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連載・エッセイ

菅野麻美「マラソン大国フランス〜マラソンに見る フランス人気質」 ―2008.01.10

◇マラソンの実力とは
 「フランスのマラソン?」オリンピックで活躍するフランス人選手なんて見た覚えがないし、トレパン姿でカフェの前を走る市民ランナーも想像できない。「そもそもフランスにマラソンなんかあるの?」と疑う人もいるかもしれない。
 マラソン王国ニッポンでは、現在1年間にだいたい1600ほどのレースがあるが、こちらフランスでは、なんと年間5000以上ものレースが開催されている。人口は日本の半分、レースの数は3倍である。この数字だけでもフランスの意外な現実にギョッとして頂けることと思う(オリンピック選手だって、いることはいる)。
 しかしフランスのマラソンは、今のところ世界中から無視されているようだ。なぜなのだろうか。国際的マラソン大会という時、名前が上がるのはロンドン、ニューヨーク、ベルリン、ボストンであり、ワールドマラソンメジャーズもこれらにシカゴ・マラソンを加えた5大会である。だがパリ・マラソンの歴史はロンドンよりベルリンよりシカゴより古く、2006年にはすでに30周年を迎えている。盛り上がり絶頂でスタートした東京マラソンと比べたって構わない。完走者数は東京マラソン(25130人)をはるかに上回る30862人。ランナーの走力レベルもそりゃ高い。フルマラソン42.195キロを3時間以内で走る"サブスリー"は市民ランナーにとって目標&あこがれのひとつなのだが、昨年の記録では、パリマラソンはサブスリー率5.5%(東京マラソンは2%)。これは、小出義雄監督や金哲彦氏も、感服なさる実績であろう。このように壮大でハイレベルなフランスのマラソンではあるが、実際に走ってみると、すばらしいと言うよりは……。

◇印象派の島にて
 そもそも日本一の運動不足を誇る私が、フランスで走るようになったのは、印象派の土地柄のせいだった。10年あまり前になるが、フランス文化庁斡旋のアトリエ付き住居に入れることになったのだ。パリの中心から郊外に引っ越すのが多少残念ではあったが、来てみるとセーヌ川で鴨の親子が遊び、 île des impressionnistes(印象派たちの島)などという島もある。市役所のパンフレットによると、このあたりは印象派の画家たちに愛された芸術の地なのだそうだ。なぜそこで、落ち着いてスケッチブックを開かなかったのか理解に苦しむが、印象派の島をしょっちゅう散歩しているうちにだんだんスピードアップし、きっと木の芽時だったのだろう、そのままバリバリ走り始めたのだった。今ではフルマラソンでフランス選手権出場資格まで獲得しているのだから、何をか言わん乎である。もっとも当時は、家の近所を鴨と一緒にジョギングしているだけでハッピーだった。ある日、思わぬ交通規制のせいで、パリマラソンの現場に出くわしたのだ。沿道の人々が有象無象のランナーに「ブラボー」「もう少しだ」と一生懸命声をかけ続けている。知り合いでもないのに喉をからして、フランスとは思えない光景だった(フランス人は見知らぬ他人を熱く激励したりしない)。さらに通り過ぎるランナーたちをよく見ると、片手に酒瓶を持って走っている人が多い。どこかでランナーにワインを配っている??マラソンっていったい何? これは私も出てみたい、と素直に思った。

◇シャンパンで給水
 とはいえ、はじめはロードレースというものが何なのかも見当がつかない。偶然地元の新聞に10マイルレースがあると書いてあったので、びくびく遠慮しながら行ってみた。何を着たら良いのかも分からず、取り敢えずいつものアニエスbの長袖Tシャツにトレパンで、参加費7ユーロの小切手を握り締めて。もちろんただひとりの日本人だったし、交通規制も沿道の応援もなかったが、しかし初夏の緑いっぱい汗びっしょりで気分が良い。参加賞のサンドイッチと一緒に他のレースのチラシをくれたので、2週間後にはハーフマラソンにも行ってみる。芋づる式にあちこちレースに参加してみると、それぞれに趣きのある名レースばかり、春蘭秋菊、晴好雨奇、どのレースもハズレというものがまったくないのだ。
 見渡すかぎりのぶどう畑を走り、すべての給水所でシャンパン飲み放題は、私の最愛のハーフマラソンだ。シャンパンを飲みながら青空を仰ぐと、太陽がいっぱいである。モンサンミッシェルマラソンは、さすが世界遺産で、スタートから42.195キロ先のゴールが肉眼で見えるという貴重なコースである。あの死者続出の歴史的猛暑が始まっていたとは誰も知らずに熱走したので、ゴールしてからの地獄絵もまた見事だった。かたや周回コースなのに下り坂ばかりで良い記録が出やすい謎のハーフマラソン、どこがゴールなのか分からない、ここがどこだか誰も知らないというアバウトな運営も驚くことはない。そんなことフランスでは普通なのだ。

 日本人はマラソンに向いているらしく、私も時々入賞してささやかな賞金やヘンな賞品を貰うようになった。この「賞品」もフランスの名物だろう。例えば、まだ乾いていない油絵やコンドームセットなど、日本ではレースの賞品として有り得ないと思うし、海辺用パラソルと鍋つかみとぶどうの苗木の組み合わせは「こりゃ市役所の倉庫にあったものを掻き集めてきたに違いない」と、受け取りながら内心爆笑する。
 晴れて参加したパリマラソンでは、終盤の苦しくなるあたり、ゴールまであと数キロというところで、赤ワインとシードル(林檎酒)のスタンドが迎えてくれた。産地が出したスタンドだ。ボルドーのように「各給水所で高級ワインが飲めるマラソン」を謳い文句にしているわけではないのに絶妙な演出である。そんな演出をしているからワールドマラソンメジャーズに入らないのかもしれないが、フランス人にとってはそんなこと全然関係なし。
 風光明媚で、走って笑ってお土産までついている。これは映画やシャンソンなどを超えた、フランスならではの御家芸ではないだろうか。

(筆者=美術ジャーナリスト)


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