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連載・エッセイ

第23回 旧鉄道の散歩 ―2009.04.09

ドルドーニュ便り《番外編》


鉄道開通 Histoire de la France rural (Seul)より

フランスで初めて乗客をのせた蒸気機関車が走ったのは1832年、リヨン〜エティエンヌ間である。上の絵は、当時ののどかな風景だ。パリ~ボルドー間が開通したのは1853年、パリ~マルセイユ間が1863年と、しだいに都市を結ぶ鉄道は普及していったが、長い間、貧しい田舎は取り残されたままだった。

わが村に鉄道が通じたのは1892年、フランス鉄道事始から60年後のことである(日本の鉄道事始は、1872年の新橋〜横浜間)。その後、サン・ジャン・ドコール駅はローカル線の駅として利用されたが、1965年に廃線となった。この地方の都市への人口流出、車とトラックの普及で、採算が合わなくなったからだ。

その後、半世紀以上の間放置されていた旧鉄道路の一部が、数年前、県と近隣の村の共同出資によって整備され、現在ここは“緑の道”と呼ばれる20キロの散歩道になっている。そのおかげで、妻と二人で四季を通じてここをよく散歩する。春には、乗馬姿に出会うこともある。夏の木陰のプロムナードは涼しく、秋にはドングリやクリの実を見かける。冬は日当りのよい北西方向の道を歩く。出会うと、散歩人は“ボンジュール”と挨拶する。


1892年に建った旧駅舎

散歩の基点である旧駅舎は、いまではオランダ人が買い取り夏の別荘にしている。その壁には、1等席、2,3等席の文字が残っていて、ふたつの改札口の跡がある。旧鉄路が“緑の道“として復活した記念に、鉄道開設時の村の人々の等身大の写真看板が置かれている。スカーフを被った女性の姿をみると、その頃の流行がうかがわれて面白い。

地方史家、ジョルジュ・トマさんが書いた『鉄道100年史』(1991年刊)によると、当時の開通式は盛大だったらしい。1883年ノントロンの町(村から20キロ、ナイフの産地で有名)に駅が開設されたとき、パリから建設相が来訪し3000人の人々が駅に集まり、祝砲が放たれ、大祝賀会が開かれたという。

そのとき開通したローカル線は、アングレーム(現在、毎年2月に開かれる国際漫画フェスティバルで有名)からノントロンまでの区間40キロであった。その線が20キロ延長され、村に駅ができるまで、さらに10年かかつている。19世紀末の時刻表を見ると、上下各5本の汽車が走っている。サン・ジャン・ドコール村はその頃、人口900人(現在の3倍)だったので、利用客も多かったのだろう。


“緑の道" 昔は村からテヴィエまで鉄道が走っていた

わが家の最寄り駅は8キロ離れたテヴィエという人口3000人の町だ。ここからパリまで4時間かかる。TGV(新幹線)はこの路線には通っておらず、パリへの本数は一日に4本しかない。それでも駅の構内にはキヨスクがあるので、乗降客だけではなく町の住人が新聞を買いにやってくる。

先日、土曜の午後パリ行きの切符を買いに行ったら、窓口は閉まっていて、フランス国鉄の告示が貼られていた。いわく、合理化で窓口業務を「月曜から金曜までは8時から5時まで、土曜は9時から3時まで、日曜は10時から12時まで」とある。

以前は、5時の始発から深夜の終電まで窓口が開いていたのが、これは大変だと思い辺りを見ると、構内の机の上に国鉄の新方針に関する地方紙の記事の切り抜きと、反対署名のノートがあった。そこには、多数の署名と抗議のコメントが書かれてあった。わたしも名前と住所を書き署名した。

数週間後、駅に行ってみると、窓口業務の時間はすこし削られていたが、ほぼ以前のサービスに戻っていた。反対署名の効き目があったわけだ。わが人生ではじめての署名による勝利体験であった。


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