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市之瀬敦「気になる言葉から、こだわる言葉へ」 ―2004.01.11

 ポルトガル北東部、ドーロ川を挟んでスペインと国境を接する街ミランダ・ド・ドーロを初めて訪れてからもう20年近くになる。あの頃に比べれば、国境の存在意義もだいぶ薄れたはずだ。たった一泊の短い滞在、午後に到着し、翌日の早朝には出発するという慌しい旅だった。当時からすでに私は、「少数言語」に関心があった。ポルトガルの辺境に残る、ポルトガル語の方言ではないのにポルトガル領土内の「土着」の言語であるミランダ語に興味を抱いていた。残念ながらその旅ではミランダ語を耳にすることができず、博物館の女性学芸員の優しい笑顔とミランダ語で書かれた小冊子だけが旅の成果となった。しかし中心的な研究テーマになることはなかったものの、以来ずっとミランダの言葉もその土地もどこか気になる存在ではあった。

 昨年どうしてもミランダ・ド・ドーロに行かなければならない事情が生じ、9月上旬に予定していたポルトガル旅行の日程にまたしても小さな旅を組み込むことにした。ワインとサッカーで知られる北部の港市ポルトからバスに揺られること5時間、終点ミランダの広場に着く。ポルトからミランダまで「完走」したのは私一人だけ。以前と比べ、道路の整備も進み、山間部を走る一時間くらいを除き、きわめて快適な旅だった。ちょっと贅沢をして、かつての城や宮殿跡を改装し宿泊施設に変えたポザーダに泊まることにしたが、ベランダからは、ドーロ川沿いに屹立する高い岩壁、そしてダムが目の前に見えた。私はバスの長旅による疲れを癒すために、ビール片手に優雅な気分で飽きもせずしばらくの間、その壮大な景色を眺めていた。

 街の中心ジョアン3世広場にはミランダ郷土博物館があり、学芸員に20年前と同じ質問をしてみた。「この辺りにミランダ語を話せる人はいますか?」。ミランダ・ド・ドーロ市内にはミランダ語話者がいないことは研究論文などにも書かれていることだが、最近は市内にも話者が暮らすようになり、ミランダ・ド・ドーロもミランダ語地域に含めても良いのではないかという主張も散見されるようになっている。だが、答は「周辺の村に行けば老人たちがまだ話していますよ」というものだった。道行く老人や警察官にも同じことを訊ねてみたが、やはり同様の答しか返ってこなかった。ミランダ語話者は誰もがポルトガル語を話し、地理的にスペインに近いためスペイン語を話せる人も多い。実際、物価の差を利用してミランダ・ド・ドーロに買い物に来るスペイン人旅行者の姿を見ることは稀ではない。市内ではミランダ語は聞けなくとも、スペイン語はいくらでも耳に入ってくるのだ。

 さて、私はがっかりしたものの、気を取り直し、タクシー乗り場へと向かった。ポルトガルでも最近増えてきた女性ドライバーに、「ミランダ語を聞きたいので南隣のドゥアス・イグレージャス(ミランダ語では、ドゥエス・エイグレイジャス)村まで連れて行ってくれませんか」と頼むと、快く引き受けてくれた。EU加盟がポルトガルにもたらした大きな恩恵の一つ、きれいに整備された道路をゆったりと走り、間もなく村に入る。さっそく、道行く二人の老婆に、ジョゼフィーナさん(ドライバー)がミランダ語を話せないかと訊ねてくれた。一人はポルトガル語のモノリンガル、もう一人は話せると言ったが時間がないからと、やんわりと断られた。確かに重そうな荷物を持っており、これから昼食の準備があるのだろう。でも、「おしゃべり好きなエレーナ婆さんのところに行けば話をしてくれるはずだから、今すぐ家に行ってごらんなさい」と言われ、目的地へと向かった。ジョゼフィーナさんはこの村の地理にも詳しく、すぐにエレーナ婆さんの家を見つけてくれたが誰もいなかった。近くでカフェを経営する一家に訊くと、彼女は病状が思わしくなく、自宅にはいないとのことだった。

 私はさらに落胆したものの、ジョゼフィーナさんはあきらめず、タクシーを走らせ、道路沿いの小さなカフェへと私を導いた。そこには一人の老人がいた。ジョゼフィーナさんはその老人はミランダ語を話すと言ったが、彼は否定した。しかし、話し続けるうちにポルトガル語ではない言葉が口からこぼれ始めた。「ほら、ミランダ語ですよ!」。ジョゼフィーナさんがうれしそうに私に言う。ミランダ語話者は一般的に地元住民以外の人前でミランダ語を話すのを恥ずかしがるというが、この男性も同じ心理にとらわれていたようだ。名前を訊くとジョゼ・マリアだと答えた(ポルトガル語の名前である)。私はミランダ語がほとんどできないのだが、とにかく質問し続けると、彼もミランダ語に切り替わってきた。さらに、私が気づかないうちに、ジョゼフィーナさんが近くの別のカフェにいたというもう一人の男性老人を連れてきて、この人もミランダ語話者だといって紹介してくれた。こちらは最初から楽しそうにミランダ語で話してくれ、アビリオという名前、自分の身の上など、外国人でもわかりそうな内容の話を次々としてくれた。私はすっかり上機嫌になっていた。

「ミランダ語とポルトガル語は似たような単語がたくさんある。でも違いもある。たとえばポルトガル語でラパリーガ(若い女性)というが、ミランダ語ではラパッサだ。この辺りで娘を口説こうとしても、ラパリーガなんて言ってはだめなんだよ」。アビリオ老人はそう言って笑った。私もつられて楽しい気分になった。「もう明日にはポルトに戻るのか? 残念だな。時間があれば、もっといろいろ教えてあげるんだがな……」。こんな言葉を聞くと、ミランダの地を立ち去るのが惜しくなってきた。二人の老人の態度を見るとミランダ語話者はまだ純朴さを残しているように思えた。最初の出会いが良い形で終わってよかった。帰りのバスの車窓からミランダ高地の心和ませる風景を眺めながら、今回の旅の最大の収穫は、以前は気になるだけの存在だったが、この旅をきっかけに、ミランダの地はこだわるべき土地に、ミランダ語はこだわるべき言葉へと変わったことなのだと思った。

(筆者=ポルトガル語学)
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