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原宏之「白いお船が赤いしあわせ運ぶだろう」 ―2007.07.10
母の日の季節に原稿を書いている。自分が子どもだった頃の母の日のプレゼントの定番といえば「お手伝い券」だった。方眼紙を用意する─十六枚ほどの券をマジックペンで書きいれて、洋裁用のルーレットで点線の印をつけて切りとれるようにする。そんなことを想い出しているとあたたかい空気がよみがえってくるような気がする。なにしろわたし自身いままで忘れていたのだから、いまや痴呆症の母がこのことを覚えているかどうかは定かでない。それでも、たしかな心の贈りものを包み込んでいたあたたかな雰囲気は、過去となっても消し去れるものではない。記憶のもやのむこうでさまざまな暖色にきらめいている。 時間が経つと、すべてが「過去のもの」になってゆく。八五年と八八年の違いはなくなり「一九八〇年代」となり、そのうち「戦後」となったりするだろう。FMラジオを聴いていると、八〇年代の洋楽がやたらとかかっている(たぶんみな郷愁を思う時代なのだろう)。不思議なのはリアルタイムで聴いていたときの印象と、〈いま〉のからだがもとめている音楽がまったく異なっていることだ。八九年といえば日本ではバブル景気華やかなりし頃だが、ベット・ミドラーの「愛は翼にのって」など若者はぜったいに聴かなかったと思う。いま風にいえば「クール」な曲ではない。先日ふとんのなかで、当時は見向きもしなかったこの曲が切実に懐かしくなった。あたたかいものを通わせてくれると思った。そして聴くとやはりいい。わたしが歳をとったということだろうか。もちろんわたしは青年からおじさんになった。だがそれだけではない時代の風も影響しているように思う。正面からは冷たい風が吹いている。つい後方のあたたかみの名残りにしがみつきたくなるのだ。同じ映画音楽ということでいうならば、バブルを象徴するベルリン「Take My Breath Away」があった。電子音があふれるいまでこそ「フツーにはずかしい」曲かもしれないが、「あたらしいしあわせがやってくる」というピンク色の予感のようなものがあった。映画『トップガン』(八六)で、真っ赤な夕焼け雲を背景にした海軍パイロット訓練兵と年上の女性上官の愛の再会シーンに流された曲だった。赤はいつでもやさしい。 一杯の番茶は暖気を体内にとりもどし、やがて排泄物となり大地に還りながらつぎなる葉が日光を受けて育つ。お手伝い券や肩たたき券は、いつか自分がもらう番になり、その子どももまたつぎの番をまつ。テクノロジーによる商品にはこのような循環的な性質がない。循環するなかに小さいけれども普遍とよべるような生命の根幹があるように思う。だから「もつ」よりも「ある」こと、できれば愛するひとたちとともにあることこそがしあわせだと思いたい。 (筆者=明治学院大学教養教育センター准教授) |
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