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連載・エッセイ

渋谷豊「私の好きなダメ男たち」 ―2006.11.27

 以前、友人たちとダメ男の話で盛り上がったことがある。一体、究極のダメ男は誰なのか?──マノン・レスコーみたいな〈宿命の女〉ファム・ファタルにメロメロになる男や、酒に溺れる『聖なる酔っぱらいの伝説』的な男から、もともとダメな男、つまり〈生来のダメ男〉と呼ぶ他ないような男まで、いろんな人物がノミネートされたが、結局、意見が割れて、結論は出なかった。ダメ男のイメージはまさに十人十色で、しかも、この話題は皆ついムキになってしまうものらしい。

 私のダメ男ランキングで最上位を占めるのは、作家エマニュエル・ボーヴの主人公たちである。両次大戦間のフランスで活躍したこの作家が描くのは、生来型のダメ男ばかりだ。特にデビュー作『ぼくのともだち』のヴィクトールと、その続編とも言うべき『きみのいもうと』のアルマンがいい。どちらもしょぼくれた〈甲斐性なし〉で、かたや傷痍軍人年金で食いつなぎ、かたや四十歳過ぎの未亡人のツバメとして社会の片隅にひっそりと暮らしている。彼らが働かないのは、別段、主義主張があってのことではない。社会に背を向けるとか、既成の体制に反抗するとかといった反骨精神は微塵もなく、むしろ権威ある人の側にいると安心するタチで、だから小学校では先生の側がよかったし、軍隊では伍長の側、レストランならレジの側に座ることにしているという、何とも冴えないアンチヒーローなのだ。それに、実にせこい。『ぼくのともだち』の刊行直後、この小説のパロディーが匿名で発表されたが、それは主人公が爪を切った後、飛び散った爪を全て回収することが出来ず、「楊枝にするつもりだったのに!」と地団駄踏むという話だった。さすがに本物のヴィクトールはそこまではやらないだろうが、しかし、彼のせこさを象徴した話になっている。

 きっと、ヴィクトールやアルマンのような人間に眉を顰める人もいるだろう。が、幸か不幸か、私はこういう人間が嫌いではない。彼らのダメッぷりが、何故か、心の琴線に触れるのである。それに、普段は彼らを見て失笑するだけの人でも、何かのきっかけで心の張りを失った時には、ふっと彼らが身近に感じられることもあるのかもしれない……

 ところで、類は友を呼ぶというのか、ボーヴの生活圏、文学圏には、いろんなタイプのダメ男がまるで吸い寄せられたかのように集まってくる。いつか、そんな連中についてダメ男列伝を書きたいというのが私の夢なのだが、その時には、無想庵の名を欠かすことはできないだろう。武林無想庵──芥川龍之介を驚嘆させた程の博学多識にして、希代の生活無能力男。第一次大戦後、妻・文子を連れて渡仏したものの、慣れない異国暮らしでその生活無能力ぶりに拍車がかかり、やがて文子に呆れられ、裏切られ、「ばか勝」と罵ら
れる日々を送った(「ばか勝」とは、昔、文子の近所に住んでいた「のそッとした白痴」のことで、その男に無想庵が似ているというのである)。無想庵は失意の内に「コキュ(妻を寝取られた男)」の登場する自伝的小説を書きながら、一時、ベコン=レ=ブリュイエールに暮らすことになる。ベコン=レ=ブリュイエールというのはサン・ラザール駅から汽車で十分程のパリ郊外の駅の名前だが、まさしくこの駅周辺こそボーヴの生活圏であって、ボーヴはここに住み、ここを愛して、珠玉のエッセー『ベコン=レ=ブリュイエール』をものしたのだった。その彼の目に、尾羽打ち枯らした一人の日本人の姿が映ることもあったかもしれない、などと考えると、なかなか興味深いのである。

 ダヴィッド・ナミアスの名もまた逸することができない。このフランスの現代作家はまだ日本に紹介されていないようだが、ダメ男を描く腕は確かで、特に第二作目の『ミスター・アルト』が面白い。ミスター・アルトというのは、主人公アントワーヌが自分の電話につけた名前である。彼にとって、ミスター・アルト以上に大切な存在はない。というのも、この男、フランス版ダイヤルQ2にはまっていて、電話の側を離れられないのだ。Q 2のシステムは至って簡単。まず、伝言ダイヤルに自己紹介と自宅の電話番号を吹き込む。後は、その伝言を聞いたどこかの女性が電話してくるのを待つだけだ。相手を女だと思い込んで話していたら実はホモだった、等々のエピソード満載の小説なのだが、一番の見どころは、いつかかってくるとも知れぬ電話を待ち続けるアントワーヌの情けない姿だろう。彼はいろんな空想、妄想に耽りながらミスター・アルトと共に部屋に引きこもっている。そんなある日、彼は絶好の時間潰しの方法を知る。むろん、ボーヴである。彼は
ひたすらボーヴの小説を読みながら電話を待つのだ。ダメ男はダメ男を知る、の好個の例だと言えようか。

 ともあれ、こうして私の頭の中には、ダメ男の群がる〈ボーヴ星雲〉が形成されつつあるのだが、では、ご本家のボーヴにはダメ男のモデルがあったのだろうか。批評家の中には、ボーヴ作品の登場人物を「オブローモフ──19世紀ロシアの作家ゴンチャロフが創出した〈歩く無気力〉みたいな男──の第一次大戦後版」と呼ぶ人がいるが、そうした文学的源泉もさることながら、もっと身近にダメ男のモデルがいたのではないか、と考えると、真っ先に思い当たるのは、彼の父親である。

 ボーヴの父親はひどい男だったようだ。ロシア出身のユダヤ人で、パリに移り住んだ翌年に家庭を持ったのだが、地道に働くということを知らず、方々で借金を重ね、賭け事と女漁りに明け暮れていた。愛人ができてからは、家庭を顧みることもなかったという。といっても、〈悪党〉と呼ぶ程の凄みがあるわけでもなく、ただズルズルとだらしなくその日暮らしを送っていたというのが実状らしい。まさに、ボーヴ作品の主人公のような男だったのだ。それにしても、もし本当にボーヴが父親を頭に浮かべながらダメ男小説を書いていたとするなら、ちょっと痛ましいような話ではある。

 余談ながら、数年前、私はボーヴが誕生した時の出生届を目にする機会があった。姓の欄を見ると、そこにはミッシェルと記されている。これは母親の旧姓である。欄外の書き込みなどから推測すると、まず私生児として届が出され、半年ほど経ってから父親が認知したということらしい。ダメ男なりに、悩んだ挙げ句、責任をとったということだろか。この父親に、最後まで〈知らぬ存ぜぬ〉を決め込む程の度胸があれば、ボーヴという名の作家がこの世に存在することもなかっただろう。

(筆者=信州大学助教授)

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