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連載・エッセイ

第1回 はじめに──「戦後思想」としての社会思想(1/2) ―2009.06.30

「戦後」の思想

 ヨーロッパの思想史のうえで文字どおり画期的なカントの『純粋理性批判』初版が刊行されたのは1781年、日本ではようやく江戸時代の後半にさしかかろうという時期だった。それから現在まで230年近い歳月が流れた。これを長いと見るか、意外と短いと見るか、さまざまな捉え方が可能だろう。ともあれこの間に、日本をもふくめ、ヨーロッパを中心とした世界の様相は大きく変貌を遂げた。19世紀をつうじたナショナリズムの興隆と国民国家の成立、植民地争奪戦を軸にした第一次大戦と社会主義革命、さらには第二次世界大戦とそのもとでのホロコーストをはじめとした大量殺戮。そのなかで、急速な近代化に邁進した日本もまた繰り返し侵略戦争を押し進め、おびただしい死者たちを生み出した。言うまでもなく、これらの現象はいまも、21世紀の私たちの世界を展望するうえで、たんに過去の記憶にとどまらない出来事として存在している。
 20世紀の後半からはアメリカ合衆国が世界の政治舞台に大きく登場し、社会主義革命によって成立したソビエト連邦とともに、いわゆる冷戦の時代が展開されてゆくことになる。しかし、1990年前後のソ連邦や社会主義圏の崩壊とともに、ポスト冷戦の時代にほとんど不意打ちで世界は突入し、以来、経済的なグローバリゼーションと政治的なナショナリズムが抱き合わせになったきわめて不安定な状態に私たちは新しく置かれている。とりわけ、2001年9月11日の出来事以来のアメリカ合衆国を中心とした報復戦の継続は、21世紀もまた戦争の時代であることを私たちに知らしめた。さらには、2008年12月27日から2009年1月18日まで、イスラエル軍はガザ地区のパレスチナ人にたいして徹底した空爆をおこなった。
 このような状況のなかで、どのような社会がよりよきものとして構想されるべきなのか、私たちは具体的なイメージをなかなか思い描くことができないでいるのが実状ではないか。アメリカ合衆国に端を発した「世界不況」は、経済の活性化なしには何ごとも立ち行かないかのような風潮を生み、とりわけ日本では、裁判における即決・厳罰化の流れのなかで「人権」という概念がまるで勇気をもって否定されるべき対象であるかのように語られたりする。「人権活動家」「人権弁護士」といった語彙が悪罵のように投げつけられるさまは、じつに奇怪と言うほかないだろう。そこに、この間にすでに定着したかのような日本のナショナリズムを重ねるとき、私は肌に粟粒が立つような恐怖をおぼえる。
 このような事態の進展のなかで、ヨーロッパはEU(ヨーロッパ連合)というまさしくカント的な理念に裏打ちされた社会状態へと、緩やかに、しかし着実に踏み出そうとしてきた。EUというあり方が今後の世界の指導的な理念のようなものとなりうるのか、そもそもEUがEU憲章の採択という形にまでいたりうるのか、そのことさえまだまだ不透明な段階だ。しかし、現時点でカント以来のドイツ社会思想の展開を大きな枠で振り返ってみることは、私たちにとって示唆するところが多いに違いない。何と言ってもドイツは、19世紀初頭におけるナポレオン戦争の敗北、19世紀後半の普仏戦争の勝利、第一次世界大戦における敗戦、第二次大戦の敗北による廃墟化と分断といった事態を潜り抜けていった国であり、とりわけナチス体制下でのホロコーストという決定的な出来事を抱え込むことになった国だからである。
 ホロコーストはもちろん、社会主義革命にしろ、二度の世界大戦にしろ、ほとんど呆然と立ち尽くすしかないような圧倒的な現実である。そのような現実をまえにすれば、ともすれば思考は停止され、言葉は失われてしまうというのが正直なところかもしれない。しかし実際には、これらの過酷な現実をまえにして、そのつどさまざまな思考が絶えず紡ぎだされていった。19世紀以来、加速度的に困難さを増してゆくかのような状況はけっして、ひとびとにたんに思考停止を強いたのではなかったのだ。むしろ、状況の過酷さが高まれば高まるほど、それぞれの思想家は新たな思考によって現状にたいしてしたたかに打ち返していった。そのようにして、それぞれの思想のことばは現実の刻印を帯びて生み出されるとともに、また逆にその思考をつうじて新たな現実を生み出していったのだった。

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連載・エッセイ


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