白水社 白水社
書籍の検索 →詳細検索はこちら
 

教科書検索はこちらから買い物カゴを開く
白水社 白水社 白水社
トップページ
耳より情報 新刊情報 おすすめ本 全集・シリーズ 白水Uブックス 文庫クセジュ 語学書 雑誌『ふらんす』
岸田國士戯曲賞 パブリッシャーズ・レビュー クラブ白水社 メルマガ「月刊白水社」 教科書見本 連載・エッセイ 書店様向けページ
連載・エッセイ

中野京子「絵を見て怖がる~絵画の鑑賞法について」 ―2009.05.14

 昨年末からずっとかかりきりだった『怖い絵 3』の執筆がようやく一段落し、今まさに北海道の初夏のような晴れ晴れとした気分だ。

 何しろコーヒーとチョコレートを唯一の友に、ほとんど終日パソコンにへばりつく日が続くと、雪は溶けないのではないか、夜は明けないのではないか、と気が滅入りがちになる(物書きというのは孤独です……)。でもそんな時、我が身に入れる活は、「読者がいてくれる」だった。シリーズとして三冊目を出せるのは、とても有難いことなのだから頑張らなくっちゃ、と——。

 最初に『怖い絵』を出したころは、漠然とだが、三、四十代の女性しか手に取ってくれないだろうと思った。神話や西洋史に関心があり、美術展やコンサートへ足を運ぶのは、その層だという(恥ずかしながらの)偏見があったからだ。蓋を開けてみれば、十代から八十代までの年齢性別を問わない幅広い読者が、ブログや愛読者カードで「もっと読みたい」との声を寄せてくださったのが嬉しい驚きだった。

 そして皆さん共通の感想は、「全く新しい絵の見方を知った」「これまでの絵と違う絵に見えてきた」「もう一度美術館へ行って見直したい」というもので、これこそが私の意図だったから、願いを汲み取ってもらえてほんとうに著者冥利に尽きる。

 このように予想外に多く読まれた理由を考えてみるうち、もしや学校での芸術教育が、少しばかり間違っているのではないかと危惧されてきた。たとえば国語の教科書には詩が載っているわけだが、研ぎ澄まされた日本語による名詩は半分くらいで、あとは素人の、それも同年齢の子どもが書いた、はっきり言わせてもらうなら、愚にもつかない詩「のようなもの」が並べてある。編纂者は同等の価値ありと思っているのだろうか?

 音楽もそうで、子供の好みそうな昨今のヒット曲などを載せている。こういう音楽は放っておいても自分から聴くのだから、わざわざ教科書にまで載せる意味がわからない。

 そして美術だ。

 いつの頃からか、「絵画は自分の感性で見るのが良い鑑賞法」と暗に教えられるようになった。余計な知識は先入観を与え鑑賞の邪魔になるだけだから、いっさい予備知識ぬきの白紙状態で作品と向き合い、色彩、タッチ、画面の空気感(!)などを全身で味わうこと、というのだ。

 結果、多くの人たちにとって、美術展は退屈なものになった。絵を描くのが趣味なら、色や構図、絵筆の使い方に関心を寄せられるかもしれないが、そうでない限り、「自分らしい感覚」「感性」を信じろと言われても、結局「好き嫌い」とどこが違うのか、という話である。しかも判断基準がそこにしかなければ、第一印象で気に入った絵以外興味を持てなくなり、いつまでたっても同じ傾向の絵ばかり見て飽きるのが関の山だ。

 絵画、特に十九世紀以前の作品は、「見る」「感じる」より「読む」のが先だということを、学校で教えるべきではないのかしらん。一枚の絵には、その時代特有の常識、その国独自の文化、長い歴史がからみあっていること、さらに絵の注文主の思惑やら画家の計算、意図的に隠されたシンボルにも満ち満ちていること、要するに、感性だけでは決してわからないものが多々あることを、ざっとでいいから学ばせるべきと思う。

 要は知ること。背景を知ることで、絵はそれまでとがらりと様相を変えて立ちあらわれるはず。

 ちょっと想像してほしいが、ここに『四谷怪談』のお岩の幽霊画があったとする。我々日本人にとっては、彼女の顔が醜く腫れ上がり、足がないのは、少しも謎ではない。けれど全く背景を知らない外国人が、「自分の感性」を頼りに無の状態でこれを見たらどう思うだろう? いつの時代のどんな話かを知らずに、正しく鑑賞できるだろうか? 芸術に正しいも何もないのだから、無気味な「空気感」さえ味わえばいいと、はたして言い切れるのか?

 『怖い絵』シリーズで私が伝えたかったのは、「それではちっとも絵を楽しめない」ということ。

 見て、感じるもの、と信じられていた絵画を、物語として、歴史として、文化として読み取る、あるいは、わずかでいいから視点を変えてみる、そうすることでどんなに美術鑑賞が楽しくなるかを知ってほしかった。

 よく知られたドガの踊り子の絵を例にとろう。

 現代の日本人にとっての常識は——バレエは芸術である、バレリーナは芸術家である、小さなころバレエを習うのは裕福な家の少女である。

 その目でドガの絵を見ると、舞台で華やかに舞うプリマドンナは、文字通り成功した芸術家の舞台姿になる。

 だがそれでは、お岩の絵を見た外国人がこう言うのと同じだ、「浴衣姿の醜い女性。画家が足を描き忘れた」。

 そこで十九世紀半ばのフランスの常識を見直すと——バレエはオペラの添え物でしかない、働く女性は軽蔑の対象である、短いスカートをはいて踊るバレリーナは娼婦と変わらない、バレエを習う少女は下層階級出身である。

 当時の目は、今とそれほどにも異なっていたのだ。そう知っただけで、ドガの絵のイメージは全く変わってくるはずだし、それまで見えていなかった舞台上のもうひとりの人物にも目が吸い寄せられてゆくだろう。そしてこれを描いたドガ自身の立場がどうであったかにも気づいたとき、この絵の「怖さ」が初めてじわりと感じられるに違いない。

 『怖い絵』『怖い絵 2』では、このドガを筆頭に、ゴヤ、ムンク、ホルバイン、ダヴィッド、ベラスケス、ピカソ、レーピン、ブリューゲル、ベーコン、ミレー、エッシャーなどを取り上げた。『怖い絵 3』に登場する画家は、ボッティチェリ、ミケランジェロ、ドラクロワ、シーレなど二十人。歴史の闇、人間の底意、社会悪など、恐怖のバラエティ(?)にも配慮した。表紙はフュースリの『夢魔』。

 絵で怖がってください。そして知的興奮を味わえますよう!

◇筆者=ドイツ文学者。著書に『怖い絵』『怖い絵 2』(朝日出版社)『名画で読み解く ハプスブルク家12の物語』(光文社新書)など。訳書にツヴァイク『マリー・アントワネット』(角川文庫)など。『怖い絵 3』は5月下旬刊行予定。


連載・エッセイ
温又柔「失われた『母国語』を求めて」
- 第8回 幻の原稿 [2011.12.13]

今尾恵介「日本を定点観測する」
- 第15回 中世の自治都市・堺の今昔 [2011.12.06]

温又柔「失われた『母国語』を求めて」
- 第7回 「ママ語」の正体 [2011.11.28]

今尾恵介「日本を定点観測する」
- 第14回 仙台南隣の宿場町は「副都心」へ ─ 長町 [2011.11.25]

村田奈々子「ギリシアの風」
- 第8回 サイードとカヴァフィス [2011.11.22]



↑ページのトップへ