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連載・エッセイ

第21回 バベルの塔への挑戦? ―2009.03.09

ドルドーニュ便り《番外編》


ブリュッセルのEU本部

娘はスウェーデン環境省の役人をやっているので、EU(欧州連合)本部があるベルギーのブリュッセルによく出張する。妻とわたしは、彼女に会いに“ヨーロッパの首都“を訪れた。

滞在中、欧州議会(本議会はストラスブール)を見学したあと、実務レベルの環境会議が始まる直前の会場を見学した。そこには、ガラス張りのブースの中で、マイクをテストする同時通訳者の姿があった。その日は5カ国語が使われるということだった。

夕食時に、わたしは娘に尋ねてみた。「EU加盟国は27国、公式言語が23もあってたいへんだね。バベルの塔みたいに混乱しないのかな?」。彼女の答えは「EU首脳会談や閣僚レベルの公式会議では通訳がつくけど、実務レベルの交渉ではやはり英語だわね。」だった。

EUは1958年に六カ国(仏、西独、伊、蘭、ベルギー、ルクセンブルグ)で発足したが、当時の公式言語は4ヶ国語(仏語、独語、伊語、蘭語)。それがいまでは23カ国語である。

50年前の通訳は25人、現在は2500人で100倍。初年度に翻訳された書類の頁数は1万7000、それが現在では170万で100倍になっている。

書類翻訳と通訳にかかる費用は11億ユーロ(1300億円)、これはEU予算の1%にあたるから、相当なコストである。

公式言語が23カ国語あるからと言っても、現実には日常的にEU諸機関で使われている言語は、英、仏、独の3カ国語で、なかでも英語の役割が大きい。

これを裏付ける数字がある。2007年に欧州委員会に提出された書類の73.5%が英語で、フランス語は12.3%、ドイツ語は2.4%であった。会議のレベルでは、英語が51%、ドイツ語が32%、フランス語が26%となっている。

これをみると、EU本部があるブリュッセルや欧州本議会があるストラスブールでは、英語が実務言語になりつつあることが分かる。

ともあれ、EUはこれだけカネと時間がかかるのに、なぜ公式言語を23カ国語も認めているのだろうか。その答えは、EUの基本哲学“統一のなかの多様性”堅持の方針にある。

加盟国の独自文化の維持・発展が、EU発足以来の基本だから、文化の中核である言語を大事にしているという訳だ。忍耐のいる多文化主義のコンセプトである。


フランケンの『バベルの塔』

ブリュッセル王立美術館に、17世紀にフランケンが描いた旧約聖書の物語『バベルの塔』がある。これは、神が人間の傲慢さを罰するためにいろいろな言語を造り、意思の疎通をできなくした寓話である。

言語による混乱を象徴する『バベルの塔』を眺めながらわたしは、EUの多言語主義は、旧約の世界への果敢なる挑戦ではなかろうか、とふと考えた。

翌日、現実はそれほど甘くないことを知ることになる。EUの通訳(スウェーデン語、仏語、英語)をしている妻の従姉妹モーリンとその夫タンギ(ベルギー人)から、夕食の招待を受け愉快なひと時を過ごしたあとのことである。

モーリンが車でアパートまで送ってくれた直後に、路上駐車をしている車が、急にバックしてきて衝突する事故が起きた。明らかに相手の過ちだったが、男はなかなかそれを認めようとしない。

ベルギー人の男は、初めはフランス語を使っていたが、警察署に行くと突然、フラマン語(オランダ語)で警官に事情を説明しはじめた。その言葉が分からないモーリンは、困惑の表情でそのやりとりを聞いていた。その挙句、フラマン語で調書に署名する羽目になった。

ベルギーのフランス語圏とフラマン語圏は、二つの国に分裂する可能性があるほど激しい対立をしているが、その男はフラマン語圏出身の警官の同情を買うために、その言葉を使っていたのである。

先日、モニカから、「心配をかけたけど、わたしの主張が通ったわ」との知らせがあり胸をなでおろした。EUの本部があるお膝元ベルギーの言語戦争の一幕であった。


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