
先日、噂の執事喫茶に行ってみた。階段を下り、まるでイギリスの社交クラブのような重々しい扉をあけると、黒いスーツを着て白い手袋をはめた「執事」に、「お帰りなさいませ、お嬢様」と迎えられる。うやうやしく頭を下げてはいるが、その態度には妙に威厳があり、なぜかこちらがどぎまぎしてしまう。「こちらが本日の担当でございます」と、やはり黒いスーツに身を包んだ若い男性を紹介される。店にいる時間は、この男性が私たちの「執事役」なのである。
「英国贔屓の大旦那様によりセレクトされた調度品」で飾られた(店でもらったパンフレットによると)サロンに案内される。まわりは若い女性ばかり。そのせいか、メニューも甘いものばかりで、辛党の私には少々つらい。ポットでだされる紅茶がおいしく、つい自分で手をだしてお代わりをつごうとすると、「お嬢様、私がいたします」と、執事が飛んでくる。ひじょうに行儀の悪いことをしたような気になって、ますますどぎまぎしてしまう。
そもそも執事とは人を萎縮させる存在である。イギリスの作家ロアール(ロアルド)・ダールの短編小説に「執事」という作品があるが、成金に雇われた執事が、何も知らない主人を軽蔑しつつも、ワインの飲み方の基本から教えてやる話である。最後にはどんでん返しが待っているのだが、ワインの知識に限らず、きちんとした訓練を受けた執事が、成金の主人を委縮させ、ものを教えるという図式は、イギリスの小説や戯曲にはよく見られるものである。
萎縮するのは成金だけではなかった。アッパー・クラスの能天気な若者バーティ・ウースターとその従者ジーヴスを主人公とする一連のユーモア小説で名を馳せたイギリスの小説家P・G・ウッドハウスは『ジーヴスと恋の季節』(一九四九年)の中で、バーティがよその屋敷を訪れて、そこの扉を開けた執事に恐れをなすシーンを描いている。
バーティは社会的地位からも、育ってきた環境からも、執事を前に委縮するはずはない。しかも執事はたいていはワーキング・クラス出身で、いくら訓練を積んでいてもバーティのような紳士とは階級が違う。それでもこの始末である。
「執事は主人以外の相手に劣等感を抱かせる」という、このイメージも、イギリスの小説や戯曲によく見られる。「主人以外の」というのが大切な点であって、「執事」に付随するもう一つのイメージは、「主人に対する絶対的忠誠心を貫く」というものである。主人に忠実であるあまり、主人の社会的地位や立場と自分を同一化し、挙句の果てには、主人よりも社会的地位が下であったり、主人が優越感を抱く相手だったりすると、そのまま執事も相手に対して同じような優越感を抱くのである。したがって若い頃のバーティは、アッパー・クラスの一員であっても、まだ社会的地位の無い若造であり、「ご主人様よりは格下」と判断した執事が自分に向ける、優越的な視線のもとに、小さくならざるをえない。
もっと新しいところでは、イギリスのM・C・ビートンという作家がいる。アガサ・レーズンという女性の素人探偵を主人公とする一連の小説が特に人気を集めているが、その作品のいくつかには新しいタイプの執事が登場する。例えば『アガサ・レーズンとデンブリーの散歩人たち』(一九九五年)では、殺人の嫌疑をかけられた准男爵サー・チャールズに依頼されてアガサは事件解決に乗り出すが、最初からサー・チャールズの執事に鼻であしらわれて、大いに憤慨する。
サー・チャールズは土地と屋敷を持っているものの、大金持ちではなく、使用人は執事だけであり、執事がハウスキーパー、メイド、料理人などの仕事をすべてこなしている。また、言葉づかいもぞんざいで、いわゆる「伝統的な」執事とはかなり違う。
しかし、主人に近づいてくる、「どこの馬の骨ともわからない」女性をすべて警戒し、場合によってはそういう女性からの電話もとりつがないこの執事は、そのやり方こそ、伝統的な執事とはかなり違うものの、主人への忠誠心、主人の客や友人が、主人よりも「格が下」と判断すると優越感をあらわにする様子などにおいて、伝統的な執事のイメージをそのまま受け継いでいるのである。
最終的にアガサ・レーズンはサー・チャールズの嫌疑をはらすだけでなく、その命も救うことになる。すると今まで、労働者階級出身のアガサを馬鹿にしていた執事は態度を改め、主人を救ってくれたお礼として、サー・チャールズのワイン・セラーの中でもとっておきのシェリーを二本、進呈するのである。
そしてこの「主人への忠誠心」こそが、執事の最大の魅力の一つだろう。そもそもイギリスでは、料理店やホテルといった場所における、客へのサービスの質は決してよくない。最近ではアメリカの影響か、かなり改善されてはいる。しかしイギリスにおける最良のサービスとは、大きな屋敷の、よく訓練された使用人から、主人やその客のみが受けることのできるものだった。主人に対して忠実で、落ち度のないサービスを提供する、執事や従僕、メイド頭といった、いわゆる「上級使用人」が、興味と憧れの対象として見られるのも無理はないだろう。
一方、日本はサービスの質の良さでは定評がある。金さえ払えば誰でも、イギリスの優秀な使用人が提供するようなサービスを受けることができる。この恵まれた環境の中でもなお、若い女性が「執事喫茶」に通って胸をときめかすのはなぜだろうか。
それは執事が万人に優れたサービスをするわけではなく、あからさまな差別をするからである。なにごとにも主人を最優先し、主人を喜ばせるためには最善をつくす。しかし、それ以外の相手にはそっけないし、ときには邪険でさえある。執事喫茶の魅力もそこにある。
二時間あまり、専属の執事のサービスを受けると、最初はどぎまぎしていた私もすっかりのってしまい、ベルを鳴らしては執事を呼びつけ、「行ってらっしゃいませ、お嬢様」と送り出された頃には「では、行ってまいります」などと平然と答えていた。
自分にだけ特別な、そして最良のサービスを提供してくれるが、他の人には冷たい。そんなわがままを実現してくれるのが執事なのである。
(筆者=中央大学法学部教授)