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第10回 ―2010.01.18 年が改まってまずすることは、一年の計をたてる前に、今年最初に読む本はどれにしようかと思案することだ。それこそが読書人だろう。年末に買ったとっておきの新刊や、再読に耐え、心を清々しくするお気に入りの一冊など、一年の最初を飾る本を決めるのは、一種の儀式のようであった。 しかし、五十の坂を越え、坂の上の雲を振り返るようになってからは違う。最後にお棺に入れるにはどの本がいいか、と考えるようになった。新年早々縁起でもない、なんて怒ってはいけない。人間、いかなる場合も締めくくりが大事なのである。 無人島へ持っていく一冊というアンケートがあるなら、棺に収める一冊という問いかけがあってもいい。そこで感心したのが吉田健一。遺体の胸に置かれたのは、読みさしのクリストファー・サイクス『イーヴリン・ウォー伝』だった。篠田一士が『樹樹皆秋色』のなかで書いているのだが、なんとも福福しく、忘れがたい光景に映ったという。 ちなみに同著によれば、石川淳の棺には、荘子、ミショー、そして天金のヴェルレーヌ選詩集の三冊が収められた。これはまた、いかにも和洋古今の文学に通じた碩学の文人らしい見事な三幅対だ。 ところでいま、雑誌でもっとも読ませるのは『yomyom』(新潮社)連載の川本三郎「君、ありし頃」。一昨年、食道癌で亡くなった夫人の恵子さんを偲ぶ文章だが、残された者の哀切が行間まで沁み渡って泣かせる。川本は亡骸と一緒に恵子さんの著作を入れたそうだ。さて、私はどんな本を棺に入れるか。もちろんそれは内緒である。 |
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