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部屋の肖像・バックナンバー


| 第二回 お部屋大作戦 | 第一回 だれがいるの? |


第二回 お部屋大作戦 [2010.03.25]

12時以後にいかに音楽を聴くか。

ふつう、都会の安いアパートに住んでいると、大音響で音楽をきくことを、人ははばかるものである。

これは多摩動物公園の近くに住んでいても、渋谷の文化村ラブホあたりに住んでいても、同じことだろう。

いま、僕は『ズィンク・アロイと朝焼けの仮面ライダー(T.REX)』を聴きながら、これを書いている。
わりと派手目のグラム・ロックである。マーク・ボランの女房が延々と絶叫している。

で、時間は19時20分である。

まあ、ゆるされるだろう。

これは、周囲の住人がどういう音楽を好むかにも左右されることは言うまでもない。

頭の上から、壁の向こうから、休日、ずっと、ウルトラへヴィーなベース音の響き渡る、ベースドラムもダブルでキックされ続けているような音楽が鳴り続けていたら、その休日は休日としての価値を失うだろう。

おもに、この「低音域」をどれだけセーヴするかにかかっている。周囲の環境への影響の強弱は。

意外に、絶叫や高音域のギターサウンドは、それほど苦痛と憤怒のきっかけには、ならないものである。

さて、話はいきなりシメにかかる。

言いたいことは、「12時過ぎても音楽の気配が部屋のどこかにほしい」ということだ。

ジミ・ヘンドリックスの『クライ・オブ・ラブ』を深夜、どうしても聴きたくなり、しかし、ヘッドフォンをかぶるのではなく、なぜか、どうしても空気中を流れてくるジミを聴きたくなってしまうことが、この僕にはしょっちゅう起こる。

ヘッドフォンをつなぐ。
ヴォリュームを最大に上げる。
で、スイッチを入れる。

ジミの『フリーダム』が大爆音で鳴っている「気配」がする。
この、「気配」に、不思議なドライヴ感があるのだ。
もちろん、ヘッドフォンをかぶれば、とてつもない音で「フリーダム、ザッツ・ホワット・アイ・ウォント・ナウ」と叫ぶジミの声が響き渡るだろう。

しかし、僕は「あえて」それをしないのだ。
「気配」。そう。「気配」が僕の部屋を満たす。

「気配」はもちろん付近の住民には聞こえない。
でも、僕の部屋いっぱいに、みちあふれていく。

あ、もちろん『クライ・オブ・ラヴ』は19時台くらいなら爆音でなってますよ。

【編集部/奈落亭凡百】


第一回 だれがいるの? [2010.01.22]

部屋。
自分の部屋。
いちおう、「帰るところ」だろう。一日の、終わりに。
〈自分の〉というところが、賃貸アパートにもう22年くらい住み続けた僕にとって、いささか疑問ではござんすが。…ひとさまからの借り物だからね。

いちおう、「一日の終わりに、帰り、そこでフロに入り、眠り、また起床し、そこからまた出かけていくところ」ということにしておこう。

もちろん、同じことを、自分の部屋じゃないところでやってる人もいるだろうけれど。

僕の場合、そこには僕しかいない。

かといって、お猫さんや、お犬さんもいない。亀さんもハムスターさんもいない。
あと、そうだな、この部屋で、存在感があるのは、「椅子」だな。
僕は椅子フェチである。
椅子のカタログとか、雑誌『Pen』の椅子特集とか、眺めるのが好き。
家具屋で、〈試し座り〉するのも好き。

まあ、それはいい。
とにかく、この部屋で、一番存在感があるのが、「椅子」である。
友達にもらったものだ、モノは結構イイらしい。
10年以上僕と共にある、木製の椅子。
それが僕の部屋の中心だ。

僕の部屋は、狭い。
デヴィッド・シルヴィアンのジャパン時代の曲に、’’WIDTH OF A ROOM’’ というのがあって、タイトルだけ気になってて、どんな曲だか忘れてしまった。インストだったかな。
デヴィッドの部屋はきれいに整頓されている、草花も多い。動物もいて、キッチンも広いかもしれない。
僕の部屋と正反対だ。
それになにしろ、デヴィッド、キミには年上のステキな妻がいる。子供もいる。
そういうものは、僕の部屋にない。
「ないから、狭いのか、狭いから、ないのか。」
…それは問題の設定自体が、間違っているだろう。不問とします。

部屋。
何をするところだろう。
僕は、マンガを読む。
マンガを読む時間が一番多い。
一回読んだマンガを、何度も読む。
あたらしく買ってきたマンガを開くのは、なぜかメンドウだ。
『エロイカより愛をこめて』のシリーズのうちから、10冊くらいを、何度も何度も読む。
もはやストーリーはどうでもいい。
登場人物がそこにいればいい。
僕の部屋には誰もいないが、エロイカも、エーベルバッハ少佐も、おかまのG(ゲー)も美青年Z(ツェット)も、いる(好きな人順です)。
いてくれれば、いいのだ。
この方々は、枕元か、トイレにたいてい、いる。
『のだめカンタービレ』も『バガボンド』も全巻あるが、あまり読み返さない。
のだ・めぐみ君は、あまり「僕の部屋にいる」という感じではない。
宮本武蔵はいつも同じ顔をしているので読み返してもしょうがない。

さて。
〈いる〉ということでは、この二人以上に、僕の部屋を彩る存在はない。
そのふたりとは。
山口百恵さんと、藤圭子さんである。
山口さんは、同僚からもらった、オリジナル・アナログ・レコードジャケットであり、藤さんは、拡大コピーしたポートレートである。
これを額縁に入れて、いつも僕をみつめている風になる角度に、配置してある。
帰宅して、真っ暗な部屋、電気のスイッチをさぐって、つけると、正面を向いたこのふたりから、僕は同時にジッと見つめられる。
ほぼ、安堵するシュンカンである。
この二人じゃないと、おそらくダメだろう。
もう一人加えようかな、と思っても、もはや、このコンビネーションしか、ありえない、と感じてしまう。
(じつはヒロスエもいる。しかし、彼女は僕を正面からみつめていない…)

CDと、本のハナシは、また今度ね。
長くなるからね。まあ、みなさま、そうでしょうけど。
でも、ひとことだけ。

一日に一回は聴きたくなる曲、それは、青江美奈の『恍惚のブルース』である。
人の〈声〉が聞きたくなると、僕は青江美奈のベスト盤をかける。
すると勢い、『伊勢崎町ブルース』も聴いてしまう。
ご存知でしょう? あの曲、人間の〈声〉の表現としては画期的だ。演出上のタメイキ、という単なるプレイを超えて。
そして当然『池袋の夜』も『長崎ブルース』も聴いてしまう。

【編集部/奈落亭凡百】



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