
自分で言うのもおかしいが、無謀なことである。哲学を専門でやっているのでもないわたしが、ベルクソンの個人訳全集を出そうというのだから。今から四十年も前、仏文の修士課程に進学したときのことだ。何をやるのかと聞かれて、マラルメをやりたいと答えた。わからなさの魅力がわたしを惹きつけていた。そのときの指導教官の言葉─―難しいのを選んだね、をいまさらながらに思いだす。
ベルクソンは、わたしにとっては、魅力的な文人、人生の友である。わかった、と思えたときはこのうえなく幸せな気分、わからなくても読むだけで気持ちいい。わたしは自分勝手なベルクソン読者であったが、それが、今回の企画に繋がっている。
同じスタイルの日本語(といっても私のつたないそれだが)で、ベルクソンを読む楽しみを、日本の読者に提供したい。それが、わたしをこの無謀へ走らせたほとばしるような思いである。構えることはない。好きなところから入って、好きなところで休み、いやになったら出てもらえば、それでよい。また戻ってきてもらえれば、もっとよい。それが、訳者のささやかな夢、ちいさな望みである。