白水社 白水社
書籍の検索 →詳細検索はこちら
 

教科書検索はこちらから買い物カゴを開く
白水社 白水社 白水社
トップページ
耳より情報 新刊情報 おすすめ本 全集・シリーズ 白水Uブックス 文庫クセジュ 語学書 雑誌『ふらんす』
岸田國士戯曲賞 出版ダイジェスト クラブ白水社 メルマガ「月刊白水社」 教科書見本 連載・エッセイ 書店様向けページ
連載・エッセイ

上原隆「私の“結びコレクション"」 ―2009.11.24

 会社勤めをしていた頃、本を読むといえば電車の中だった。
 ロバート・B・パーカーのスペンサー・シリーズを読んでいると、頭の中がハードボイルドになった。自分の行動が逐一文章として浮かんでくるのだ。男は鞄に本を入れた。立ち上がるとドアに近づき、電車を降りた。プラットフォームを歩く。さりげなく振り返り、尾行されていないかを確認した。おっと、前を歩く女性にぶつかった。などというように。
 ピート・ハミルを読んでいる日は、東京がニューヨークになった。今日の打合せはロシアン・ティールームにするか、などと心の中でつぶやいてドトール・コーヒーに入った。
 ボブ・グリーンの本から顔を上げると、目の前の会社員に思いを馳せることになった。彼は一週間前に解雇された。家族にはいえず、今日も背広を着て会社に通っているふりをしている。話をきけば高校生の頃に抱いていた夢について語るのではないだろうか。
 三十年近く、私はアメリカの作家たちに夢中になっている。前にあげた三人だけでなく、ポール・オースターも良いし、ミッチ・アルボムも好きだ。
 私は、彼らの書く内容というよりも、文章が好きなのだ。洒落ている。とくに文章の結びに工夫のあるものがたまらない。
 そのたまらないヤツを、二つほど紹介する。
 ひとつは、ボブ・グリーン(井上一馬訳)の「サムシング・ブルー」。
 結婚するはずだったのに、直前になって恋人にふられてしまったジニーは、式を挙げることになっていた日に、仲の良い友だち五人を自分のアパートに招いた。音楽を流し、シャンペンで乾杯し、プレゼントを開け、おしゃべりをしている。冗談が飛びかい、笑い声がたえない。やがて、会話はジニーのもとを去った恋人のことにふれるようになり、座がしんみりとする。中で唯一結婚している女性が「結婚もそれなりに楽しいわよ。でもひとりでいるのも、またそれなりに楽しいんじゃないかしら」となぐさめる。「気を使ってくれなくてもいいのよ」とジニーは答えた。
 パーティが終わりに近づいている。
 「女たちはかわるがわる乾杯のグラスを合わせた。
 『今晩ゲーリー・クーパーのいい映画があるらしいわ』ジニーがぽつんと口にした」
 ここで終わる。
 最初読んだとき、〈やられた〉と感じた。
 パーティが終わり、友だちが去って、ひとりになったときの寂しさが頭を離れない、それを忘れようとしているジニーの気持ちが、たったひとつのセリフで伝わってきた。「ゲーリー・クーパー」という固有名詞が(いささか古いけれど)、彼女が実際にそういったに違いないという現実感を与えている。
 もうひとつは、ミッチ・アルボム(別宮貞徳訳)の『モリー先生との火曜日』という本の中の一節。
 この本は中年のミッチが大学時代の恩師モリーの死期が近いというので会いに行き、それから毎週火曜日にモリーの人生観をきくという話だ。
 ミッチはモリー教授とのつき合いを思い出す。
 「カフェテリアでいっしょに食事をすることもあった。モリーは、うれしいことに、ぼく以上に野暮ったかった。噛みながらしゃべる、大口をあけて笑う。卵サラダをほおばったまま、かっかと意見を述べる。口から黄色いものがプッととび出す。
 こっちもゲラゲラ笑ってしまう。その間じゅうぼくがやりたくてたまらなかったことが二つある。モリーを抱きしめること、ナプキンを渡すこと」
 うまいなー。
 最後の一行は、組み合わせの妙というか、「ナプキン」というところで肩すかしをくらうような感じになる。ユーモアがある。
 いいなと思う結びには、意外性がある。意外だけれど、文章のテーマが凝縮されている。そして具体的だ。ゲーリー・クーパーだったりナプキンだったり。
 私の「結びコレクション」はまだまだある。実は、こんな結びを書きたくて文章を書いているようなところがある。
 私の書いているのは「ノンフィクション・コラム」だ。実際にあったことを短い文章に綴っている。テーマは「困難に陥ったときに人はどう自分を支えるのか」。このテーマだから、扱う内容が貧困や病気や失恋など、つらい事柄が多い。
 読者からの感想は内容に関するものがほとんどで、「励まされた」とか「泣けた」とか書いてある。ありがたい。しかし、文章にふれたものはひとつもない。それが、私としてはちょっと寂しい。
 そこで、私の書いた文章の結びを、ひとつだけ紹介させていただく。
 朝日新聞夕刊に掲載した「傷を見るのをやめた」という文章だ。
 北川良子は、夫から離婚してくれといわれた。夫は職場の女性とつき合っていて、その人に子どもができたという。良子との間に子どもはいない。突然だったので、良子はとまどった。夫が泣き、良子も泣いた。泣きながらこういった。「わたし、別れないから」。が、夫の意志は固かった。九年間の結婚生活のどこがいけなかったのか、自分が悪かったのか、もっと夫に依存すべきだったのか、彼女はもがき苦しんだ。
 それから一年後、私は良子に会って、彼らが暮らしていたマンションを、一緒に見に行こうとしている。彼女は立ち直っていた。資格をとるための試験勉強に打ち込み、傷を見ないようにしたことが良かったのだという。
 「私たちはマンションの前に着き、玄関に入る。
 『五○一号、立石という人が住んでるわ』良子が表札を見上げる。『このマンションはロビーが広いんですよ』そういうと彼女はドアロックを解除する数字を押そうとする。少しして、良子は振り返るとニコッと笑ってこういった。
 『わたし、暗証番号忘れちゃってる』」
 ここで終わる。
 どうでしょう、この結びは。
 私の「結びコレクション」に較べると、まだまだ修業が足りませんね。
 そんなわけで、私にはどうしても、やり遂げたいことが二つある。一度でいいから、読者が〈やられた〉と感じるようなものを書くこと。この文章を洒落た結びで終えること。

(筆者=コラムニスト。著書に『友がみな我よりえらく見える日は』(幻冬舎アウトロー文庫)、『胸の中にて鳴る音あり』(文藝春秋)、『にじんだ星をかぞえて』(朝日文庫)など。)
連載・エッセイ
ことば紀行
- 第2回 林ひふみ【中国語】 [2010.07.21]

「愛書狂」岡崎武志
- 第13回 [2010.07.21]



今尾恵介「地図で読む戦争の時代」
- 第25回 「不要不急」とされた鉄道 [2010.07.12]



↑ページのトップへ