| 第1講 「カベルネ・ソーヴィニョン」を飲む(1) | 第2講 「カベルネ・ソーヴィニョン」を飲む(2) |
| 第3講 J. モロー | 第4講 クエッション・オブ・バランス(1) |
| 第5講 クエッション・オブ・バランス(2) | 第6講 ヌーボー、その10年後 |
前シリーズの『ワインのおはなし』に引き続き『続・ワインのおはなし』を担当させていただきます。前回は、ワインを飲んでいて日常思ったことを、つらつらと書き綴ったものでした。少し抽象的と言うか、漠然としていたことは重々承知しています。「で、結局、どのワインを飲んだらいいの?」という声が聞こえてきそうです(幻聴か?)。一方、仮にも新装開店と相成ったわけですから、今までと同じでは能がない。ということで、今回は、実践講座風にしたいと思います。具体的にワインを取り上げて、「ワインの知識をどう蓄積していくか?」についてお話しすることにしましょう。逆に言うと、「どういう観点からワインを飲んでいると『ワインのおはなし』のような考えに及ぶのか」を垣間見ていただければ、それでいいんですが……。テキストは、ズバリ、『ワインのおはなし』。
なお、ここで取り上げるワインたちは、美味しいからこれを飲めという、いわゆる「オススメ」ではありません。また、同じワインを手に入れるというのは、実は結構大変です。なるべく入手しやすいものを選ぶつもりですので、できるだけ実際に飲んでいただきたいのですが、現実問題として困難かもしれません。まぁ、話だけでも聞いてやってください。
所信表明演説はこれくらいにして、本題へ入りましょう。
★テキスト:「フュメ・ブランの味」とか、「シラーの味」とかを持ち出すならば、それは偽の問題です。存在するのはただ、「この」フュメ・ブランの味であり、「あの」シラーの味です。(第4話 ブドウ品種)
「フュメ・ブラン」と「シラー」はブドウ品種名です。巷ではブドウ品種がワインの味を決定するかのように流布されていますが、同じブドウ品種でもいかに味が違うかを例示しようというのが、今回のお話の目的。品種は「カベルネ・ソーヴィニョン」に焦点を当てます。どの品種でもいいのですが、猫も杓子もこの品種なので標的にしました。
![]() Coonawarra Cabernet Sauvignon 1995 (Mildara) 1,840円(金町 やまに) |
ところで、熱心な読者(いるのかなぁ)なら、私がカベルネ・ソーヴィニョンを好んでいないとお思いのことでしょう。たび重なるカベルネ・ソーヴィニョン攻撃を見れば、そう考えるのも不思議ではありません。が、それは誤解です。と言うか、そういう考え自体、すでに「カベルネ・ソーヴィニョンの味」が何らかの形で存在すると前提にしていなければ、出てこないものです。かくもブドウ品種の幻想は根深いとも言えるのですが。しかし、そうでないというのが上記テキストの主旨だったのでした。
そこで、まず飲んでいただきたいのが、Coonawarra Cabernet Sauvignon 1995 (Mildara社)。クーナワラはオーストラリアのワイン産地で、特に、カベルネ・ソーヴィニョンがうまくできるとされています。その評判に違わず、甘く華やかな香り、たっぷりの果実味、程よい樽香、それにほのかな苦味がアクセントになったしっかりとした本格派、と言っても何でしょうから、まぁ、とりあえず、飲んでみてください。ひと口めから美味しいと思いますよ。実は、こうした複雑なフレーヴァーを出しやすい点がカベルネ・ソーヴィニョンを至高の品種ならしめている所以なのですが、次に、必ずしも本格派になるわけではないということを南仏のオック産のワインを取り上げて検証することにします。(つづく)
★テキスト:一体、カベルネ・ソービニョンの味とは何でしょう(第2話 酸化)
さて、同じブドウ品種でも全然味が違うことを、「カベルネ・ソーヴィニョン」で例証しようとしていたところでした。
ところで、そもそもなぜブドウ品種なのか? たぶん、ややこしいワインの世界を単純に割り切るための手段として白羽の矢が立てられたのではないかと推測しています。世界にいくつあるとも知れない畑の名前や生産者よりも、せいぜい10種も覚えれば大方のところ事足りるのですから、楽なわけです。
![]() Vin de pays d'Oc Cabernet Sauvignon 1996 (Mommessin) 880円(金町 やまに) |
確かにこのやり方は、長々としたワイン・リストを見せられたときなどは有効かもしれません。品種名と値段で選べばいいという算段です。しかし、ジョン・デューイのプラグマティズムに反して、有用なものが真実とは限りません。むしろ、役に立つものは真相を隠しているのではないかと疑ってみるべきです。
やっと核心に迫る時がきました。今回はVin de Pays d'Oc Cabernet Sauvignon 1996 (Mommessin社)を飲んでみましょう。余談ですが、「ヴァン・ド・ペイ」は「地酒」と訳されることが多いようですが、これは疑問です。とくにオックの場合、南仏の広範囲にわたって名乗ることを許されています。一方、たとえば、ロマネ・コンティが特定の畑産のみを指すことを考えると、日本酒から連想される「地酒」にどちらが近いかは言わずもがなです。それはともかく、モメサン社は、ブルゴーニュはモレ・サン・ドゥニのグラン・クリュ、クロ・ド・タールを単独所有していることで有名ではありますが、むしろブルゴーニュワイン全般を扱うワイン商というのが、その正体でしょう。それが証拠に、このワインのボジョレと見まがうばかりの軽快さ! ついでですから、ピノ・ノワール種ではありますが、このワイン商が扱うBourgogne Pinot Noir LA CLE SAINT-PIERRE 1996も試してみましょう。どうです、ここのオックのカベルネ・ソーヴィニョンは、前回のミルダラ社のものより、このブルゴーニュのピノ・ノワールに近い味わいではありませんか?
![]() Bourgogne Pinot Noir LA CLE SAINT-PIERRE 1996 (Mommessin) 375ml 1,000円(銀座 Lawson銀座六丁目店) |
結局、ブドウ品種でワインの世界を割り切ろうという態度は、人間の性格を四つの血液型で分類しようとするようなもので、普通の理性をもったひとには到底受け入れがたいことです。少なくとも魑魅魍魎としたワインの世界を網羅するには網目が大き過ぎます。B型の人間の性格は云々と言うよりも、こいつは粗忽ものだ、と言う方がよっぽど現実であるように、このワインは飲みやすいとか、渋いとかいうのが実際なのであり、何も「カベルネ・ソーヴィニョン」を持ち出すまでもないのです。しかし、持ち出してしまった以上、その味を確定しなければいけない。けれども、今見たように、土台、そんなものは存在しない。でも、それがあるかのように振る舞わなければならなくなっている……。
こうして自分で自分の首を絞めているのがワイン・ビジネス界の現状のように見えます。その結果、何が起こったのかについては後に譲るとして、とにかく、「カベルネ・ソーヴィニョンの味」は一種の信仰か、よく言っても、出来の悪い世界モデルでしかあり得ません。そんなものにかかずらっている暇があったら、もっとワインを飲みましょう。
J. モローって言われても何だかわからない方も多いでしょうが、シャブリの名は世に広く知れ渡っていることと思います。今が旬の牡蠣のお供として有名です。あぁ~、食いたい。でも、私としては、生牡蠣にはミュスカデを合わせたい。逆に、生牡蠣がなかったらミュスカデの存在理由が見当たりません、とは言い過ぎですが、キーンとした酸味が辛めのカクテル・ソースと見事にマッチするんだな、これが。でも、ミュスカデ、以前ほど見かけなくなったような気がしません? 安い白、即、ミュスカデだったんですけどねぇ。やっぱり、酸っぱすぎて売れないのかしら。「樽」と無縁なスタイルは捨て難いのだけれど。と言いながら、自分でもそんなに飲んでなかったなぁ。自業自得ということか。反省。
![]() Chablis 1997 (J. Moreau et Fils) 2,380円(北千住 樽屋) |
そんなことより、J. モローです。サントリーによれば、「シャブリ地区を代表する名門ワイン商」。その真偽はともかく、何故にJ. モローなのか。で、今回のテキスト。
★テキスト:ヌーボーに限ったことではありませんが、メーカーのクセを把握しておく方が有効です。(第6話 ボジョレ・ヌーボー)
前の2回で、ワインの味に関していかにブドウ品種が当てにならないかを説いたわけですが、一方で、それだけでは問題は依然として未解決なままです。つまり、では、何を指針にワインを選んだらいいのか。ブドウ品種が期待できないとすると、状況は一層混沌を極めるのではないか。ごもっとも。しかし、究極的な回答を申し上げれば、ワインを飲み続ける理由は、まさにそこにこそあるのではないかという気がするのです。飲むべきワインが決まってしまったら、ワインを飲むことはあるにしても、飲み続ける必要はないわけでして……簡単に言うと、わからないから面白い、飲む。だから、ブドウ品種なんていう単純なものでワインがわかっちゃ困るのです、飲み続ける理由がなくなってしまうから。幸い、事実としてもそんなことは決してないのですが。
![]() Vin de pays d'Oc Chardonnay 1997 (J. Moreau et Fils) 1,150円 (金町 やまに) |
しかしながら、何かに頼りたいのも、また事実。そこで、生産者に注目したいのです。頑固というか、不器用というか、当然というべきか、同じメーカーのワインには結構、似た印象を受けることが多いのです。前回取り上げたモメサン社のことを思い出してください。ピノ・ノワールもカベルネ・ソーヴィニョンも軽快な感じだったではありませんか。ジョルジュ・デュブッフのワイン群も華やかな果実味が強調されています。しかし、何と言っても、このJ. モロー。「本業の」Chablis 1997と、「片手間(?)の」Vin de Pays d'Oc Chardonnay 1997 を飲み比べてみてください。シャブリは高価で申し訳ないですが。笑えます。ほとんど同じ味です。なんで価格が倍以上なんだろう? それだけシャブリのコスト・パフォーマンスが悪いということでもあるんですが。それはともかく、この例は極端にしても、生産者のクセを知っておくことはワイン選びの上で役に立ちそうです。ただ、その数は膨大ですから、「ワインのわからなさ」は解消されるとは思いません。しかし、そこが面白いのですね。
ところで、全く関係ありませんが、5、6年前まで新宿三越の地下にあったオイスター・バーについて、消息をご存知の方、ご一報下さい。正直なところ、私の関心事はJ. モローよりも、実はこっちです。
ムーディ・ブルーズ関連の検索をしていた方(あんまりいらっしゃらないと存じますが)、ごめんなさい。『子どもたちの子どもたちの子どもたちへ』(1969)と『童夢』(1971) というふたつの傑作に挟まれて忘れられがちですが、両者に勝るとも劣らない、1970年の名盤 "A Question Of Balance" とは何の関係もありません。でも、そう言えば、去年リリースされた、8年ぶりのスタジオ・アルバム "Strange Times" は彼等の健在ぶりを示してくれるはずだったのですが…… ん~、ジョン・ロッジが。どうしたんだい、ジョン。そりゃないよ、ジョン。どうしてくれるんだ、ジョン。頼むよ、ジョン……おっと、これは「CD日記」ではないのだった(「CD日記」にムーディーズが登場するとは思えんが)。
![]() intners Blend California Zinfandel 1996 (Ravenswood) 1,990円 (東向島 石井酒販) |
そうではなくて、今回はいきなりこれを飲んでいただきましょう。すなわち、Vintners Blend California Zinfandel 1996 (Ravenswood社)。ラベル中央の、一見サッカーボールのような塊をよく見ると、3羽のカラスが輪になっている。"raven"が「わたりがらす」を意味するからだ。それにしても、不吉とされる大烏をよく起用したものだ………… おっと、これは「今月のトリ」ではないのだった。
そうではなくて、前回に続いて、ちょっと高価で恐縮ですが、今回は一本なので、お許しを。日本では「安くてうまい」地位をすっかりチリ・ワインに奪われてしまいながらも、今ではそんな事はおくびにも出さず、何事もなかったかのように高級指向に傾いている感のあるカリフォルニア・ワイン。その中にあって、レイヴンズウッド社はジンファンデル種の名手と目されています。それでもこれは、カリフォルニア中の栽培業者から買い叩いた(?)ブドウで作っているので、ここのものとしては、廉価版。自社畑で手をかけて作られるものは、倍額ではききません。
ところで、ジンファンデルですが、ほとんどカリフォルニアでしか栽培されていない品種だそうで、定説では、「多種多様なスタイルのワインができる」とされています。が、そんなのはどの品種にも当て嵌まるということは、前回までで示したとおり。そうしたイメージが強いのは恐らく、「ホワイト・ジンファンデル」という甘口ロゼが以前に流行ったためでしょう。しかしながら、基本的には赤ワイン用ブドウで、味は………… いやいや、飲んでいただくのが早い。
飲みましたか? 美味しいでしょ? ならばテキストへ。そうでなくても、テキストへ。
★テキスト:飲んだ瞬間に、美味しい~、と思うワインがあります。大柄で、味のはっきりしたタイプが多いようです。(第3話 「美味しい」ワイン)
好悪はともかく、ジャムのように凝縮された果実味とか、強いアルコールとか、全体を覆い尽くす甘さとか、非常に強く感じられると思うのですが、いかがでしょう? 濃厚で、圧倒的ですらあります。「ビッグ」とか「リッチ」とか評されることが多いのですが、「大柄で、味のはっきりしたタイプ」というのはこういうワインを指しているのかとわかっていただければ、それで十分です。このワインでなくても、カリフォルニアのカベルネ・ソーヴィニョン、特にリザーブ(通常より樽熟成を長くしたもの)あたりでも似たような印象を持つことができると思いますので、是非、試してみてください、ここは重要ですから。
さて、そこで、「クエッション・オブ・バランス(バランスの問題)」です。が、時間ですので、今日はここまで。(つづく)
前回からの続きです。話はカリフォルニアのレイヴンズウッド社のジンファンデルを飲んで、「ビッグ」なワインを体感していただいたところまで進んだのでした。ところで、これは、最近の果物がやたらと甘いことや、ファミリー・レストランの味付けが濃いことにも関連するのですが、どうも派手な味が「美味しい」とされる傾向があるようです。
ある面ではわからないではありません。美味しいワインがあったら、どうして美味しいのかと追究したくなるのが、知性を備えた人類の性だからです。具体的には、例えば、香りは華やかな方がいいだろう、酸っぱいより甘い方が飲みやすい、樽香をつけた方が高級感が出る……と、良かれと思う要素をより多く、より強く詰め込もうとするのではないでしょうか。醸造技術の発達もそうしたことを可能ならしめたと思われます。科学的なワイン作りに積極的な、カリフォルニアやオーストラリアなどの、いわゆる「ニュー・ワールド」ものに「大柄な」ワインが多く見受けられるのも偶然ではありません、多分。
けれども、もうすでに薄々勘付いておられることとは思いますが、この手合いは「くどい」とも言えそうだ、というのが私の主張です。私はひとりで、こうしたワインを「観念化された」と形容しています。先のワインがそうだというわけではありませんが、はっきり言ってバランスを欠いているものも散見されます。過ぎたるは及ばざるよりもタチが悪い。無粋です。ワインの粋はバランスにあるのです。
では、「バランスがいい」とはどういうワインか?とやると、言葉を置き換えただけで同じことの繰り返しになってしまいます。そこで、視点を変えて、どういうのが「バランスが悪い」のかを考えることにしましょう 。上述のように、人の手で捏ねくりまわされた、妙に人工的なものに問題があるような気がしています。別に醸造技術の進歩を否定しているのではありません。技術の進歩はむしろ大いに喜ぶべきことです。しかし、その技術でワインをコントロールできるとまで考えるなら、傲慢です(余談ですが、ほぼ一年中咲いている、しかし繁殖力のない、どぎつい色の花を開発しているのが、サントリーだというのも何となく象徴的です)。これは何も生産者に限った話ではありません。ブドウ品種の味を誘導しようとしている販売者や、最善のコメントをすればワインを表現し尽くせると信じている飲み手も同じ穴の貉。ワインが私たちの計算のうちにあると暗に認めているからです。しかし、ワインの懐は深いということを肝に銘じておきましょう。ひとの都合にワインを無理矢理合わせるのでなく、ワインの都合にひとが従うべきなのです。
![]() Medoc CUVEE de la COMMANDERIE du BONTEMPS 1995 2,370円(金町 やまに) |
このように考えてみると、バランスを崩しているのは、「観念化された」ワインも然ることながら、それよりもむしろ、ワインに対する考え方自体なのではないでしょうか。そうした考えを戒めるためにもMedoc CUVEE de la COMMANDERIE du BONTEMPS 1995 を飲んでみましょう。ある雑誌のブラインド・テイスティングではほとんど評価されなかったワインです。ですから、酸っぱいです。でも、
★テキスト:一本のワインでも、ワイン全体として見ても、いろいろな味があるから面白いわけです(第5話 「甘い」ワイン)
から、謙虚な姿勢でワインに臨みましょう。私たちにできるのは、せいぜい、このワインをどう活かすのかを考えることぐらいですが、コメントの言葉を探すよりも遥かに意味があると思います。とにかく、ちょっと心を開いてみてください、それが始まりです。
![]() 肩ラベル。"AIR CARGO"と "1990"の文字が燦然と輝く。 トリコロールの飛行機雲も。 |
★テキスト:えっ? だから、どういうワインが「わや」なのかがわからないって? いや、だからこそ、それ故に、飲み続けるのです。戯れるのです。(第1話 「わや」なワイン)
南半球のヌーボーが出回り始めたときに何ですが、今回はボジョレ・ヌーボーを取り上げさせていただきます。解禁日に飲むのが価値が高いと力説しました〈「ワインのおはなし」第6話〉が、10年前(後?)のヌーボーを前にしたら、話は別です。そうなんです。あったんです。Beaujolais Nouveau 1990 (Robert Sarrau社)。ここでは、なるべく手に入りやすいものと心掛けてきましたが、今回は勘弁してください、これほど「わや」さ〈第1話〉に期待のかかるワインは滅多にありませんから。因みに、まだ5本はありました。ご興味ある方は訪れてみては? しかし、4,800円は痛い。恐らく、当時の値段そのままでしょうが、バブリーな価格です。
![]() Beaujolais Nouveau 1990 (Robert Sarrau) 4,800円 (水元 まるしょう酒店) |
で、どうなのか。結論から言うと、期待はずれ。飲めてしまいます。さすがに、あのヌーボー独自のバナナ香はありません。その意味では、ヌーボーとは言えません、すでにどの意味でも違いますが。しかしながら、赤褐色に変化し、なおかつ、熟成香、すなわち心地よい酸化臭〈第2話〉を漂わせて、結構な貫禄です。ここまでは、コート・ドールのグラン・クリュ並みと言えましょう。味の方はちょっと果実味が弱く、酸味が勝ち気味で崩壊寸前といったところ。でも、完全崩壊まではあと10年かかるかもしれません。まぁ、探してまで求めるものではないにしても、忌み嫌うこともないのでは。いずれにしても、「わや」と言うには程遠い、と思いますが。
ボジョレ・ヌーボーが10年経ってもそこそこやれるというのは興味深いのですけれども、それ自体としては些細なことでしかありません。この事実から得られる最大の教訓は、その味よりもむしろ、やっぱりワインは開けてみなければわからないということ。欲を言えば、一本空けたい〈第3話〉のですが。ともかく、瓶の外からでは味わうことはできません。そんなこと当たり前と思われた方、ちょっと待ってください。さすがに今ではワインを甘い飲み物と思っているひとは少ないでしょうが、甘めぇワインなんか飲めっかぁ!と粋がっているひとはまだ多いようです。しかし、甘口ワインもいろいろあります。甘いから飲まないというのは、瓶の外から味わっているようなものではないでしょうか〈第5話〉? それにもまして世に蔓延しているのが、何と言っても、ブドウ品種の思想でしょう。確かに品種はワインを飲む上で役に立ちます。けれども、そのわかりやすさにかまけてそればかりに頼るのは本末転倒、言語道断〈第4話〉。赤ではカベルネ・ソーヴィニョン、白はシャルドネが最高品種と思いこんでる方、特にご注意を。
では、どうすればいいのでしょうか? そこで、テキストです。そうです、戯れるのです。ヴ・ヴィーノ(ワインの中へ)! もっとワインに寄り添う覚悟が必要です。これは見た目以上に難しく、私たちは知らず識らずのうちに、「頭」や先入観で接しがちです。しかし、まず、栓を抜いて飲んでみましょう。それで、美味しかったら、出会った僥倖を喜びましょう。まずかったら、まぁ、お好きなように。どちらにしろ、考えるのはそれからでも遅くはありませんし、それからでしか、考えてもあまり意味はありません。
(白水社総務部、東京都葛飾区在住)











