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小田光雄「近代社と『世界童話大系』」 ―2004.11.11

 いわゆる昭和初期の円本時代は大正15年11月に刊行された『現代日本文学全集』(改造社)を始まりとして、翌年の昭和2年に『世界文学全集』(新潮社)が続き、さらに『世界大思想全集』(春秋社)、『現代大衆文学全集』(平凡社)、『近代劇全集』(第一書房)、『明治大正文学全集』(春陽堂)等が後を追うことで、1冊1円の予約出版全集物のブームを引き起こした。この円本は現在に至るまでの出版業界の大量生産、大量消費システムの原点ともいえるし、円本に抗して岩波文庫も創刊されたのである。円本時代は昭和四年まで続き、ありとあらゆる分野の全集物等が出版され、その数は三百数十種に及んでいる。そしてこれらの円本企画は戦後になっても模倣反復され、文学の分野に限っただけでも、多くの文学全集が各社から刊行された。したがって戦後の全集、双書、講座等も円本時代にその起源を求めることができる。

 この円本時代に出版された三百数十種のすべてを網羅するのは不可能であるが、せめて文学、思想関係だけでも、紅野敏郎の『大正期の文芸叢書』(雄松堂出版)のようなかたちで、書誌目録を作成してみようと考え、少しずつ集めてきたのだが、量の問題と出版史の資料不足に阻まれ、いつになったら実現できるのかわからない。他の書誌であれば、図書館やインターネットを利用したり、コピーをしてすますことができるのだが、円本は巻数が多いため、やはり全集を手元に置いて、内容を時間をかけて調べ、確認する作業が必要となる。古書の値段がそれほど高いわけではないが、それでも70年以上経過しているので、月報も含めた完本を揃いで収集することは困難である。

 それに加えて、継続して古本屋で円本を買い、読んだり調べたりしているうちに、これらの円本企画が昭和初期にいきなり百花斉放のかたちで出現したのではなく、前史があり、大正時代の出版物の中にすでにそれらが萌芽していて、円本時代もその反映であることに気づかされるようになった。これらの企画は円本時代に先駆けて予約出版され、同時代において強い文化的インパクトを伴って拡がり、様々な分野に大きな影響を与えたと思われるが、大正時代の書物の生産、流通、販売も含めた、それらの文化史的研究はこれからの課題であろう。

 ここでは、そうした円本時代に先駆けてオリジナルな企画を実現させたにもかかわらず、円本時代の書物の価格破壊ともいえる廉価合戦に敗北し、消滅してしまったと考えられる近代社と『世界童話大系』について記してみたい。もちろん鈴木三重吉の『赤い鳥』に代表される児童文学運動等の帰結でもあるが、円本時代の『日本児童文庫』(アルス)や『小学生全集』(興文社、文藝春秋社)も『世界童話大系』の影響下に企画されたのではないだろうか。

 近代社は創業、廃業年不明であるが、吉澤孔三郎という人物によって経営されていた出版社で、管見の限りでは近代社と吉澤孔三郎に関するまとまった言及を発見できない。最も大部の出版史料である『日本出版百年史年表』(日本書籍出版協会)をみても、出版物の記載はあるのだが、索引に近代社は掲載されておらず、昭和四年の『図書総目録』にもその名前は見当らない。しかしその出版活動は関東大震災以前から始まっていたようで、大正13年から昭和2年にかけて、『世界短編小説大系』(全16巻)、『近代劇大系』(全16巻)、『古典劇大系』(全19巻)、『世界童話大系』(全23巻)、『神話伝説大系』(全18 巻)といったいずれも大部の全集物を刊行しているが、古書市場でも完本揃いをみつけることは難しい。

 幸いにして、私はかなり前にこの『世界童話大系』を入手し、実物を目にしている。『世界童話大系』は日本の児童文学の通史や翻訳史でもほとんど言及されていないし、唯一まとまった紹介が瀬田貞二の『落穂拾い』(福音館書店)でなされているだけである。瀬田貞二は大正時代になって、柳田民俗学の影響を受けて、日本の昔話や伝説に関する発見と評価が高まり、それが朝鮮、台湾、琉球へと拡がり、さらに広く世界各国の昔話、伝説にまで及んだと述べ、次のように書いている。

 「ところで、以上のすべてを総合し、さらに集成した大規模なシリーズが、大正十三年から昭和二年にかけて、ひとりの真摯な学者の組織的な編集のもとに刊行されました。それは大型八百ページ前後の大冊を二十三巻つらねて、ほとんど世界各国をつくした昔話全集ともいうべきもので、今日に至るまで、それにくらべられる叢書を持ちません。すなわち、松村武雄監修、世界童話刊行会(近代社)発行の『世界童話大系』がそれです」。

 全23巻の内容を逐一記す紙幅がないので、訳者だけを記すと、金田鬼一、中村白葉、米川正夫、西条八十、日夏耿之介、青木正児、小山内薫、有島武郎といった豪華メンバーであり、それだけでもこの出版が一大プロジェクトであったことを示している。全体の内容について興味のある読者は講談社の『日本近代文学大事典』第6巻所収の全集等の「総覧」をみてほしい。だが瀬田貞二は最後に子どもの読書の対象ではなく、普及もしなかったと述べている。

 「『世界童話大系』本はこのようなものですが、この造本、解説その他に、子どもをして読ませる工夫はありません。挿絵も皆無です。ぎっしりつまった活字八百ページの大冊二十三巻は、畢竟子どものものではありませんでした」。

 この瀬田貞二の記述には多くの間違いがあり、円本時代も含めてだが、この時代の全集物を論じることの難しさを教えてくれる。おそらく瀬田は全23巻を見ていない。ページ数は各巻800ページではなく、それぞれ600ページから1000ページ以上に及び、挿絵のない巻もあるが、半数以上に魅力的な挿絵が入っている。さらに投げこみに記された数字から判断すると、予約購読者が1万人ほどいたことになり、かなり「普及」していたし、三島由紀夫や矢川澄子が子ども時代に愛読していたとの証言もある。『世界童話大系』は1980年代に名著普及会で少部数復刻されたが、すぐに版が途絶えてしまった。現在私が所蔵しているものをベースにして、ある出版社から新組みで「童話リバイバル」として、アンソロジーを刊行する企画が進んでいる。昨今の翻訳児童ファンタジーのブームの中にあって、翻訳児童文学の日本における初めての集大成はどのように迎えられるだろうか。

(筆者=評論家)

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