし、ポルトガルの辞書まで出してる出版社の社員という氏素性は隠して参加しておる。だってそれでもし今後授業についていけなかったらチョー恥ずかしいではないか。だから一応職業は「ミュージシャン」ということにしてある。「エウ・ソウ・ムズィクウ(わし、ミュージシャンです)」と言うのである。教室に入っていくと「ボア・タルジ!」ヘナータさんの夕べの挨拶。「トゥド・ベィン?」「ベィン。オブリガードゥ。エ・ヴォッセー?」などなど。ようするに、「ハウアーユーアイムファインサンキュー」の類である。なんか中学一年生になったみたいで、わし、毎週土曜日は第二次性徴期のココロを取り戻しフィンガー5の「個人授業」の境地に浸っておる。おおいつの日か麗しの「ヒオ・ジ・ジャネイルー(リオ・デ・ジャネイロ)」にてビンガを飲みまくり踊りまくりたいものよのう。

さて、西女連(西荻窪もう女つくらない連盟)はついにバンド結成にこぎつけ、先日二回のライヴを敢行した。バンド名:「白薔薇天国」。四人のナースと一人の青年、そして二人のオヤジで構成されたこのバンド、レパートリーはすべて六十〜七〇年代の歌謡曲カヴァーである。今回は「どうにもとまらない」「経験」「恋の季節」「恋のバカンス」「他人の関係」などをプレイした。会場は:「井の頭病院」および「三鷹第三小学校」であった。今後は、もろもろの病院や老人ホームの慰問あるいは赤羽または西川口あたりのキャバレーに進出し若干お色気を売り物にする、などの腹案があたためられている。「ウチでやってみない?」という方がいらっしゃいましたら是非ご一報ください。そういえば銀座に「白ばら」ってキャバレーあったわよね。

わしもついに「クラブ・クアトロ・渋谷」にデビュー。「高橋敏幸&ザ・フリーダム・レインボー」に参加し、ボンゴを叩きまくり女郎然とした真紅のオベベ姿でアホ踊りを披露した。また、「法政大学オールナイトロックフェス」にも出演。ともに大会場! 観客すごくたくさん! わしは興奮した。狂ったように叩いていると、ラッパ飲みするそばからウィスキーがさめていく。どんどんのめる。きもちいい。みんながわしらを見つめてる。ううむロックンロールヒーローとはこういうものか。「ロックスターになれば羽が生えてきてエー」という歌がイエモンにあるが、まさにその夜わしは両手をボンゴに打ち下ろしながら天使のように宙を飛ぶ気分であった。

そういえばイエモン! 活動休止! 生き甲斐ひとつおあずけ! 今度のドーム公演、わし泣くかもしれん。個人的な予測では、吉井くんは俳優として映画出演を目論んでいるのではないか?

今月のメシ:西荻窪には24時間スーパーがあることをご存知の方も多いかもしれないが、「オリジン弁当」も24時間開いている。悲しみ生活をしていると、しばしば昼間が夜にずれ込んで深夜に腹が減ってしまうことがある。そんなとき、本当はラーメンなどをバゾバゾと啜りたいのだが、太ってしまうのと酒が胃の腑に染みわたり難くなるのでやらない。そのかわり、オリジン弁当に行く。おでんが店内でぐつぐつと煮えている。まず、昆布である。そして、だいこん・シラタキである。コンビニにもおでんはあるんだが、自分で鍋から引き上げることが出来るのとなんとなく品質がより良い様な気がして、わしはオリジンおでんを選択する。ついでにガラスケース内のおそうざいも100グラムずつ拾っていけるしね。たとえば、ひじきである。あるいは、筑前煮である。そうしたものを購入し、24時間スーパーで野菜を入手し、夜も更けた寒い悲しみ荘の小さなテーブルに広げる。パセリにソースをかけたり(初めてこの連載を読む方のために:悲しみ荘には調理関係のインフラがまったく整備されていません)、オクラを刻んでカツブシまぶしたりして食っていると自然に体が冷えてくる。そこでオリジンおでんを開封し汁をのむ。もちろん酒も呑む。暖かくなってくる。今宵は、西荻きってのこだわり酒屋「三ツ矢酒店」で手に入れたかめ仕込み米焼酎「十年うたたね」である。値は張るんだけどうまいんだこれが。共に呑む相手がおらぬ孤独な夜は、多少酒のグレードを上げてみたくなるもんなのである。



第11回

23日。ポルトガル語教師ヘナータさんの案内でブラジル料理を食うため、何年か振りで白昼の表参道に降り立ったわし。ストリートのあまりのお洒落さに「東京ってこんなキレイなところだったのね」と思わず呟き、''じょわいゆー・のえる''な気分に捉えられる。そう、巷はクリスマスに浮かれているのだ。シュラスコ責めで牛の肉だらけになった我が胃袋をなだめるために食後渋谷界隈まで歩く。プレゼントを買いあさる人々でごったがえすこの街。こんなことではいかん。いち早く中央線に帰還し、薄汚れた喫茶店の隅っこに身を沈めて香り高いコーヒーを啜り、先日ガード下の古書店「けやき書房」で購入した『宇野浩二伝』の初版本(上下で千円)を読まねばならない。

24日。今年もいろいろあった……西荻南「つるや」でせいろソバを食い酒を呑み、感慨に耽っている。今宵はイヴである。クリスマスとソバはあまり関連がないせいか、ソバやがとても空いている。さっきからずっと客はわしひとり。しみじみと一年の来し方を顧みるにはお誂えである。ああ……悲しみの街で悲しみの酒をしんみりと呑む……昨日の渋谷区の喧噪が嘘のようだわ……、とほくそ笑んでいると着メロ(威風堂々)が鳴る。「もしもし」「ああ、U村だけど、そろそろケーキできあがったから。プレゼントちゃんと買った?」うーむ、そうだった。これからパーティーなのだった。つかの間の除け者自己陶酔もこれまで。ソバ屋の勘定をし、近くの「三ツ矢酒店」に入る。時節柄、ふだん見かけないシャンパーニュが店内にひしめいている。そうした鹿鳴館的浮足だった酒には眼もくれずに山形の銘酒『東北泉』の一升瓶を手みやげに購入。会場である松庵のU村君宅に赴く。この夜のパーティーは実に殷賑を極めた。参加者は20数名。それがU村君の狭い1Kにひしめいている。娘たちがお手製のケーキにナイフを入れている。怪しいバンド野郎たちが西友の安ピザパイや安ローストチキンに食らいついている。わしは既にソバ屋で潔斎の儀を済ませていたのでひたすら酒ばかりをあおり、ジーザス誕生関連の事柄には強いて思いを馳せることはなかった。

25日。新宿のタワーレコード七階にて、高橋敏幸のバンドでボンゴを叩く。CD店内でライヴを敢行するのは初めての経験であった(なんと前日には野坂昭如氏のライヴが同所であったらしい)。敏幸の轟音ギターが炸裂し激しいアジテーションヴォーカルが整然とした店内をうねり巡る。興奮したオーディエンスが服を脱ぎ捨てダンスを始める。B'z、チャゲアス、アルフィーなどを買いに来店した方々ごめんなさい。この日の新宿、やはりクリスマスの高揚感が街路に満ちている。おお嫌だ。南口で最も安いと思われる居酒屋「三平酒寮」に観客の人たちと逃れ、レモンサワー220円を立て続けにがぶ飲みし、その後阿佐ヶ谷方面で沈没した。こうしてわしとキリスト教文明との無言のにらみ合いは終わりを告げていった。

さて、約一年間にわたって連載した「西荻窪悲しみ荘日記」だが、今回をもってひとまず終了とする。なぜか。それはわしこと奈落亭凡百が「悲しみ荘」をこのたび引き払い、高級マンション「黄金館」に移り住む運びとなったためである。したがって次回HP更新時からは「新世紀西荻へようこそ ぼくのマンションはどうだい?」の連載がスタートする。(ちなみにこのタイトルは及川ミッチーの名曲「今宵桃色クラブで」の一節から取られている。)さて、ではここで連載の終了を記念して、「さらば悲しみ荘」の賦を朗詠したいと思う。

さらば悲しみ荘
 その部屋に初めて出会った寒い冬のこと/玄関ではゴキブリが死んでいた/ガスレンジを取り付ける気力も萎えしぼみ/ままよ一切の煮炊きはするまいと/沈み行く夕日に焼けはてた畳に座り/白く尾を引く嘆息をついた/春には焦恋の念にこころ黒ずみ/夏は絶えることない炎熱にあえぎ/秋にはたなびく雲跡を呆然と仰ぎ見て/悔恨の半生をくり返し顧みた 
 ああ悲しみ荘/老いらくの日々のやがて来たらむことを知りせば/青春の残照のゆらめきも/物干し竿につるす薄汚れたティーシャツのように/乾き・着古さるるを待つことあるのみか
 ああ悲しみ荘/築後三十余年木造モルタル/賃貸料四万二千円管理費なし/さらば悲しみ荘/また冬が訪れた/去年の雪いまいずこ/この僕はもう戻らない


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