
イタリアのボローニャに住み始めて17年目を迎えようとしている。ところが日本の友人知人からは、「ボローニャってどこにあるの?」という質問がたえない。ヨーロッパ最古の大学がある町、とか、児童書のブックフェアが有名でね、と答えてみるが、大方の人の反応はいまいちだ。そこで結局、「ヴェネツィアとフィレンツェの間にあるんだけど」と答えると、なんとなく納得してくれる。一抹の寂しさを感じてしまうのは、私の心の一部がボロネーゼ(ボローニャっ子)になりつつあるからだろうか。日本人旅行者はほとんど見かけないが、欧州からの旅人は多い。派手さはないが、通のための渋い観光地、といったところなのかもしれない。ましてや住んでみると、数々の面白話も耳に入ってくる。そんなこんなで、ここはひとつ、わが町を紹介をせねばならん、という結論にいたったわけだ。
ところで、落語の中には、ご隠居なる人物が必ず登場する。物知りで見識高い。来る者拒まず、示唆に富んだ、ひねりのきいたアドバイスをしてくれる。そんな「ご隠居さん」が、ボローニャにもいる。といっても現役の宝飾職人さんなので、「ご隠居」と呼ぶには失礼なのだが。白い髪とモコモコの白いひげ、サンタクロースにも似た風貌。いつ工房に顔を出しても、ニコニコと迎えてくれる。ボローニャのすべてを知っている彼は、まさに頼りになる「ご隠居」であり、人生の酸いも甘いも噛み分けた百歳近い彼の御母堂と共に、私の「知恵袋」なのだ。
そこで今回も、「ご隠居」のご意見伺いに参上した。
「ご隠居、実は今度、ボローニャに関して書くことになったんですよ。何から始めましょうかねえ」
「旅人は遠くから来たるもの。町を外から眺めて、ゆっくりと内側に導いてあげたらどうかね。ボローニャに来て、最初に見えるものはなんだい?」
ということで、第1回はこれです。
列車や車、そしてあるときは飛行機の窓からでも、ボローニャの町が近づいてくると、あるものが視界にはいってくる。町並みよりもひときわ高い丘の上に、ひとりポツンと立っている建物。周囲には何もないので、目を引くはずだ。
この丘はかつて「見張りの山」と呼ばれていた。1000年頃の話である。当時、近隣諸国との間に戦争が頻発していたため、ここには見張り台が置かれていた。その丘に立つ煉瓦色の建物。本体部分が円筒形をしているらしいことは、遠目にもわかるだろう。その上部には、ひとまわり小さな丸屋根がついている。いっぽう下部には、尖塔をいくつか持った宮殿のようなものが横たわっている。要塞か、はたまた見方によっては、ちょっと仏舎利塔のようでもある。そのせいか、ボローニャを初めて訪れた人で、一見してそれが教会だと分かる人は多くはない。
正式名称は、「サン・ルーカの聖母の教会(Santuario della Madonna di San Luca)」という。新約聖書の著者のひとり、聖人ルーカが描いたといわれる聖母子像を奉った教会だ。ボロニェーゼ(ボローニャの地元の人々)はみな、「サン・ルーカ」と略称で呼んでいる。彼らは、高速道路からこれが見えたら「ああ、やっと家についた」と安堵し、列車の窓にこれを見つけると、いそいそと降りる支度を始めるのだ。その愛着ぶりの程は、「窓からサン・ルーカが見えます」というのが、地元の住宅情報誌での“売り文句”となっていることからもうかがい知れる。
「サン・ルーカ教会」
いったい、これほどまでに地元の人々にとって特別な教会とはどのようなものなのか。
もう少しボローニャの町に近付いてみよう。高速道路をおりて市街地へ向かう道から、もしくはボローニャ駅で列車を降りて、町の中心部から西へと向かう市バスにのり、その窓からサン・ルーカをさがしてみてほしい。すると教会の足下から、煉瓦色の通路のようなものが伸びているのを確認することができるだろう。それは山腹にジグザクを描き、赤い屋根のかさなる町並みへと消えている。
いったいなんだろう。
ボローニャの町を囲む環状道路には、14世紀に建てられた10個の門が残っている。20世紀初頭まで市街地を囲んでいた城壁の忘れ形見だ。そのひとつであるサラゴッツァ門(Porta Saragozza)は、まるで小さな要塞のような姿をしている。誰もが内部を見学することのできる唯一の門であり、現在は「サン・ルーカの聖母博物館(Museo della Beata Vergine di San Luca)」となっている。町並みを見下ろせる気持ちのよいテラスもある。が、ここからはサン・ルーカの姿は見えない。それなのに教会の博物館が設置されているのには理由がある。あの山腹にジグザグを描いていた通路、つまり旧市街と山の上の教会をつなぐ参道が、この門を出た所からはじまっているのだ。
「サラゴッツァ門」
旧市街を背にしてサラゴッツァ門を抜け、眼前の横断歩道を渡ると、進行方向に向かってまっすぐに伸びる車道の右側にそって延々と続く、歩行者用のアーケードの前にたどり着く。このアーケードが、参道「サン・ルーカのポルティコ」だ。ポルティコとは、家屋の二階以上の部分を道側に張り出させ、その出っぱった部分を柱で支えることによって下に生まれた空間をさす。つまり、このアーケードのことである。ボローニャの市街地の多くの道に設置されており、雨の時など至極便利がよい。旧市街にある13世紀のものが、現存する最も古いポルティコだ。一方「サン・ルーカのポルティコ」は、17世紀半ばから18世紀初頭にかけて建築された“新品”である。
さあ、実際に歩いてみよう。
パン屋だ肉屋だといった世俗の店が脇にずらりと並んでいるので、参道という印象は受けないかもしれない。しかし建築当時、町を囲む城壁の外側であったこの辺りは、人の住まない化外の地であったことを思い起こしてほしい。今でこそ3、4階だての建物の1階部分と化しているが、もともとここには、ポルティコ部分だけしかなかった。つまり、教会へ向かう参拝者を雨風から守るための屋根付きの通路だけが、荒れ野を通って山頂まで、延々とのびていたのである。一階に並んだ店も、ポルティコの上の階も、すべて後になって建て増しされたものなのだ。
「サン・ルーカのポルティコ」は、ひと続きの柱廊としては、おそらく世界でも最も長いもののひとつなのではないだろうか。山の上の教会にたどりつくまで一カ所の切れ目もなく、全長は3796mに及ぶ。その半ば辺りで、車道の右側から左側に移動するのだが、ここでもポルティコが途切れることはない。宮殿のように立派な陸橋に変化し、道の上方を空中回廊のように横切ると、再び何事もなかったかのように、本来の柱廊の姿に戻る。ただしこの地点で、これまでの平坦な道とは「さよなら」だ。ここからは、一気に山腹を駆け上がる急勾配の道となる。
それにしても非現実的な風景だ。ポルティコの途中で歩をとめて、前後を眺めてみるとよい。煉瓦色とクリーム色したアーチが延々と同じリズムで続く幾何学的な様子は、合わせ鏡の中に現れる、あの目眩をもよおす風景を思いおこさせる。ここまで来ると、ショーウインドウもシャッターも、そして人や車もなりをひそめる。俗世と切り離された、修道院の長い通路といった風情だ。
「ポルティコ内部」