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斎藤完「“かじり言語”の甘味と苦味」 ―2003.07.11
2002年11月、ぼくは単身、ギリシアに来ていた。 トルコ音楽を研究しているぼくは、ひょんなことからトルコの「宗教的ないし民族的少数者」アレヴィーの調査団に加わった。ギリシアにはトルコ系住民が全人口の約1%おり、さらにそのうちの5%がアレヴィーであると目されている。なんとも「重箱の隅」な話ではあるが、そんなわけでぼくはギリシア第二の都市、テッサロニキに数日滞在することになったのである。この街は昔、オスマン・トルコ帝国の一部で、トルコ共和国建国の父アタテュルクもこの地の出身だ。 しかし、トルコ馴れした目で見ると、今のテッサロニキは紛れもないヨーロッパであることがわかってくる。モスクがないとか、黒ずくめのギリシア正教の修道士が風を切って闊歩しているとか、そういった表層的なことを言っているのではない。ゴミが散乱していないとか、物乞いがいないとか、そういう超表層的なことを言っているのである。 ぼくはこの滞在をけっこう楽しみにしていた。じつは、外国語をちょこっとかじって、それを現地で使うことが好きなのだ。この「かじり言語」を趣味と呼んでも構わないかもしれない。 そこで便利なのが『エクスプレス』シリーズ(白水社)。 いや、べつに寄稿させてもらったから義理立てしているわけではない。ウソだと思うなら、ウチに来てもらいたい。半分くらいまでかじった『エクスプレス』5冊をお見せしましょう。 とにかく、そんなわけでギリシア行きが決まってから、ぼくは約1ヶ月間『CDエクスプレス・現代ギリシア語』のオウム返しにひたすら励んだ。 「ぼくも1枚欲しいな、アキラ」「ぼくも1枚欲しいな、アキラ」「ぼくも1枚欲しいな、アキラ」…… 「アキラ」は多くの課に顔を出す。その結果、ぼくは最愛の恐妻則子さんをはるかに越える回数、この男の名を口にした。もはや他人とは思えない。 結局、生のギリシア人にギリシア語をぶつけるまでには、第11課「アキラの家族」が終わっていた。 外国語修得では、初学者が越えなくてはいけないハードルがいくつもある。初級ギリシア語で言えば、たとえば定冠詞がそれである。名詞には男性、中性、女性と性があって、さらにそれらは単数形と複数形の別で倍増する。また、主格、属格、対格によって形が変化する。 やってらんねえよ。 そう思ったあなたは正しい。「かじり言語」ではそんな七面倒くさいことをやってはいけない。外国語で自分の欲望を伝え、相手が言いなりになってくれればそれでいいのだ。相手の言うことを聞いたりすれば、それは「かじり言語」道に反する。聞いていいのは名前と時間だけだ。 そんなわけで、ぼくの欲望は郵便局で一方的に炸裂する。 「日本までの切手が欲しいのですが」 第8課「郵便局で」のフレーズだ。しかし、これをこのまま使うと必ず痛い目を見ることになる。「ハガキですか? 手紙ですか?」「何枚ですか?」といった内容が、予想もつかない文体で襲い掛かってくるからだ。 「日本までの切手が欲しいのですが。私はハガキを5枚持っています」 こう訴えるのが正解だ。 すると、潮風と日光にお肌を痛めたおばちゃんが面倒くさそうに切手を5枚くれる。 ゲッチュ! 胸の内で意味不明な歓声があがり、あまりの嬉しさにヨダレが垂れそうになる。 こんな感じで「かじり言語」は売店や食堂やバスの中で繰り返され、ぼくはこの地の滞在を心ゆくまで楽しんだ。 さて、「かじり言語」には失態もつきものである。「かじり言語」で値段交渉をすると、普通に外人をやっているときよりも高額に値段が決まってしまったり、限られた単語で自分を紹介するものだから相手に「アヤシイやつ」と思われたりすることがある、とぼくは経験から学んでいる。 テッサロニキ最後の夜。ぼくはホテルの人に教えてもらって、近くの地元民が集う大衆的なバーへ行った。 ドアを開けると、タバコの煙が充満し、男たちが各テーブルで楽しそうに話に興じている。ほぼ満席だ。飾り気のない店内。木目を生かしたこげ茶色の厚手のテーブル。男たちは揃いも揃って声が大きく、豪快さを感じさせる。着古したように見えるセーターにも味がある。ぼくはこの地が港町だという理由だけから、彼らを海の男たちと決めつけた。 店員がやってくる。英語で「何をお飲みになりますか、サー」と尋ね、ぼくは「アムステル、パラカロー」とビールを注文する。 海の男たちは陽気にビールやギリシアの地酒ウゾを流し込み、ぼくはこの雰囲気にほろ酔いする。 2本目のビール瓶が空きかけたとき。ぼくは耳からある新しい単語を学んだ——「マラカ」だ。みんな口々に互いのことを「○○○○、マラカ」「××××、マラカ」と呼び合っているのに気がついたのだ。その表情がたまらなくいい。厳しい海で培われた男同士の熱い友情がその言葉に凝縮されているかのようだ。それは真の意味での「おお、マイ・ベスト・フレンド」に違いない。 「サー、もう1本、お飲みになりますか?」 空になった瓶をつまみ上げ、店員が英語で尋ねる。 海の男が集うこの店で、サーはないでしょう……。 それが接客用語として学んだ英語であることを差し引いても、ぼくには不満だった。たしかにぼくは通りすがりの旅行者だ。でも、「サー」が醸し出す他人行儀さが、ぼくを悲しいような物足りないような気分にさせた。 そっちが心を閉ざすのなら、こっちから開いてあげましょう。それに、うまくすれば仲良くなって「マラカ割引」があるかもしれない。 「ネ、マラカ」 ぼくは海の男らしさを前面に押し出しつつ答える。 その瞬間。店員は教育者のような目になった。 「サー、私はマラカではありません。マラカとは——」 ——これに該当する日本語は見当たらない。「マラカ」を意味する英語を辞書で引くと、《卑》が冠されている。そう、人前では用いないほうが良いとされている下品な言葉、それがマラカであった。ここまで言ったのでぶっちゃけると、「マラカ」とは「マザーファッカー」その人であった(人じゃないけど)。 まあ、場面が場面だっただけに被害は小さかったが、違うところで口にしていたら、あやうく神話のネタになるところだった。とにかく、だ。聞きかじった言葉には要注意。それとも「言語はよく噛んで呑み込んでから使うべし」を教訓にしたゼウス様のイタズラだったのだろうか? (筆者=民族音楽研究者) |
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