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連載・エッセイ

千野帽子(2)『ワット』 ―2009.10.09

再読愛読

千野帽子(勤め人・文筆業)第二回

『ワット』サミュエル・ベケット 著/高橋康也 訳

 サミュエル・ベケットの『ワット』(1953)が書かれたのは刊行の10年前、第二次世界大戦中のことだそうです。当時作者は、ナチスの手を逃れて南仏の小さな町に潜伏していました。ベケットの長篇小説では、これがいちばん好きです。
 『ワット』では、『マーフィー』(1938)にも出てきたようなどうにもとらえどころのない男性主人公が、ノット氏邸に滞在した体験が報告されます。室内の家具の配置の位置関係や、複数の登場人物たちがそれぞれべつの登場人物に視線をやる行為などの順列組み合わせが、網羅的に書きつくされている箇所も抱腹ものですが、いったいどうやってワットの体験が読者のもとに届いたかが明かされる中盤が切ない。お薬出しときましたからね、と言いたくなる。
 小説は言葉で作られているものですが、その言葉というものについて小説は言葉を使ってなにができるのか。この問に果敢に答えたのは、ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』(1939)ではなく、この『ワット』やル・クレジオの『巨人たち』(1973)なのではないでしょうか。
 ちなみにベケットの短篇小説では、『短編集』(白水社)中の「人べらし役」(1970)が一番です(安堂信也訳)。フランスではこれ一篇で独立した単行本として刊行されています。銀行あたりでくれるメモ帳みたいな、小さくて薄っぺらい本で、本棚のなかでなくなりそうで不安です。



ワット
ワット

サミュエル・ベケット 著/高橋康也 訳


語り得ないものを語ろうとするワットの精神の破綻を、複雑な語りの構造を用いて示した特異な作品。『短編集』は現在品切。


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