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フィリップ・フォレスト著/澤田 直 訳
さりながら
| 税込価格 |
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2520円
(本体価格2400円)
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| ISBN |
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978-4-560-09215-6 |
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喪失の世界を生き延びるために―― |
| ジャンル |
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文学/小説 |
| 体裁 |
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四六変型 半上製 282頁 |
| 刊行年月 |
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2008-10 |
| 内容 |
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パリ、京都、東京、神戸……これら四都市をめぐり、三人の日本人――俳人一茶、小説家漱石、写真家山端庸介――の人生に寄り添いつつ、喪失・記憶・芸術について真摯に綴った私小説。
すべての想い出はいつか消え失せる。そして夢ばかりが残る。夢しかなくなったとき、ひとは人生の憂いを夢に託すことになる。 やがて、私は何も想い出さなくなるだろう。何も。かつて夜ごと眠ろうとすると甦ってきたあの物語のほかは何も。──本文より

喪失の世を生き延びるために―― 本書のタイトルは、小林一茶の有名な句からとられている――「露の世は 露の世ながら さりながら(この世は露のように儚く、虚しい。そうではあるのだが……)」 幼い娘を小児癌で喪った〈私〉は、忘却と記憶の間を彷徨うようにパリ・京都・東京・神戸を旅する。本書は、これら四都市を巡る短い章に挟まれ、〈私〉が深い共感を覚える三名の日本人の肖像(それぞれ三十一の断章形式)が展開される、エッセーと小説の間をたゆたうような不思議な魅力を湛えた作品である。俳人一茶、作家漱石、そして原爆投下翌日の長崎に赴き現地の惨状を記録した写真家山端庸介——彼らの物語に通底するのは子どもの死を悼む風景だが(一茶と漱石はともにわが子を亡くし、山端は数え切れないほどの子どもたちの死を目撃している)、また同時に、死と狂気の狭間を生き延びる芸術家たちの生が活写されている。 愛する対象を喪ってなお、人はどう生きながらえることができるのか? これら三人の人生に寄り添いながら、夢を漂うような穏やかで流麗な文章のなかで、〈私〉はこの苛烈で不可能な問いを反復しつづける。
フィリップ・フォレスト Philippe FOREST- 1962年パリ生まれ。パリ政治学院卒。文学博士。
現在、ナント大学文学部教授、比較文学の教鞭をとる。シュルレアリスムやテル・ケルについて、また大江健三郎をはじめ日本文学についての卓越した批評家でもある。自伝や私小説などに関しても独創的で鋭い考察を重ねている。 主な著作にPhilippe Sollers(フィリップ・ソレルス)、Histoire de « Tel Quel »(〈テル・ケル〉派の歴史)、La Beauté du Contresens et autres essais sur la littérature japonaise(取り違えの美しさ──日本文学論)など。また幼い娘の死をきっかけに、小説にも着手するようになる。小説第一作『永遠の子ども』(邦訳、集英社)でフェミナ賞処女作賞、また本書で12月賞を受賞している。最近では、ガリマール社のArt et Artistes叢書の一冊として、写真家荒木経惟論(Araki enfin)を上梓した。
訳者:澤田 直(さわだ なお)- 1959年、東京生まれ。パリ第一大学哲学科博士課程修了(哲学博士)。
立教大学文学部教授。フランス現代思想、フランス語圏文学。 主要著書 『〈呼びかけ〉の経験 サルトルのモラル論』(人文書院)、『新・サルトル講義 未完の思想、実存から倫理へ』(平凡社新書) 主要訳書 ジャン=ポール・サルトル『言葉』『真理と実存』(以上、人文書院)、ドナルド・D・パルマー『サルトル』 (ちくま学芸文庫)、ジャン=リュック・ナンシー『自由の経験』(未来社)、フェルナンド・ペソア『不穏の書 断章』『ペソア詩集』(以上、思潮社)、アブデルケビール・ハティビ『マグレブ 複数のトポス』(共訳、青土社) *データは刊行時のものです |
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