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中島岳志「変貌するインド社会とヒンドゥー・ナショナリズムの台頭」 ―2003.11.11

「インド」と聞くと、我々はどのようなイメージを思い描くであろうか?

 概ね「ガンジス川で沐浴をする人々」に代表される悠久の大地のイメージと、「貧しい物乞い」に代表される貧困のイメージが、日本人の抱くインド像の典型であろう。しかし、インドは近年、1991年の市場開放以降、急激な経済発展を遂げてきており、デリーやムンバイのような都市では先進国と変わらないような光景が見られるようになってきている。

 街中を歩けば、ジーンズにTシャツ姿の若い男女が携帯電話を片手にオープンカフェでコーヒーを飲んでいる姿を頻繁に目にする。ビジネスマンは暑い中、スーツにネクタイ姿で忙しそうに営業先を廻っている。子供たちも危ないソトでは遊ばず、エアコンの効いた家の中でテレビゲームに熱中している。日本人が想起するインドイメージとは大きくかけ離れた現実が、現在のインドの都市社会では展開しているのである。

 大衆消費社会の発展に伴い、都市中間層のライフスタイルも大きく変化した。都市中間層の間では核家族で両親共働きというスタイルが定着し、電化製品の普及や外食産業の発展によりサーヴァントを雇う必要もなくなってきた。ビジネスマンの多くは朝早く郊外の邸宅から自動車で出勤し、夜遅くに帰宅するという生活サイクルを繰り返し、子供たちの受験勉強のための塾通いなども一般化しつつある。

 このようなライフスタイルの変化に伴って、都市における地域共同体の連帯は急速に希薄化していった。また、多忙を極める仕事や受験勉強などによる精神的ストレスの問題が急速に広がり、「経済的豊かさ」だけでは満たされない宗教的・スピリチュアルなものへの関心が高まっていった。この流れは、ヨーガの見直しやベジタリアンの増加、ヒンドゥーの宗教音楽をヒーリングミュージックとしてアレンジした音楽CDの市場拡大、新宗教やニュー・エイジ系諸団体の活性化などへとつながった。

 さらに、広範なヒンドゥー復興現象も顕在化してきた。都市郊外の大型ヒンドゥー寺院への参拝客は年々増加の一途をたどり、聖地を廻る巡礼ツアーは各地で人気を博すようになっている。また、都市におけるヒンドゥーの祭礼が消費主義と結びついて再活性化し、年々大規模なものとなっている。さらに、都市の高級住宅地に住む裕福な人が、ビジネスで築いた資産を寺院建設のために寄付したり、子供が成長し時間の余裕ができた女性がヒンドゥー慈善団体のボランティア活動に参加する姿なども目立つようになってきている。

 このような新たなヒーリングブームやヒンドゥー復興現象を担う中間層は、過度の消費主義への反省的志向や「豊かさ」を充足したが故に発生する存在論的問い・悩みから発生する新たな現代的問題を抱えている。彼らは「如何に生きるべきか」「私の存在とは何か」といった根源的なアイデンティティの問いを発し、それを掴もうとして彷徨っているのである。ただし、彼らは「経済的豊かさ」を全面的に否定し、それを放棄しようとしているわけではない。彼らは、過度の拝金主義や消費主義には否定的な態度を示す一方で、適度な「経済的豊かさ」を享受しつつ、精神的にも文化的にも豊かな生活を送ることを志向している。彼らは大衆消費社会が定着した都市生活において、包括的な豊かさを獲得することを目指し、その一環として宗教やスピリチュアルなものを見直そうとする傾向にある。

 そして、このような志向性が、現代インドのヒンドゥー・ナショナリズムの拡大につながっている。ヒンドゥー・ナショナリズムとは1980年代から徐々に高揚してきたムーヴメントで、日本では「ヒンドゥー至上主義」と呼ばれることが多い。この潮流は1991年の経済自由化以降、さらに拡大化を続け、ついに 1998年にヒンドゥー・ナショナリズム政党であるインド人民党(BJP)が中央政府の政権を奪取した。現在の首相であるA・B・バージパーイーは、このヒンドゥー・ナショナリズム運動を牽引する民族奉仕団(RSS)が排出した人物である。

 現代インドで大きな勢力を築いているヒンドゥー・ナショナリズム運動は、イスラーム教徒やキリスト教徒に対する攻撃的な姿勢を鮮明にし、数々の暴動事件を引き起こしてきた。そのため、多くの人間の目には、彼らの存在が一律に危険で狂信的な暴力主義者の集団と写る。また、世界中のメディアがそのような暴力的場面ばかりをクローズアップして伝えることで、人々の間にヒンドゥー・ナショナリストの粗暴なイメージが浸透している。しかし、一方で、彼らの日常の活動は貧困地区などで行う教育や医療、衛生事業などが中心であり、政府が十分な公的サービスを提供できない中、ヒンドゥー・ナショナリストたちのボランティア活動は階層を越えて広範な支持を受けている。また、この運動に近年新たに加わる中間層の若者の多くは、「如何に生きるべきか」という切実な問いをもっており、自己実現の一環としてこの活動に参加している。彼らには排他的な暴力主義者としての側面は見受けられない。

 この落差こそが、現代インドの抱える問題を象徴している。

 経済的な豊かさだけでは精神的な充足感を得ることができないという問題に直面した多くのインド人は、新たに「ヒンドゥー的なるもの」に拠り所を見出そうとしている。そのような志向性が広範な宗教の再活性化を生み出している反面、それが多くの部分で政治的なヒンドゥー・ナショナリズムの運動へと回収されていっている。もともとは「自己は如何にあるべきか」「私の存在とは何か」という存在論的アイデンティティを希求してヒンドゥーの精神を見つめ直そうとした人たちが、いつの間にか他宗教に対する排他的な態度をとる政治的アイデンティティの闘争に取り込まれてしまっているのである。

 自己の存在論的アイデンティティと密接な関係をもつ宗教的価値を見つめ直しながらも、それが排他的なアイデンティティ・ポリティクスに回収されないような共生のあり方を現代インドは模索することができるのであろうか。インドは今、試練のときを迎えている。

(筆者=京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)

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