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連載・エッセイ

入江たまよ「外国語学習は脳内バトル?」 ―2008.03.05

 外国語でもかじって、生活に潤いを与えよう(半分はボケ防止)。花のOL生活を謳歌しつつ、趣味で始めたイタリア語が、今ではなんと生活の中心となっている。翻訳やら通訳をチョロチョロやっていたら、いつの間にか講師という肩書きまで持っていた。まったく想像もしていなかった事態である。子供のころ、いちばん憧れていた職業が「翻訳家」で、いちばん就きたくなかった職業が「先生」だったのだから、人生、わからないものだ。

 バブリーな時代の勢いで、せっかくイタリア語を習い始めたのだから、ちょっと「イタリア暮らし」を経験するのもいいかもと留学。フィレンツェ近くのシエナという中世からの小さな町に、とりあえず3ヶ月くらい、住んでみよっかという軽い気持ちで出発した。さて、いざ現地の学校で驚いた。欧州各国からやって来た学生たちは、適当といえばあまりにも適当に、勝手気ままなイタリア語でペラペラ話している。「初心者なんだから、ちょっとヘンでも仕方ないでしょー」みたいなクラス仲間に囲まれたおかげで、私もすっかり頭が高くなり、自然と口数も多くなった。

 では、彼らは文法なんか無視していたのだろうか? 学生アパートの住人たちと宿題をいっしょにやっていて気がついた。「どういう順序で考えたら、そういう答えにたどり着いたの?」と、しばしば聞かれるのである。イタリア語の文法は、やたらと細かい。過去分詞の語尾がoかaかiかeかなんて、いちいち考えてられるかっ!と思う。しかし、問題と格闘して、とりあえず答えを出したら、「主語はこれ、動詞はこれ。だから……えっ?ちがうの?」と執拗に確認していくのが彼らの流儀だったのだ。質疑応答、自問自答、軌道修正を繰り返す。そうやって確認できたルールに覚えたてホヤホヤの単語をどんどん(ときには無理矢理)組み込んで発言してくる。こちらもウロ覚えの単語で対抗する。あの頃、どれほどの正確さでコミュニケーションできていたのか、今となっては見当もつかないが、毎日がビッグバン状態でイタリア語の宇宙が広がっていったのである。

 こうした外国語習得体験は、留学したから可能だったとも考えられる。「そんな説明じゃ納得できないっ!」と食い下がる学生たちvs百戦錬磨の先生というバトルは、イタリアでは日常茶飯事だった。だから、イタリアでお世話になった先生たちの足元にも及ばないが、だれか私にバトルを仕掛けてこないかな〜と楽しみにしている。なのに、「この文の主語って?」と授業中、ずーっと密かに悩み苦しみ、結局、スッキリしないまま、教室をあとにした学生がいた……いう事実が判明すると、講師としてはショックである(イタリア語の主語は、動詞の活用形から見抜けるので、省略が可能)。あまりに初歩的で、質問するのもはばかられると思ってしまったのかもしれない。でも、たとえば推理小説を読んでいて、「誰が死体になったのか」を取り違える、あるいはいい加減にしておくと、当然のことながら、ストーリーはとんでもない方向へ暴走する。なにを隠そう、私だって、どこかで読み違えて、何度も同じ人を殺してしまい、終いには誰が生き残っているのかさえ不明……という哀れな結末を迎えたことも1度や2度ではない。それはそれで面白いが、やはり著者の意思は尊重されなければならない。推理小説に限らず、短い文が脈絡なく並ぶ文法問題を解く場合でも、「これが主語」と確認しながらやるのと、適当に思い込んでやっつけてしまうのとでは、たとえ正答できても、繰り返すうちに精度に開きが出てくる。

 そんなとき、食ってかかる相手(イタリア人でも日本人でも)がいる場合は、勇気を出してバトルに臨めばよい。が、目ぼしい相手がいない場合はどうしよう? 私はとりあえず「仮想クラス仲間」方式で考えてみることにしている。つまり頭のなかに「なんで?」と尋ねてくる相手を想定して一人二役、ときには三役くらいで討論してみるのである。自分が納得していないときは、あやふやな説明しかできない。その原因をどんどん追究していくと、意外な見落とし、妙な思い込みや先入観に囚われている自分がいる。とくに、ストーリーは「こうなったらいいな」と思っているほうへは展開しないものだ。最後の一行で、著者の意図していない大どんでん返しを食らいませんように。今日も愉快なクラス仲間たちが、私の頭のなかで論戦を繰り広げている。

プロフィール: 入江たまよ(いりえ・たまよ)
成城大学卒業後、会社勤務を経てイタリアのシエナとローマへ留学。
現在、外務省研修所、日伊学院などでイタリア語を教えるかたわら執筆、翻訳、通訳もこなす。
2005─2006年度NHKテレビイタリア語会話講師。
著書に『読むイタリア語』(共著)『ニューエクスプレスイタリア語』(白水社)ほか。

連載・エッセイ


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