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菊地暁「『皿洗い論文』その後」 ―2007.09.10


(洗い場で。ベルトコンベアで運ばれてくる食器をすばやく分別する──『身体論のすすめ』より)

 『身体論のすすめ』(丸善刊)という教科書を上梓したのは二年前のことになる。私の勤務先・京都大学人文科学研究所の同僚たちと担当した同名のリレー講義が元ネタだ。誰もが一つずつ持ちながら、誰一人として同じではない「身体」という存在を手がかりに、分野を超えた対話を促し、学問のありようを基本から考え直す。そんな楽観的な見通しとともに始められたリレー講義だった。
 じっさい、教室でダンス創作人・花沙さんに踊ってもらったり、マネキンメーカー・七彩さんにマネキンを持ち込んでもらったりと、やりたい放題にやっている。トピックは拡散するばかりで一向に収斂する気配を見せないが、学問世界の広さや深さに動じることのない身構えを身につけるという意味では、正しく「教養」講義たりえていると私だけは自負している。

 教科書に話を戻すと、「寄せて上げるブラからDNAまで」といった具合に雑多な考察が取りそろえられている。私の執筆部分は序章と第四章「僕は、昔、皿洗いだった」の二章。恥ずかしながら告白すると、第四章は締め切り間際、予定していた著者から原稿が上がらず、実質三日間の突貫工事で書き上げた文字どおりの「埋め草」である。日本屈指の規模を誇る学生食堂・京大生協中央食堂(京大吉田キャンパス工学部八号館地下)の洗い場で返却口から溢れ出す怒濤の食器と格闘した皿洗いバイト体験をネタに、人間が周囲の人的・物的環境に適応しつつ身体技法を獲得し、発展させるプロセスをレイヴ&ウェンガー「実践共同体」概念に寄り添って素描した習作である。
 意外だったのは、この極めてトリビアルなバイト体験がご当地京大のみならず、他大学でも相応に興味をもって聴いてもらえることだった。教科書のほうも売れ行きはともかく内容的には想定外に好評で、某技術者養成系の大学では「皿洗い論文」としてレポートの課題文献になったらしい。構想から執筆まで一年あまりを費やした序章よりも三日で書き上げた第四章のほうが評価が高いことに、内心忸怩たる思いがないわけではないが、いずれにせよ、温かく迎えていただけたことはありがたい限りである。

 何より嬉しかったのは、講義を通じて、受講生自身の身体技法について多くを教えられたことだった。講義の最後にアンケートを兼ねて、「マイ・ベスト・テクニック」と題して、自身の最も高度な身体技法は何であり、それをどのように習得したのかを書いてもらうことにしているのだが、これがすこぶる面白い。
 「役に立つ」とか「見栄えがいい」とかいったことにはとらわれず、技法そのものの難易度に即して答えて欲しいとお願いすると、期待に違わず「授業中に机の下で上履きを脱いで親指を軸に水平回転させる技」といった実にくだらない技についての詳細なレポートが現れる。そのくだらなさがたまらなく嬉しい。
 レポートには仕事や家事での所作、スポーツ、歌舞音曲といった趣味上の動作など、あらゆるジャンルの技が登場する。ないのはベッド・テクニックぐらいだろう(もちろん、これはこれできわめて重要な技法であり、しばしば人間関係に重大な影響をもたらすことも周知の通りだ)。

 また、マニアックな皿洗い術に触発されたためか、バイトをめぐる熱い語りも多い。駅のジューススタンドで働く女子学生は、「お客さんが財布から千円札を取り出す瞬間にお釣りを握っている自分がコワい」とレジ打ちの熟練の境地について語ってくれた。
 学校指定ジャージの訪問販売で小学校回りをする男子学生は、子供の成長を見越して出来るだけ大きめのジャージを買おうとする母親に、それではいかに丈が余ってみすぼらしいかを悟らせるべく、実際に子供にジャージをあてがってサイズ確認する際、わざとたるみが目立つようにあてがいつつ、話術で母親の注意をそのたるみに引き付ける技を解説してくれた。世の中にはさまざまな仕事があり、それに求められるさまざまな技法が存在しているということを、まざまざと教えられた。
 とりわけ感心させられたのは看護師経験者のもの。ウンコが固くなる症状の患者さんから指を使って上手に引き出し「ゴールドフィンガー」と讃えられた話も面白かったが、多くの方が苦心談を語ってくれたのは血管注射に関わるものだった。
 骨格などと違って血管のような軟体組織はサイズや配置の個人差が非常に大きいといわれているが、その血管の硬さや皮膚表面からの位置を巧みに触診して、的確な角度と強度で注射針を差し込まなければならない。加えて、患者自身の緊張感が皮膚や血流の状態にたちどころに反映するため、実際には患者個々の多様な身体におっかなびっくりしながらも、患者に不安を抱かせないよう落ち着いた態度で臨むことが必須となる。患者のからだとこころの両面に細心の注意を払いつつ、それでもなお完全になくすことのできない偶発的要素を「気合い」で乗り切る看護師たちに、人と人との間に立ち現れる「技」という営みの根源性を見る思いがした。

 こうしたさまざまな技を教えられるにつけ、思い出されるのは、「われわれの問題は身体技法にある、と端的に言わねばならない。身体こそは[…]人間の欠くべからざる、しかももっとも本来的な技法対象であり、また同時に技法手段でもある」と喝破した民族学者マルセル・モースである。
 「身体技法」概念の提唱は既に七十年以上前のこと。多くの実証的データが積み重ねられ、理論的洗練が加えられ、「身体技法」は学術用語として定着するとともに、そのインパクトも忘却されたかのように思われないではない。
 だが、人間が世界とつながり、他者とつながって生きていくことの根幹に「身体技法」があることを直観し、その存在を社会が社会であることの根っこに埋め込んだモースのヴィジョンは今なお新鮮さを失っていないように感じられる。
 人間は技を通して環境と出会い、社会と出会い、自己を見つめ直すことになる。「皿洗い論文」をきっかけに出合った身体技法の世界から、そんなことに思い至った次第である。

(筆者=京都大学人文科学研究所助教)

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