| はじめに+第一講 サンヤツとは何か | 第二講 サンヤツをめぐる攻防 |
| 第三講 サンヤツのデザイン | 第四講 サンヤツの作り方1 |
| 第五講 サンヤツの作り方2 | 最終講 出版広告の未来 |
「クラブ白水社」編集部の依頼は「新聞のサンヤツ広告のなかで、これは! と思えたもの1点を採り上げて批評する」というものであったが、残念ながら面白いサンヤツなんてそうそうあるわけではない。ひっくり返るほどおかしい書名やコピーに巡り会えるのは数年に1度くらいだし、レイアウト面で「この余白の使い方が優美にしてエロティックである」云々とやったって部外者には退屈だろう。
ちなみに笑える書名は、売れさえすれば中身はほとんど関係なしといった体の健康本やビジネス書に多い。ただし効果は一過性で、すぐ忘れてしまう。筆者が味わい深いネーミングとして記憶しているのは雑誌名で(したがってサンヤツではなくサンムツ。後で説明します)、『犬の雑誌ワン』というものである(あ、いま調べたら正確には『WAN』だったが、味わいに欠けるので『ワン』で押し通す)。なんという素直な誌名であろう。しかも応用がきく。『猫の雑誌ニャー』『豚の雑誌ブー』『牛の雑誌モー』『山羊の雑誌メー』『鼠の雑誌チュー』……いくらでもできる。鼠の雑誌なんて誰が読むのか知らんが、本屋のペットコーナーにこれら一群が平積みになっていたら壮観ではないか。と妄想をふくらませつつ一応調べたところ、同じ版元(ペットライフ社)から出ている猫の雑誌名は『CATS』だった。無念。しかし同列のチクサン出版会からは『月刊養豚界』というのが出ている。欲しい。いえね皆さん、業界専門誌というのはけっこう面白くて……。
そんな話はどうでもよろしい。ともあれ「サンヤツ批評」はたまたま逸品が出てこないかぎり無理なので(出てきたらやります)代案を考えた。サンヤツはきわめて特殊な広告である。なにしろ「広告でありながら目立ってはならない」のだから。サンヤツ制作のマニュアルがほとんどないのも(まあ利用者が少ないからであるが)このシュールな制約と無縁ではないだろう。ここはひとつ、社内外を問わず後輩たちのためにはサンヤツ制作の苦闘を伝え、一般読者のためにはサンヤツからあぶり出される出版社および出版界事情の解読なんぞを、作例をまじえて語っていけば、このつたない文章でもなんとか責を果たせるのではあるまいか、筆者はかかる使命感を帯びて執筆に立ち向かったのである。幸いにして読者の好評を博した折には、「かんたん手抜きレイアウト講座」「かんたん編集者のだまし方講座」等々と続けていく予定であるが、ここまで書いてもう疲れてしまった。連載2回目はあるのかしら。
新聞の紙面は普通タテに15分割され、その単位を「段」と呼ぶ。1頁のうち下3段を、こんどはヨコに8等分したスペースが三段八割(さんだんやつわり)、すなわちサンヤツである。そんな面倒な説明をしなくとも、新聞の第1面の下に書籍広告ばかりが並んだブロックがありますね、アレです。雑誌広告の場合は横幅が少し広がって6等分となり、これがサンムツ。同じ書籍広告でも、第2面や第3面の大きなものは全五(全5段)とか半五(全5段1/2)などと呼ばれる。
さて全五・半五とサンヤツ・サンムツを見比べていただくとすぐわかる特徴がある。全五・半五には写真やイラストがある。スミベタ、白抜き文字がある。アミ点もグラデーションも(荒いけど)ある。書体は何でも使い放題。要するに通常の広告と同じく、公序良俗に反しないかぎり基本的には何でもアリ、である。
サンヤツ・サンムツを見てみよう。図版もベタもアミもない。それでもサンムツのほうは、雑誌のロゴだけは自由なデザインなので何とか個性を発揮している。ところがサンヤツたるや……あああ。地味だ。
サンヤツ広告は新聞社の定める「広告掲載基準に沿ったもの」でなければならない。基準の内容はどの新聞社も似たりよったり。まとめるのが面倒だったのか、「朝日新聞の基準に沿ってください」なんて社もある。以下、レイアウトに関して主だったところを要約する。
- 写真、イラスト、スミベタ、白抜き等々すべて不可。使えるのは活字とケイ(線)だけ。
- 活字の書体は、ゴナとかナールとか勘亭流とかルリールとかはもちろんだめ。明朝とゴシックの2書体のみ。その大きさも明朝が7通り、ゴシックは5通りしか使えない。斜体や平体など文字の変形はもってのほか。
- ケイの種類と太さは許可されたものに限る(斜線・曲線はアウト)。記号類も同様。
- その他、書名以外の文字を書名より大きくしてはいけない。文字やケイをあんまり「意匠化」してはいけない。あえて明文化はしませんが全体を黒っぽくしてはいけないよ。白っぽすぎるのもいけません。
どないせえちゅうねん。
レイアウトをかじった方なら、これが異常事態であることをわかってもらえるだろう。つまりはデザインのくせに装飾が拒否され、独創的なアイディアを形にする道具はすべて刀狩りされているのである。「広告でありながら目立ってはならない」とはこういう事である。
なぜこんなことになったのか。サンヤツが、第1面という新聞の「顔」にあるからである。公共の器たる新聞の、しかも「顔」を、奇天烈さを競うような売らんかなの広告に汚されたくない。その理屈はわかる。だから出版社はこれを認めた。しかし一方で、広告は客の目を引かなければ意味がない。かくしてサンヤツ制作者と新聞社の虚々実々の駆け引きが幕を落とすのである。と、オーソドックスな引きで以下次号。
まずは図版をご覧いただきたい(バックナンバーには含まれていません)。これは1998年7月21日の朝日新聞に載るはずが載らなかった、幻のサンヤツである。デザインの一部がサンヤツの規定に引っかかり、広告代理店を通して朝日新聞より「このままでは掲載はあいならぬ」とのお達しがあった。たしか掲載日の前々日ではなかったかと思う。その一週間ほど前に原稿を入稿、2回ほどの校正を経て校了となった後のことで、図版はそのゲラである。
さてここで問題です。このサンヤツは、いったいどこが引っかかったのだろう?
イラストや白抜きはもちろんない。活字とケイも問題なし。むしろオーソドックスなほどである。黒っぽくも白っぽくもない。するとやはり……。
代理店の説明は案の定、一番上にあるコピー「さて、この人物は誰」の後のクエスチョンマーク「?」が大きすぎるというものだった。活字は4倍明朝(新聞活字の大きさは「倍」で表わす。図版に沿って言うと、一番小さいのが1倍、「世界文学クイズ」の文字が4倍)である。これを2倍以下に落とせと言う。
朝日新聞の長い長い「原稿制作の手引き」を繰ってみた。まず読み直したのが、「出版物名以外に使用される記号は2倍までとする」という項目である。この規制は知っていた。だが「?」は「記号」なのだろうか。「文字」ではないのか。別項の「使用できる記号」の表に、やはりクエスチョンマークは載っていない。
もう一度、なめるように「手引き」を読んでみる。と、その一行が目に入った。
文字、ケイなどを極端に意匠化してレイアウトすることはできない。
はあ(嘆息)。これか。「極端」かどうかはともかく、文字を「意匠化」していることは間違いない。
このサンヤツを作ったのは担当になって半年ぐらい。山ほどの制約を針の穴を通すようにくぐりぬけ、なんとか面白い広告が作れないか躍起になっていた頃だった。こんなつつましいアイディアでもだめなのか。私は天をあおぎ、ゲラに赤ペンで「2倍」と書き込んだ。サンヤツ制作者として初めての挫折であった。
ここでこちらの立場をはっきりさせておこう。サンヤツに多くの規制があることを、私は基本的に容認している。新聞の紙面は第一に新聞社のものであり、料金をもらっている広告であろうと好き勝手にはさせない権利を有する。広告主はそれがいやなら出稿しなければいいのである。だから私は「引っかかる」とわかっている原稿を「ものは試し」で出したりしないし、もしチェックが入ったら原則としてすぐ直す。
ただし例外はある。かつて問題なく掲載されたのに、なぜか今回はいけないと言い渡されたケースだ。「極端な意匠化」の例でもわかるように、サンヤツ規定にはかなり曖昧な表現も散見する。これは法律と同じ原理だろう。アメリカのある州では「劇場や映画館にライオンを連れてきてはいけない」という法律が存在するらしい。なんでこんな妙な法律があるのかといえば、実際に連れてきた奴がいたからである。ついでに言うと、白水社の近くの公園には「小川広場は震災時の一時集合場所です」と書かれた看板が架けてあり、「一時」にわざわざ「いっとき」という不思議なルビが振られている。想像するに、かつてルビなしで架けておいたら「一時というのは、午前ですか午後ですか」という問い合わせをしてきた区民がいたのであろう。
閑話休題。要するに、具体例をすべて並べていったら法律などきりがないのである。法の網をくぐりぬけようとする不届き者(あ、俺のことか)と国家とのいたちごっこのような攻防が続くかぎり、条文はより難解に、曖昧になってゆく。あとは「解釈」の問題となるのだが、サンヤツの世界でも時折この「解釈」に差が出ることがある。
実を言えば朝日新聞はかなり筋が通っているほうで(モメたこともない)、とある新聞社からはほとんど揚げ足取りのような文句をつけられたこともある。あまりこういうことを言うとヤブヘビの危険もあるのだが(白水社のこのデザインはいままで容認してきましたが、そこまで言うのなら他の出版社への手前、やっぱり許しません、なんて……)、それも覚悟で書いておきたい。無法者への対処も大変だろうが、重箱の隅をつつくようなチェックは本当に必要なのだろうか。「解釈」の基準は、そもそも何を守るための法律なのかということではないのか。
繰り返すが規制は必要である。サンヤツははじめから今の形だったわけではない。新聞社・出版社双方の先達による長年の試行錯誤の末に、サンヤツは独自の視覚効果を持つ広告文化となった。(出版とまるで関係のない商品の新聞広告がサンヤツのデザインを借りた例もある)。だから本来、規制にも一つ一つ意味がある。
だがいったん固まると、今度は形骸化が始まる。規制の目的は何か。新聞の品位を保ち、読者の信用を得ることであろう。明朝とゴチックしか使えないのはいいが、この二書体にもヴァリエーションがある。およそ美しいとは言えない明朝やゴチックを強要することが新聞の品位を保つことになるのか。文字とケイしか使えないのはいいが、「極端な意匠化」が拡大解釈されてしまうとデザインの工夫の余地がなくなってしまう。結果同じようなパターンの広告ばかり並ぶことが、読者の信用を得ることになるのか。
制約の中に革新的な工夫も生まれる。サンヤツはまだまだ新しい、面白い使いみちを発見できる可能性を秘めている。私はサンヤツの品位を守りつつ、サンヤツで「遊びたい」。
【「架空の本」募集中】
前回まったくありもしない本(『かんたんサンヤツ講座』)のサンヤツを作ってみたら、空想上の本が実現したような錯覚があってけっこう面白かったので、今度は読者の皆さんの「架空の本」をサンヤツに作ってみたいと思います。こんな本があったら面白いのにな、と思う夢の書籍を、書名、著者名、定価、コピーなどを書いてメールでお送りください。白水社サンヤツ制作者が腕によりをかけてそのサンヤツを作ります。もちろんどの新聞にも載りませんが。
和田誠さんが「最近の白水社のサンヤツはデザインが勝ちすぎている」とおっしゃっていた、という話を和田さんの本の担当編集者から聞いたとき、私は「え?」と目が点になってしまった。
もちろんこのコメントは批判的なニュアンスであるが、けなされたから驚いたのではない。相手は私も尊敬する一流デザイナーである。そしられ殴られドブに蹴落とされようとも「出直してまいります」と答えるしかない。意外だったのは、「デザインが勝ちすぎている」というその内容のほうである。
サンヤツを担当してまもない頃のことであるから、当然前任者のサンヤツと比べての発言ということになる。前任者の名は榎本さんという。この人は「サンヤツの榎さん」と呼ばれるくらい、知る人ぞ知るサンヤツの名手であった。業界の会合では何度も「榎さんサンヤツやめちゃったの?」と驚かれたし、博報堂では白水社のサンヤツ担当交代が事件(?)になったそうである。『三段八割秀作集』(森田誠吾編、精美堂。名著。残念ながら非売品)にもいくつか彼の作品が掲載されている。後任としてはちょっとやりにくいが、実際彼の作るサンヤツは美しかった。
だが疑問もあった。デザインは申し分ないが、効果という点ではどうなのだろう。サンヤツの掲載料は高く、本の宣伝費は悲しいほど乏しい。早い話が見た目より本を売ってなんぼである。何度も言うようにサンヤツは極端に制約の多い広告であるため、デザインの美しさを優先させると他の要素――書名・著者名・コピーのいずれを目立たせたいのか、どんなコピーを使うか、複数の書籍を並べる場合のバランス、といったことにしわ寄せが来ることがある。書名と著者名だけで十分アピールできる本のコピーが長かったり、初版部数が全然違う本が同じスペースで扱われていたり。まあ偉大なる先達への反動というか、嫉妬もあろうが、ともかくデザイン以外の要素をなおざりにしているような気がしていたのである。
だから担当になったとき、「デザイン→内容」ではなく「内容→デザイン」の順番で発想することを自分に課すことにした。と書くと偉そうだな。実を言えばそれも榎本さんのデザイン・アイデアのストックがたくさんあったから可能だったのである。こんな内容のものを、こんなバランスで入れたいと決めれば、後はスクラップブックをひっくり返して使えそうなデザインを探せば良かった。そうやって片っ端から真似しているうちに、だんだん自分なりのアイデアも出てくるようになる。
私としては、意図的にデザインを後回しにしていた。だから「デザインが勝ちすぎている」と言われたとき、びっくらこいてしまったのである。しかし、しつこいようだが相手はあの和田誠氏である。私は出直してまいることにし、自作のサンヤツをすべて見直してみると、すぐに気がついた。ケイがうるさい。
理由は明白だった。スペースが狭く、制約が多いなかで多くの内容をぶちこもうとすれば、デザインがごたつかないよう各書籍ごとのブロックをはっきり分割する必要があり、そこでケイが使われる。ここまではどの出版社も事情は同じ。自作の場合はさらに、ケイを変わった形というか、装飾的に使うケースが目立った。デザインを後回しにしておきながら、なんとかデザインでも目立つものにしようとする小手先の意匠がはっきり見える。「白水社のサンヤツは美しい」という定評が私の代で凋落することが、無意識のうちに気になっていたのだろう。和田さんの真意はわからないが、「デザインが勝ちすぎている」とはこのことだろうか。
榎本さんのサンヤツは余白をうまく使い、ケイは必要最小限にしている。図版(上)を見てみよう。3点の書籍が載っており、ケイは1本も使われていない。普通なら、まず上段と下段を分かつケイを1本入れ、さらに下段の右と左を分けるケイも入れてしまうだろう。ケイがないほうがきれいだって言うんなら使わなきゃいいじゃないか、と思われるかもしれないが、そう簡単でもないのだ。ケイを入れれば多少の不格好はごまかしがきき、無難に処理できる。ケイを取ると欠点がモロに出て、見る人の視線が混乱してしまう。つまりケイなしで済ますには完璧な配置が必要だが、それには書名の字数をはじめさまざまな条件が揃わないと難しい。ケイを使うか使わないか、状況に応じて正確に判断できる知識とセンスが必要なのである(正直なところ、私のサンヤツはいまだにケイが多い)。ちなみに図版(右)は榎本さんが珍しくケイを多用した例。ケイを装飾的に使うんならこれくらいのことはやってみろ、と言われているようなデザインである。
サンヤツの仕事を引き継ぐ前、私はサンヤツにあまり興味がなかった。書籍広告の重要な媒体ではあるが、工夫の余地が少なく、また業界の狭い世界だけで微妙な差異を誉めたりけなしたりしていることにちょっと鼻白んでいたのである。俺はまだ「わびさび」に行くほど枯れてないぞ、と。だから他の出版社の人や、榎本さん本人に「お前のサンヤツはまだまだ(榎さんを)超えられないな」と言われても、そもそも同じ土俵に立つ気なんかねえや、と内心うそぶいていた。
今はどうか。こんな文章を書いているくらいだから、まあ面白くもなっているが、父と子の陳腐なアナロジーでもあるまいし、超えるの超えないのといった言い方にはやっぱり違和感がある。ただ、この稿を書くにあたりひさしぶりにスクラップブックを一通り見ていて、あっと思ったことがある。榎本さんがやらなかった、自分のオリジナルだと思いこんでいたアイデアのいくつかは、実は彼がとっくに使っていたのである。なぜ前は気がつかなかったのだろう。榎本さんは昨年11月に亡くなった。彼について語るには、もう少し時間が必要かもしれない。
【追記】「架空の本」(実際にはない夢の本の書名、著者名、コピー等を送っていただき、それを私がサンヤツにするという企画)は今も募集中です。図版(左)参照。
「講座」と銘打っておきながら、エッセイもどきの文章ばかりではないか。ちゃんと役に立つことを書け、と業界関係者からお叱りをうけてしまったので、今回はサンヤツ作りのイロハをやります。出版・デザイン関係以外の皆様には、ちょっと新聞広告の実務を覗き見するようなつもりでナナメ読みしていただければ幸いです。
さて、サンヤツの入稿形態(どういう形で新聞社に渡すか)には「社組」と「完全版下」の二種類がある。「社組」というのは新聞社指定の原稿用紙に書体や文字の大きさ、行間などの指定を入れて渡すやり方(図版下左・カラー)で、新聞社独自の活字(厳密には「活字」ではないが、便宜上そう呼ばれる)で組んでもらう。「完全版下」は写植やDTPを使い、そのままの形で掲載できる印画紙版下を作って渡すやり方である。
どちらを使うかは新聞社によって異なる。朝日と読売は原則として社組のみ。毎日は白水社がサンヤツを出稿していないので(月イチで大きめの広告を出している)よくわからないが、見た限りでは社組でないものもあるようだ。日経は完全版下入稿、ブロック紙・地方紙も完全版下が多い。
ではまず社組原稿の作り方。図版のように、新聞社がくれる原稿用紙は縦46個、横16個のマス目で区切られており、このマス目1個分が1倍活字の大きさである。前にも触れたが新聞活字の大きさは「倍」で表わす。一番小さいのが1倍で、これを基準として縦方向の倍率で大きさを示している。明朝は1倍、1.5倍、2倍、2.5倍、3倍、4倍、5倍の7通り、ゴチックは1倍、1.5倍、2倍、2.5倍、3倍の5通りのみ使用できる。
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1倍明朝を使いたいときはマス目1個につき1文字を書き込んで、赤字で「1倍M」(Mは明朝の意)と指定を入れる。2倍ゴチックならその縦2倍の大きさで書いて「2倍G」(Gはゴチック)と指定すればよいわけだが、ここで気をつけなければいけないのが文字の横幅である。新聞の1倍活字は縦横の比率が1:1ではなく、横長の平べったい形をしており、原稿用紙のひとマスも横長になっている。ところがなぜか、1.5倍以上の活字は縦横の比率がほぼ1:1、つまり正方形にすっぽり入るような形なのである。だから2倍活字の場合、1文字が縦2マス×横2マスの大きさにはならず、縦2マス×横1.5マスくらいになるのだ。同様に、他の活字の横幅がどれくらいになるかというと、
1.5倍→縦1.5マス×横1.25マス
2.5倍→縦2.5マス×横2マス
3倍→縦3マス×横2.5マス
4倍→縦4マス×横3マス
5倍→縦5マス×横4マス
となる。活字についてはこれだけ覚えておけばOK。かん、たん。(よしよし、「講座」らしくなってきたな。)いばって言うが、こんなことはどの入門書にも書いていない。そもそもサンヤツの入門書なんかないからだけど、あっても書かないのではないか。なぜかというと、この数字はいいかげんだからである。
つまり正確ではない。あくまで「だいたいこれくらいでしょ」のところであり、組み上がったゲラは完全に原稿通りにはならない。写植を扱う人は0.25mm単位の厳密な指定に慣れているから、こういうおおざっぱな感覚にとまどうかもしれない。真面目な人が、きちんと割り切れない、曖昧な世界に放り込まれると、パニックを起こすことがある。しかし、である。世界が予定調和でできていないことくらい、カフカがとっくに暴いているではないか。ナニ心配することはない、「曖昧」には「曖昧」で対処すればよく、技術というものはほとんどが「慣れ」なのである。
サンヤツの極意は「テキトー」にある。
たとえば横14マスに横書きで6文字の書名を入れたいとする。「えーと3倍活字を使いたいから横2.5マス×6文字=15マス……うわあっ! 入らねえ」と消しゴムで消し、倍数を落としたりレイアウトを変えたりいろいろやり直すうちに原稿用紙が破れた、という経験はかつて私もよくあった。横が1マスぶん足りない、正確に1文字2.5マスというわけではないからひょっとしたらもっと足りないかもしれない。どうするか。人は一人で生きているのではない。社組のサンヤツも一人で作るのではなく、原稿を活字に組むオペレーターという人がいる。彼に向けて、「字間を詰めればたぶん入ると思うので、よろしくテキトーにご配慮願います」というメッセージを込め「ツメ打ち」と指定するのだ。するとオペレーターはぶつぶつ言いながらも字間を詰めて、14マスにちゃあんと美しくおさまるように組んでくれるのである。たまにオペレーターが新人だったりすると「美しく」ないこともあるが、その時は校正で調整すればよい。
もちろん「ツメ打ち」がいくら便利だといっても、3マスも4マスも足りないのに強引に使ってはいけない。人間、信頼関係が第一である。そういう無茶をすると、オペレーターは激怒してつっかえしてくるか、字間が極端に詰まって文字が重なっているゲラを「指定通りにしました」と送ってくるだろう。「ツメ打ち」のコツをちょっと言うと、(1)1倍活字は詰められない。ツメ打ちができるのは2倍くらいからで、大きい活字ほど詰めやすい(2)漢字と漢字の間はほとんど詰められない(3)ひらがな・カタカナどうしのあいだはわりに詰められる(4)捨字(小さい「っ」とか「ゅ」など)や記号(カッコ類や「、」「!」など)があればしめしめ、かなり詰められる、といったところか。このへんは経験を重ねるうちに、どういう文字の組み合わせならどれくらい詰められるかわかってくる(慣れです)。それでもスペースに収まらないようならさっさと倍数を落としましょう。人間、あきらめも肝心である。
もうひとつ、文字の一部だけ倍数を落とすという手もある。図版上右の「モーツァルトとの対話24景」というタイトルは3倍明朝で、上段の「モーツァルト」は前述の、横14マスに6文字なのでツメ打ちをした例。下段の「との対話24景」も同じく6文字(数字は2文字で1字ぶん)だが、漢字が多く数字も場所をとるので詰めにくい。そこで「との」の部分だけ2.5倍に落とす。スペースが節約できる上、見た目も悪くない。このように、つなぎの助詞などを小さくするのはよく使われるテクニックの一つである。
紙幅が尽きた。以下次号。あ、「架空の本」の件はなかったことにしてください。とほほ。
「社組」原稿の作り方の続き。文字の指定がわかったら、次は行間である。
これも基本的には文字の指定と同じ。1マスぶん開けたいなら「1倍アキ」、2マスぶん開けたいなら「2倍アキ」と指定する。1マス以下の場合は、1/2マスなら「2分アキ」、1/4マスは「4分アキ」、1/8マスは「8分アキ」である。
当然ここでも縦横比の問題はある。原稿の1マスが横長である以上、縦1/2マスと横1/2マスでは幅が違うのだが、実際に組み上がってくる1/2アキは縦でも横でも同じ幅なのだ。したがって縦のアキは原稿通りになるが、横のアキはちょっと狂ってくる。
だが悩む必要ナシ。思い出していただきたい、「サンヤツの極意はテキトー」である。大きな活字だと縦横比の差が大きいので、3倍活字→縦3マス×横2.5マスといった操作が必要になるが、アキの指定で使われるのはだいたい1倍以下なので、無視しても大きな誤差はないのである。
さらに言うなら、アキのすべてを指定する必要もない。重要なアキさえおさえておけば、あとは「均等にアケル」もしくは「アキはおまかせします」の印である「#」を入れておけばいいのである。かん、たん。
重要なアキというのはたとえばコピー部分の行間であるが、私の場合は4分アキにすることが多い。書名と著者名、あるいは著者名とコピーの間は4分アキか2分アキ、書名が2行にわたる場合の行間は「ベタ(アキがないこと)」、複数の書籍を並べる場合のブロックとブロックの間は1倍から2倍、を基準としている。もちろん状況によってはこの通りではないし、レイアウトの癖は人それぞれでいいのだが、一応の基準を持っているとどんなデザインでもそう滅茶苦茶にならないので安心である。
先を急ごう。
続いて「完全版下」によるサンヤツ原稿の作り方である。
写植やDTPで、級数指定による印画紙版下を作るわけだが、もちろん「地獄のサンヤツ規定」がここで解除されるわけではない。あくまで社組で作った場合と「同じように」見えなければならないのである。
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試みに同じ内容で社組(図版上)と完全版下(図版下)を作ってみた。微妙に印象が違うでしょう? でも、新聞社にダメを出されないポイントはきちんと守っている。
ポイントその1。書体は明朝系やゴシック系なら何でも使っていいわけではなく、朝日・読売などの新聞活字に近いものに限られる。また、写植なら細明朝は級数が大きくなっても細明朝だが、新聞活字は1倍と5倍では文字の太さがぜんぜん違うため、小さい文字と大きい文字では書体を変えなければならない。
話がややこしくなってきたので、新聞活字に近い(と私が考える)書体を並べてみよう。
写植書体/明朝/1倍……岩田新聞明朝(ISNM)
写植書体/明朝/1.5~2倍……石井中明朝体(MM--A-OKL)
写植書体/明朝/2.5倍以上……新聞特太明朝体(YSEM)
写植書体/ゴシック/1倍……岩田新聞ゴシック体(ISNG)
写植書体/ゴシック/1.5~2倍……石井中ゴシック体(MG-A-KL)
写植書体/ゴシック/2.5倍以上……新聞特太ゴシック体(YSEG-L)
DTP書体/明朝/1倍……岩田新聞明朝、毎日新聞明朝
DTP書体/明朝/1.5~2倍……太ミンA101
DTP書体/明朝/2.5倍以上……リュウミンH-KL
DTP書体/ゴシック/1倍……岩田新聞ゴシック、毎日新聞ゴシック
DTP書体/ゴシック/1.5~2倍……太ゴB101
DTP書体/ゴシック/2.5倍以上……太ゴB101、ロダンB
だいたいこんなものだろうと思うが、新聞社によって意見が異なる可能性があるので事前に確認しておいたほうがよい。日経はDTPフォントにも細かい制限がある(たとえばロダンBは使えない)。なお岩田新聞明朝・ゴシック、毎日新聞明朝・ゴシックは新聞の1倍活字に似せて作られた、扁平な形の特殊な書体である。
ポイントその2。社組と同じく明朝は7通り、ゴシックは5通りの大きさしか使えない。つまり1倍、1.5倍、2倍、2.5倍、3倍、4倍、5倍と同じ大きさの級数のみ使えるということである。それぞれどれくらいの級数になるかというと、
| 1倍 | → | 11Q(岩田新聞明朝・ゴシック、毎日新聞明朝・ゴシック) |
| 1.5倍 | → | 13Q |
| 2倍 | → | 18Q |
| 2.5倍 | → | 22Q(写植の場合は22Qという大きさがないので、20Qか24Qで代用) |
| 3倍 | → | 28Q |
| 4倍 | → | 36Q(写植の場合は38Qで代用) |
| 5倍 | → | 44Q |
といったところ。つくづく実用的な講座だなあ。と言ってもすでにおわかりだろうが、もちろんこれは厳密な数字ではない。
問題はDTPの際の1倍文字である。写植なら11Q岩田新聞明朝・ゴシックを指定すればよいが、DTPの場合はPSフォントセットを購入する必要がある。だが岩田新聞明朝・ゴシックは非常に高価で手が出ず、比較的安価な毎日新聞明朝・ゴシックは私が使っている出力センターが持っていないので印画紙出力できない。(なお、これはMacの話です。Windowsの場合はよくわかりません、あしからず。)
結果どうしているかというと、細明朝・中ゴシック体を変型して新聞1倍活字に似せるという、アクロバットというか、苦肉の策である。QuarkXPress(DTPソフト)で試行錯誤の結果では、12Qで字送りが -15、縦比率は横書きの場合83%、縦書きの場合81%とすると近くなった(11Qを元にしなかったのは1倍活字が他に比べて字面が大きいからである)。またこれを行間4分アキくらいにしたい時は、行送りは横書きで11Q、縦書きで13Qにするとよい。まあアキについては新聞社もうるさいことは言わないので、通常の写植やDTPと同様、好きに開けてかまなわい。
ふう。駆け足ではあるがサンヤツの基礎知識はこれで全部伝えました。
次号、最終回。
かれこれ20年近くも前の話であるが、さまざまな出版社が合同で行なった新入社員研修会で、ある講師が「出版にマーケティングは不可能」と断言していた。当時でも大部数の雑誌などはかなり緻密なマーケティングをしていたはずだし、講師はたしか岩波書店の編集者だったので、この場合は単行本、それもいわゆる「固い本」に限定した話だったろう。
もちろん出版にマーケティングは不可能ではない。やろうと思えばできる、が、本は極端な多品種少量生産の商品なので、大がかりな調査などとても採算に合わないからやらないのである。初版5000部以下の本なら広告費など100万円にも満たないのが普通で、他の本と抱き合わせでも全国紙のサンヤツを何本か出せばもうおつりはこない。しかも中小出版社の場合、初版5000はかなり気合いの入った数字なのである。推して知るべし。
それだけが理由というわけでもないのだが、出版界は長い間、他業種の人が聞けば仰天するくらいドンブリ勘定の世界であった。マーケティングと同様、広告の効果測定もほとんど印象批評みたいなもんだった。お恥ずかしい話だが、白水社の新刊がどれくらい売れたのか、日報で見られるようになってからまだ10年かそこらなのである。
かくのごとき旧態依然の業界にもIT革命はやってくる。今はいくつかの書店で、いつ何冊売れたかというデータがすぐとれる。ようやく世間並みになってきたときに出版大不況に陥るのだから皮肉な話だが、ともあれマーケティングも、効果測定も、よちよち歩きながら始まった。しかも本が売れないとなれば、当然効果のない広告はすぐ切られる、という事態も始まる。今までドンブリ勘定ゆえに惰性で出ていた広告、つきあいで出していた広告も、これからはひとつひとつシビアな物差しで計られることになる。広告代理店や媒体の皆さんを脅しているみたいで気がひけるのだが、違うんです。出版の広告費が全体的に削られるのではなく、効果が見える広告とそうでない広告の差がどんどん広がるだろう、ということだ。
一面サンヤツ広告に未来はあるかと訊かれれば、「ある」と答えたい。サンヤツの最大の強みは、本好きの読者が習慣としてそこを見るというところにある。新刊をチェックする情報源としてはやはり便利だ。実はあの「地獄のサンヤツ規定」も、コンパクトに見やすくし、また信頼度を増すという点でこれに寄与している。サンヤツが出版広告の主要媒体のひとつである状況は今後もしばらく続くだろう。
もちろん弱点もある。サンヤツがあまり効かないジャンルはいくつかあり、総じて言えば若年層に効果が薄い傾向は否めない。だがどんな読者にも強い媒体なんてないのだから、コストをにらみながらさまざまな媒体を組み合わせていくしかない。
では今後、どんな広告に可能性があるだろうか。残念ながら明確な答えを持ってはいないが、とりあえずは二つの方向に興味がある。ひとつは広告の紙面じたいが面白いこと。別にタイアップ広告を想定しているわけではない。朝日新聞夕刊の月イチ企画『BookTimes』や雑誌『ダ・ヴィンチ』は書評形式や著者インタビュー形式の広告を載せている。文章はすべて外部のライターが書き、各出版社もそれぞれの媒体の読者層を考慮して本をセレクトしている。どちらも軌道に乗るまでは大変だったらしいが、今はクライアントの評価も上々のようだ。要するに広告であろうが記事であろうが、読む価値があれば読者はつく。そしてただ器を作るのではなく、それを育てていく発想が必要だろうということだ。(余談だが、新聞の書評が効かなくなったと嘆く出版人は多い。全体としてはそうだろうが、いわゆる「権威」がなくなって、効く書評とそうでない書評の差が大きくなった、というほうが現状に近いのではないか。面白い書評は、発行部数が数倍の媒体に載ったつまらない書評よりはるかに売上を伸ばす。)
もうひとつは物流と連動させること。当たり前の話のようだが、出版は必ずしもこれがうまくいっていない。たとえば多くの地方紙・ブロック紙は、その地域の購読者シェアで全国紙を大きく凌駕している。ところが広告効果はこれに比例しておらず、その理由は広告した本が書店にないというのが一番大きい(したがって大出版社による大部数の出版物は別)。物流と情報流通の両面で出版社・新聞社・書店の連携がきちんととれれば、突破口はたぶんある。
そしてこの二つは、どちらもとてもめんどくさい。頭を絞り、工夫をかさね、交渉と調整をこなし、足で稼がなければ実現しない。でもそれはどんな業種でもやってきたことだ。出版界がそれを怠ってきたとは言わないが、手をつけていない場所もたくさんあるような気がする。
まとまりのない連載になってしまった。気軽な業界ネタで始めたつもりが、書いているうちに色々と考え込んでしまったのだ。出版界は激変期にある。今までの出版広告の技術やノウハウでは通用しなくなったことも多い。どんどん新しいことを学ばなければならないのなら、古い知識はまだ使えるものだけを効率よくマスターしたほうがいいに決まっている。正直に言えば、連載の後半はほとんど出版宣伝に携わる後輩のために書いた。十全とはいえないけれど、ほんの少しでもお役に立てればうれしい。それから、出版宣伝とまるで関係ないにもかかわらず読んでくださった方、本当にありがとうございました。
(白水社宣伝部、サンヤツ制作者)


