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川上洸「歴史ノンフィクション翻訳雑感」 ―2007.01.11

 文学作品とはちがって、いわゆるノンフィクションの翻訳は「書いてあるとおりに」訳せばよいのだから気楽でしょう、などとよく言われる。翻訳一般を論じる能力も紙幅もないので、「英語その他の西欧語で書かれた旧ソ連関連の歴史、とりわけ戦史ノンフィクション」に話をかぎって感想を少々。

 なによりもまず原著の内容そのもののチェック。原著者も人の子だから、思い違いや書き誤りがぜったいにないと思うほうがおかしい。なにも訳者がそこまでやる義理はないと言われればそれまでだが、ロシア語の原資料が英訳で引用されているような場合はとくに要注意。たとえ英訳者がネイティヴのロシア語話者であっても、当時の事情や用語、独特の表現などを案外知らない(なにもロシアに限った話ではないが)人も多い。原文の検索・入手と照合に莫大な努力と時間を費やす。

 『グラーグ ソ連集中収容所の歴史』の翻訳では、原著のその種の誤りをいくつか発見・訂正して得意になっていたら、刊行後さっそく読者から指摘をうけた。ソルジェニーツィンの作品の引用部分で、作中人物の名が間違っていた。引用部分のつきあわせにばかり神経を集中して、その前後にまで注意がとどかず、原著を信用してそのままにしてしまった手抜きの結果だ。

 似たような例だが、最近評判になったヒトラーの末期をあつかったノンフィクション訳書の冒頭、ドイツ現代史研究所長(ドイツ人)執筆の「解説」のなかに「ポーランド東部のカチン」とあった。はてな、と首をかしげたのは小生だけではあるまい。有名な「カチンの森」はスモレーンスク西方14km、当時のポーランド国境から500km以上もソ連領内に入った地点にあって、遠く歴史をさかのぼれば15世紀にポーランド・リトアニア連合王国の勢力圏内だった時期もあるとはいえ、近現代史では「ロシア固有の領土」といわれても文句はつけられない。隣国ドイツの現代史専門家が、はたしてこんな思い違いをするものだろうか? 原文にあたってみたわけではないが、かりにほんとうにそう書いてあるとしても、こういう初歩的な誤りを訳者はそのまま通してしまってよいものだろうか?

 つぎに「永遠の問題」として固有名詞のカタカナ表記の問題がある。一般に英語その他の西欧語ジャーナリズムでは、キリール(ロシア)文字のラテン文字への転字法が国により人によってさまざまだし、ポーランド語、チェコ語、系統は別だがハンガリー語、ルーマニア語などラテン文字を採用しながら特有の音韻を字母の上下にいろいろな記号をくっつけたりして表記する言語の単語は、それらの仕掛けを思い切りよくすっとばしてしまう。あとはお好きなようにお読みくださいというわけだが、日本語ではそうはいかない。フルシチョーフをクルーシチェフ、ペルミ(地名)をパーム、イリイチョーフ(人名)をイジチェフなどと表記して、おれは英語から、あるいはドイツ語から訳したんだぞ、なにが悪い、と開き直るわけにはいかないのである。

 いわゆる戦史ノンフィクションものの翻訳で、もうひとつ苦慮するのは軍事用語をふくめた訳語の問題。個人的な心情としては、なるべく同時代のわが国で使われていた用語や訳語を使ったほうが雰囲気が出るような気がするので、「建制、編制、編成、編組」「分進、開進、展開」「部署、区署」などの使い分けに神経を使ったり、「火点」「膚接」「開豁地」「地形地物の利用」「散兵の各個躍進」「歓喜力行団」などとつい言いたくなったりするのだが、これがもう現代人にはわからない。そうかといって現代ふうにマシンガン、サブマシンガン、ライフル等々ですませると、当時はそんな言い方はしなかったぞ、とおしかりをうける。連隊や大隊クラスの指揮官は「司令官」とは言わなかった、「司令部」ではなく「本部」だったとか、たとえ外国軍隊の話であっても違和感をおぼえる方々はたくさんいらっしゃる。しかも陸海軍がそれぞれ別の名称(参謀本部と軍令部、動員計画と出師準備、高射砲と高角砲、照空灯と探照灯など)に固執していたので、話がややこしくなる。上下の序列を直接に表現する「位階官等」にしても、諸外国のそれを機械的に旧日本軍の名称にあてはめようとすると無理が生じる。さらに独軍には正規の国防軍とは別系統のナチ親衛隊の位階があり、ソ連軍でも「政治将校」には「一級軍コミサール」「師団コミサール」など別個の位階呼称があった。これらをいちいち直訳していた日には、かえって混乱を招くので、無理を承知で旧日本軍の位階にあてはめざるをえない。

 なぜそんな無用無益なことにこだわるのかとあきれる向きもあろう。たしかにこれは外国の話、旧日本軍ではなくて外国軍の話で、なにもそこまで昔のわが国の用語に義理立てする必要もあるまいといわれればそれまで。逆にそういう神経をいっさい使わずに幕僚部、対空砲、指揮所演習などと現代ふうにあっさり片づけたほうが、かえって読者にわかりやすかったりする。

 かく言う小生も軍隊経験があるわけじゃなし、大きなことは言えないが、旧制中学から高専に進学したころが戦争末期にあたり、それこそ米兵がサブマシンガンを撃ちまくっている時代に古典的三八銃や重い十一年式軽機をかついで富士裾野くんだりまで野外演習にかり出され、配属将校の叱咤のもと匍匐前進数百メートル、ふらふらになったところで白兵突撃、しかも五発か一〇発しか支給されない空包を発射するたびに空薬莢をその場で拾い集め、一個でも紛失したら大目玉といういじましさ、こんなことで勝てるものかいなと疑問をいだいた体験は骨身にしみている。戦争はけっして一部の戦史マニアや兵器オタクが思いえがくようなカッコいいものではないのだ。たんなる自己満足にすぎないと言われても、なんとかあの時代の空気の一端なりと伝えたいと悪戦苦闘はつづく。

(筆者=翻訳家)

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