
古書店でいつものように地形図を漁っていたら、上のフチが真っ赤に塗られたものを見つけた。印刷されたというより、ハケのようなもので赤インクを着けたと思われる。

図1:5万分の1地形図「三津」昭和7年鉄道補入(軍事極秘・参謀本部版)

図2:5万分の1地形図「三津」昭和7年鉄道補入(一般頒布用)
図1は5万分の1地形図「三津」で、現在の東広島市安芸津町三津とその周辺が収められているのだが、右上端には「軍事極秘(戦地ニ限リ極秘)」とものものしく印刷されていて強烈だ。
次の行には「五万分一地形図 広島三号 呉要塞近傍二号(共十五面)」とある。「広島三号」は5万分の1地形図の整理番号だが、軍事極秘の理由は「呉要塞近傍」だ。つまり重要な軍港であり、海軍の司令部たる鎮守府が置かれている呉市に近く、敵に地形その他を知悉されると困るのである。
「マル秘」という言葉は最近でも口語でよく使われ、今でも会社その他の組織で用いられているが、戦前の地形図の場合、秘密の度合いに応じて「秘」「極秘」「軍事極秘」「軍事機密」の4段階に分けられていた。その区分の詳細は資料を入手していないのでわからないが、ただの「秘」などは、なぜ軍事施設もなく一見普通に見える地域を秘匿するのか理解に苦しむ所もある。
これに対して、さすがに「軍事極秘」と「軍事機密」は軍にとって防衛上重要な意味を持つ地域が対象だ。実は古書店で見つけた赤い縁の地形図は束になって売られており、その大半が対馬の図だった。日本海の西の出入口にあたる対馬海峡に面した地域であるが、ここに限らず宗谷海峡、津軽海峡、豊予海峡(愛媛県と大分県)、紀淡海峡(和歌山県と淡路島)など、海峡部分は軒並み「軍事極秘」である。他には鎮守府(または要港部)の所在地など軍事上重要な地域で、大湊、東京湾、舞鶴、長崎・佐世保、それに沖縄方面などがこれにあたる。
そもそも戦前に一般向けに発行された「地形図一覧図」にはこれらの地域の地形図は図名さえも掲載されておらず、第1回にご紹介したように、代替の図として軍事施設や地形など細部を大幅に省略した「交通図」が申し訳程度に発行されているだけであった。
日中戦争が始まった昭和12年(1937)には軍機保護法が改正され、さらに秘図のエリアは拡大されていく。手元にある山口県の5万分の1「宇部」は「秘」表示のない昭和初期の図と、内容がまったく同一にもかかわらず「軍事極秘」の印刷が加えられ、縁が赤く塗られている2種類があり、年を経るに従って地理情報の秘匿範囲が広がったことがわかる。
図1の赤フチの「三津」は昭和7年鉄道補入版だが、軍機保護法改正以前に発売された同じく「昭和7年鉄道補入」の図2と比べると差異は一目瞭然だ。図の北東部分が空白になっている。これが何を意味するかといえば、図2は隠したい部分を空白にして一般に頒布したものであり、図1は一般人が入手できなかった軍事極秘の地形図ということだ。
「軍事極秘」はかなり秘密度のレベルが高いため、図の裏面には識別番号が捺印されていて、この図の場合、「軍事極秘天第壹六八六号」と捺されていた。つまり地形図の所持者が1枚1枚特定されているのだ。だから紛失した場合など厳罰が待っていたようで、だからこそ戦場の混乱の中で紛失した場合に過度な責任を負わせられないため「戦地ニ限リ極秘」の但し書きがあるのだという。
参考までに軍機保護法(昭和12年改正)では「軍事上ノ秘密」を「作戦、用兵、動員、出師ソノ他軍事上秘密ヲ要スル事項又ハ図書物ヲ謂フ」(その範囲は陸海軍大臣が定める)とし、これを他に漏らした者への処罰は、その第3条に「業務ニ因リ軍事上ノ秘密ヲ知得シ又ハ領有シタル者之ヲ他人ニ漏泄シタルトキハ無期又ハ三年以上ノ懲役ニ処ス」とあるように、非常に厳しかったのである。
この図で一般人の視界から抹消させられたエリアのまん中にある大久野島には、昭和4年(1929)から化学兵器製造施設、いわゆる毒ガス工場が設置され、イペリットやルイサイト、催涙ガスなどが大量に生産された。ところが半世紀以上も経った中国で、日本軍が戦時中に地中に埋めたこれらの物質が何らかの事情で地上に掘り起こされ、知らずに触れた現地の人が健康被害を受ける事件があった。土壌汚染も心配だ。
後世にまで深刻な影響を及ぼす大いなる負の遺産が、この地図の空白の裏側で作られたことを忘れてはならないだろう。