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降幡正志「言葉のしくみ」とジグソーパズル ―2005.05.11
「ことばはジグソーパズルに似ているかな」と思うことがある。「語」というピースを、その語の持つ凹凸のごとき一定の組み合わせにしたがって並べていくと、やがて「ことば」という一枚の絵が仕上がっていく、というように。 ジグソーパズルに様々なサイズがあるように、ひとくちに「ことば」と言ってもその意味するところは実に多様である。出来上がる絵は一行の文かも、一つのまとまった文章かもしれない。あるいは「○○語」と呼ばれる一つの言語全体を映し出すこともあるだろうとも思える。ただ実際には、どんな言語もその全体像を完璧に描き出すことはまず不可能であろうが。 ピースの一つ一つには何らかの模様が描かれていて、その模様のいずれもが何かを伝えようとしている。一片だけで言いたいことがはっきり伝わるピースもある。たとえ一つ二つのカタコトであっても自分の言ったことばが相手に通じると、言いしれぬ快感と「もっとがんばるぞ!」という気持ちが湧いてくる。 パズルの凹凸がピタリと合わさると絵柄の一部が浮き出て見えて、うれしくなり先を続けたくなる。いろいろと試していくうちに、一言二言の絵柄の断片がいくつもできていく。一片だけではわけのわからない模様も、他のピースと組み合わさることで具体的な絵柄が現れることもある。 そのうちに、断片でしかなかった絵柄と絵柄が結び付くことに気づく。より大きな絵柄が見えてくる。表現できる幅が広がっていく。 このような積み重ねを繰り返すことによって、徐々に、少しずつことばを習得していく。ときには、模様だけで判断してピースとピースをはめてみると、絵柄ができているように見えながらも凹凸の組み合わせにわずかな違和感を覚えることもある。作業を進めていくうちに勘違いだと自分で気づいたり、他の人から「そういう言い方はしないよ」と教えてもらったりして、軌道修正をしつつパズルの完成に向けて努力していく。 ジグソーパズルを完成させるまでには結構苦労する。ピースの数が多ければなおさらだ。根気と観察力、それにとてつもない時間が必要になる。はじめは、その言語を使いこなす姿を思い描きながら夢中になっていたつもりが、飽きたのか息切れがしたのか、途中で挫折して放り出し、挙げ句の果てに「あんな言語はとんでもない!」と責任転嫁(?)して、ひっくり返してぶち壊しにしたり。 もちろん、何もかも一緒というわけではない。ジグソーパズルのピースの凹凸は一定の組み合わせしか許さず、どのピースがどこに位置するかは固定されている。かなり以前に観た某クイズ番組によると、ジグソーパズルの凹凸のパターンは一種類しかないとか。それに対して、一定の場所に来るべき「ことば」のピースすなわち語は必ずしも一つに限らない。結び付きの規則が誤っていなければ他の語で置き換えることも可能になる。 また、「ことば」という絵の全体像はわずかながらも絶えず変化しており、ときに大きく姿を変えることもある。「ことばは生き物」というように、社会の変化や使う人間の意識の変化など様々な要因で言語は常に変化している。ジグソーパズルの絵は色褪せることはあっても基本的に変わることがないのだから、この点も大きな違いである。 もう一つ、ピースの数と語の数も大きく違う。ジグソーパズルのピースは数が一定で限りがあり、しかも絵のでき具合やピースの残り具合で作業の進展の度合いが目に見えてわかる。ところが、言語における語数は無限とも思えるほど膨大な量にのぼる。どんなに大きな辞書でも、その言語の語をすべて掲載することはできないし、仮にある時点でのすべての語彙を記載したとしても、その後次々と新しい語が現れる。それに、覚えた語数を明確に数え上げるのも容易ではない。言語習得の到達レベルの基準に語数をよく用いるが、この基準を定める作業も非常に困難を極める。 その他、違いを挙げればきりがなく、せっかくの喩えが台無しになりそうだが、それでも「ことば」とジグソーパズルは様々な点でイメージが重なり合うように思える。 今回、縁あって『インドネシア語のしくみ』なる本を執筆する機会をいただいた。「言葉のしくみ」というシリーズの一冊である。ところで「言葉のしくみ」を喩えるとしたらどうなるだろうか。 仮にジグソーパズルのピースだけをどっさり与えられて「とにかく完成させろ」と言われたとしよう。大海の中に救命具もつけず飛び込んだかのごとく、先行きが見えずもがき苦しむことになるだろう。「ことば」を学ぶうえで、到達の度合いがはっきり見えないことが一つの壁となる。努力して覚えても、本当にできるようになるのか、できるようになっているのかという不安が常につきまとう。 ジグソーパズルに取り組むときには、たいてい完成図を参考にするだろう。細かいことはさておいて、ことばの大まかな「しくみ」を漠然ながらも頭の中にあらかじめ描くことができれば、わずかかもしれないが言語学習につきまとう不安が和らぐのではなかろうか。「言葉のしくみ」は、完成図とまではいかないが、一つの言語の全体像を大まかにとらえたラフスケッチのようなもの、と言えそうだ。 ラフスケッチであっても、これから学ぼうとする言語の輪郭がおぼろげながら見えれば、学びやすさが違ってくるのではないか。すでに学んだことがあれば、パズルに取り組みながら自分なりに頭の中に描いてきたラフスケッチと重ね合わせてみて、描き手の違いから生じるズレに新たな輪郭を見出すことにつながるかもしれない。あるいは、たまたま手に取ったラフスケッチが気に入って、パズルを完成させるべく本格的に取り組んでみようかと思った人がいたとしたら、描き手としては望外の喜びとなろう。 (筆者=東京外国語大学外国語学部助教授)
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