白水社 白水社
書籍の検索 →詳細検索はこちら
 

教科書検索はこちらから買い物カゴを開く
白水社 白水社 白水社
トップページ
耳より情報 新刊情報 おすすめ本 全集・シリーズ 白水Uブックス 文庫クセジュ 語学書 雑誌『ふらんす』
岸田國士戯曲賞 パブリッシャーズ・レビュー クラブ白水社 メルマガ「月刊白水社」 教科書見本 連載・エッセイ 書店様向けページ
連載・エッセイ

第26回 祭りの季節 ―2009.07.24

ドルドーニュ便り《番外編》


ボショー僧院の遺跡

隣の町テヴィエの土曜朝市で桃とアプリコットを買い、消防署前の駐車場に戻ってきたら、夏祭りのお知らせビラが車のワイパーにはさまれていた。近所の村のぺタンク競技会と花火大会の案内だった。

7月と8月はフランス全土が祭りの季節となる。町の観光案内所でもらったドルドーニュ地方の夏のフェスティバル小冊子をみると、行事の多彩さにおどろく。バロック音楽祭、アコーデオン祭、ケルト文化祭、美食祭、サーカス、自動車ラリー……と、ほとんど毎日どこかで祭りが行われている。

ドルドーニュ県の面積は9000平方キロ(東京23区の15倍)で人口40万、コンミューン(市町村)が550ある。夏になると、それぞれのコンミューンが、独自のフェスティバルを企画して競いあう。今年最大規模の催しはヒッピー文化を回想する“ウッドストック40周年祭”だ。主催者が県というのがフランスらしい。春に、この企画の記者会見にでたが、知事(社会党)が自ら説明していた。

さて上の写真は、夏の夕暮れどきボショー僧院の遺跡でコンサートがはじまる前の光景だ。聴衆と地元のアマチュア合唱団の人々が歓談している。これを撮ったのは午後8時30分、9時から演奏がはじまり日没は10時だった。ここでは、ゆっくり時間が流れる。まるで中世の夏のように。

陽が落ちて、修道院跡の周辺が暗闇になった。上を見上げると星が見える。半分しか残っていないドームの端に数匹のハトがおとなしく止まっていた。ルーカス・フォス(アメリカ人作曲家:1922-2009)のミサ曲の歌声が闇のなか静かに流れていく。

ボショー僧院は12世紀の半ばに建てられたシトー派の建物だ。シトー派の修道僧は自給自足で暮らしていたから、昔はこの周辺は麦畑と牛や羊の牧草地だったのだろう。彼らは、当時の十字軍遠征の熱狂にそっぽを向き、労働と祈りを信条に生きた人々だった。ルーカス・フォスのミサ曲はこの遺跡にふさわしい。


パパドポロス兄妹

人口300人のわが村でも、コール川に松明を立て燃やす恒例の火祭りがあり、100人の合唱団が歌う“カルミナ・ブラナ”(ドイツ人作曲家カール・オルフの1937年の作品)の演奏会が教会で開かれた。素晴らしいできのコンサートだった。チケットは24ユーロ(3000円)ですこし高いが満席だった。

7月中旬、今年で8回目になる村の教会修復募金のための“木曜コンサート”(4週連続)が開かれた。会場はもちろん教会だ。演奏会の前に、クレディ・アグリコル銀行から3万ユーロ(400万円)の寄付があり、その式典があった。この大口寄付に事務局長のフォルニエ将軍(退役)はご機嫌だった。ハイライトは、3万ユーロの小切手(畳半畳もあるパネル)の授与式だった。祭壇の前での現代的光景ではある。

式典のあと、募金委員長のドランクールさんに「寄付は金融危機の前に、決っていましたか」と聞くと「もちろん、前だったよ」と言っていた。後だったら、銀行からの寄付はムリだっただろう。

コンサートはパパドポロス兄妹のバイオリンとピアノの二重奏で、グリーグとステンハマーの作品を情熱的にふたりは演奏した。兄のデミトリはピアノ、妹のマリー・クロディヌはバイオリンで数々の国際賞を得ているが、ほとばしる若きエネルギーに圧倒された。

1時間のコンサートのあと、6時半からレセプションがあぅた。この時間でも日差しはつよい。デミトリはわたしに気づき「去年もお目にかかりましたね」と言った。

兄妹の母親はテヴィエの生まれで、20年前から家族はストラスブルグで暮らし、ご主人は数学者だという。「パパドポロスはギリシャ系の名前ですよね」と尋ねると「わたしの夫の父がギリシャ系の移民で、テヴィエの医者でした」と言っていた。

作家のサルトルが少年時代にテヴィエで暮らしていた頃、彼女の義父は彼をよく知っていたという。ちなみに、サルトルはテヴィエでは人気がない。その理由は、自伝のなかでこの町のことをよく言っていないからだろう。という訳で、観光パンフレットのなかに彼の名はない。


モスレムの流鏑馬

妻とわたしは、“中世の騎士のデモ”を見に、家から車で20分のところにあるラシヨン城にでかけた。入場料10ユーロ(1300円)。はじめて見る城は荒れ果てていた。中世の騎士の装束を着た若者たちが、こどもに剣の使い方を教え、僧服をきた人が宗教画を描いていた。

馬に乗った二人の騎士が登場し、騎馬戦がはじまった。ひとりは十字軍、もうひとりはイスラム軍の兵士に扮して、槍や刀を使ってのデモだ。モスレム騎士を演じている若い女性が、疾走する馬上から標的に弓を射る演技を披露したが、これはドルドーニュ版流鏑馬(やぶさめ)だ。

モスレムを演じた彼女は、観客に次のような説明を加えていた。「十字軍と戦ったサラディンは勇敢で寛大だった」「当時のイスラム文明はヨーロッパより優れていた。十字軍が持ち帰ったイスラムの技術と知識は、のちのヨーロッパの発展につながった」。十字軍讃歌ではないバランス感覚のある歴史解説に、わたしは好感をもった。あとで気がついたのだが、騎馬戦で勝ったのは彼女だった。

城の修復作業をしているオランダ人の彫刻家ジョセフさんが、城主デュミさんを紹介してくれた。デュミさんが「すこし、この城のことを説明しましょうか」と言ってくれたので「お願いします」答えると、1時間以上とうとうとドルドーニュの歴史、城の歴史と構造、修復計画を語ってくれた。宗教戦争(1562-1590)のことをまるで昨日のことのように、1570年代に建った城の様式について熱をこめて語ってくれたのである。城が荒れ果てている理由は、長い間放置されたままだった上に、1998年の火災で大被害をうけたからだという。また、ナチス・ドイツ軍がフランスを占領していたときには、彼らがこの城を使っていたという。


デュミさん

「デュミさんは、建築家ですか」とわたしが尋ねると「いや、パリで弁護士をしていました。ドルドーニュの歴史と自然に惚れこんで、10数年前にこの近くに引っ越してきました。5年がかりの交渉でラシヨン城を買い取り、1年前から修復にとりかかっています」と彼は答えた。

素人目にも、この城の修復は大事業のように思える。別れ際にデュミさんは次のように語っていた。「この城を修復するのは、歴史と文化を次の世代に継承するためです。別にわたしの家族が住むためじゃありません。プロジェクトに賛同する20人の仲間もできたので、時間をかけてやりますよ」。

翌日、ラシヨン城のサイトを開いてみたら、地方紙スュッド・ウェストの特集記事が載っていた。それによると、デュミさんは20歳のときから、城を持つことを夢みていたという。インタビューのなかで、彼は「修復プロジェクトは資金集めをしながらだから、すくなくとも15年はかかるね」と語っている。


連載・エッセイ
温又柔「失われた『母国語』を求めて」
- 第8回 幻の原稿 [2011.12.13]

今尾恵介「日本を定点観測する」
- 第15回 中世の自治都市・堺の今昔 [2011.12.06]

温又柔「失われた『母国語』を求めて」
- 第7回 「ママ語」の正体 [2011.11.28]

今尾恵介「日本を定点観測する」
- 第14回 仙台南隣の宿場町は「副都心」へ ─ 長町 [2011.11.25]

村田奈々子「ギリシアの風」
- 第8回 サイードとカヴァフィス [2011.11.22]



↑ページのトップへ