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師岡カリーマ・エルサムニー「外国語の楽しみ」 ―2007.03.13 語学に関しては劣等生だ。なるほど私は世に言うトリリンガルで、偉そうに「トリリンガル」などと言うと一応聞こえはよいが、これは私の功績ではなく諸事情の産物なので、まったく自慢にならない。3つのうち2つはできて当たり前の母語(あるいは父母語と言ったほうが正確かもしれない)であるアラビア語と日本語だし、3つ目の英語も、色々な事情で気が付くと体に染み込み、ほとんど外国語ですらなくなってしまった。しかし建前上は一応3か国語であるから、「何か国語できますか」と聞かれればそう答える。ところがここまで聞いて、多くの人は次にこう尋ねる。「あとは?」それまで偉そうにしていた私も、この質問で一気に心細くなる。「えーと、それだけです」。何を隠そう、実はこれまで、外国語と呼べるものをマスターしたことがないのである。大学やテレビでアラビア語を教えてはいても、「外国語をマスターする秘訣」などを偉そうに教授する資格はまったくないのだ。 私がこれまで外国語学習に投資してきた時間とお金を計算すると、余計に心が痛い。ドイツ語は、高校と大学の必須科目である第二外国語として通算7年勉強した。成績も悪くなかった。でも私のドイツ語力は、2週間前にドイツ語を始めた初学者と同じかやや下である。大学の時に4か月だけ教室に通ったフランス語の方が7年間学んだドイツ語より身に付いたことを考えると、きっとドイツ語とは相性が悪いのだ、と私は都合よく結論づけた。 この結論が気休めでなく事実だとすれば、高校入学直後、魅力的な先生の勧誘に乗せられて第二外国語にドイツ語を選んだのが運命の分かれ路だった。当時エジプトでは、「やっぱり女の子は優雅なフランス語よね」という考え方が主流だったので、女子高のドイツ語の先生は、授業の存続を危ぶみ、各教室を勧誘して回ったのだ。「ドイツ語はフランス語と違って、綴りの通りに読めばいいのよ」と誘う先生に乗せられ、また人とは違うことをしたかったので、私は少数派のドイツ語に加わった。後に「どうしてもしゃべりたい」という願望を抱くことになるフランス語を高校で(タダで)学ぶチャンスを逃したのは残念だったが、実はこれも私にとってはラッキーだった。というのも、私が高校卒業資格と大学入学資格を兼ねた国家統一試験を受けた年、フランス語の試験は史上最も難しかったとかで、試験後に失神する女子が多発し、社会問題にまでなった。ドイツ語の私は、平均点でかなり得をしたのだ。 さて、大学を卒業した後、私は「30歳までにフランス語をぺらぺらになる」という目標を定め、大量に本やテープを買って勉強を始めた。しかし仕事がちょっと忙しくなると1年や2年は平気で中断してしまう。やがて私の目標は、「40歳までにフランス語をぺらぺらになる」に変わり、その上声楽をやっている関係で、多くのオペラ作品の言葉であるイタリア語の個人レッスンまで加わり、教本を買っては気が向いている間だけ勉強し、忙しくなると中断するという、まるで三日坊主のダイエットのようなサイクルを続けている。でもそのたびに少しは上達しているようだから、この分なら80歳になる頃には、ある程度は話せるようになるのではと期待している。 でも結局、ぺらぺらになるかどうかは私にとって二の次なのだ。私の場合は音楽を専攻し、仕事でニュース放送に関わっていることもあり、語学をかじっていることにかなり助けられている。しかし、亀のようなペースにもめげずにまたフランス語やイタリア語の本を手にとるのは、なによりも、言葉を勉強している間は、なにやら心がウキウキして、毎日が楽しくて仕方がないからだ。うまく説明できないけれど、語学の学習には、新しい表現をひとつ覚えるたびに細胞が活性化されて、体中にエネルギーがほとばしるようなスリルと高揚感がある。語学を勉強しているうちは年をとる気がしないのである。だから80歳までかかってもかまわないのだ。 ところが最近になって、そんな悠長なことも言っていられなくなった。4歳になったフランス人の名付け子が、当然ながら困ったことに、私よりずっとフランス語がうまくなってしまったのだ。このままでは、私は相談にも乗ってやれない役立たずの名付け親になってしまう。そうだ。やっぱり明日からまた頑張ろう。私がフランス語を使いこなせるようになるよりも、彼女が英語を話せるようになる日の方が近いような、イヤな予感がしないでもないのだが。
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師岡(もろおか)カリーマ・エルサムニー