
眼前に伸びている長い石の階段は、ゆるやかといえど、登っているうちに息が切れてくる。10段弱ごとに配置された踊り場がありがたい。ポルティコ自体のつくりは平地と同じだ。ただ、片側には店のかわりにクリーム色の塗り壁が続き、もう片側には、屋根を支える煉瓦色の柱が等間隔に並んでいる。柱と柱の間は、大きく開け放たれている。開口部が常に町側を向くように設計されているので、人々は、たえず町並みを見下ろしながら教会に向かうことになる。ふと、京都伏見稲荷の、あの鳥居の列を思い出した。鳥居やアーチを抜ける、つまり、何かを“くぐりぬける”という行為の連続は、日常生活からの離脱をうながすのだろうか。あわただしい町を足元に置き去りにして、余計なものが剥がれていくように感じるのに、宗派や宗教は関係ないにちがいない。
人影はまばらだが、完全に絶えるということはない。日課のジョギングにいそしむ人もいれば、将来の夢や不安を語りあっているような、真面目な顔の女学生の二人連れもいる。カメラをもった欧米人観光客は、慣れぬ上り坂につらそうだ。そして、アーチを支える柱のかたわらには、抱き合って動かぬ若いカップル。共通しているのは、それぞれ自分(たち)と対話をしているようにみえることだろうか。
山腹の参道沿いには、全部で15の小聖堂がしつらえられており、そこには、聖母マリアとその息子キリストの人生と、死と、復活が描かれている。祈りを唱えながら、石の階段を膝まづいて上っていく熱心な信者もいるほどだ。
途中、心臓破りの丘、ともいうべき、かなりの傾斜のきつい部分がある。おしゃべりするのもきついし、冬でも汗が吹き出てくる。ついつい無口になって、自分の荒い呼吸だけを聞きながら登ることになる。興味深いのは、この場所に、キリストの受難を描いた6つの小聖堂が集中していることだ。ローマ兵士にとらえられる直前の場面(第6の小聖堂)から、むち打ちや十字架刑をへて、復活するまでの6つのエピソード。息を切らせて階段を上りながら、キリストの苦しみを体感せよ、ということだろうか。地形をうまく使った演出である。
ここを過ぎれば頂上は近い。
参道の終盤にある一連の急な階段を上りきると、ようやく、遠くから見ていた、あの円筒形をした煉瓦色の建物にたどり着く。階段を上りきった場所は、尖塔のついた、ちょっとした見晴し台のようになっている。向かい側にもまったく同じつくりの見晴し台があり、こちら側とは、U字型のポルティコでつながれている。このU字の最もへこんだ部分に、教会本堂とその入口がある。
人によって違うだろうが、私はこの教会を初めて至近距離で見たとき、想像していたより小さいと感じた。舞台の上の俳優や歌手が、実際よりも大きく見えるのと同じなのかもしれない。とはいえ、ボリュームのある立派な教会であることには違いない。
現在の教会は、この場所に建てられ教会としては三代目にあたる。初代は12〜13世紀にかけて建てられた、簡素で小さな聖堂であった。いっぽう三代目は、1723年に工事が始まり、内装も含め現在の形に完成したのは、なんと1938年のことである。教会に一歩はいると、白い漆喰がまぶしいのもうなづける。
そうそう、余談ではあるが、サラゴッツァ門の内部にある教会博物館で、とてもおもしろいものを見た。現在の教会の平面図が飾ってあるのだが、上下さかさまにすると、女性の卵巣、子宮、膣の形とぴったり一致するのだ。教会の前面にはり出した二つの見晴し台が卵巣。これらの見晴し台をつないでいるU字型のポルティコが卵管で、その中央に、子宮ともいえる教会本堂がある。そして教会のもっとも奥にある中央祭壇部分が、母体と外界をつなぐ膣にあたる。設計図が完成したのは、工事の始まった1723年のことだ。その10年程前には、ボローニャに科学研究所が設立され、解剖学標本の製作が始められた。最初は、解剖された実物の人体を乾燥させてつくっていた。しかし、これらの標本は、時間が経つと色や形がかわってしまう。そこで、精巧なロウ細工の標本がつくられるようになった。博物館内には、サン・ルーカの設計者である建築家ドッティ(Dotti)の彫像が残されているが、こちらもロウでつくられており、気味が悪いほどに生々しい。女体の神秘に感銘を受けた彼が、教会の設計にこの新しい知識を反映させていたとしても、なんら不思議はない。
「サン・ルーカ教会の見取り図」
さて、教会の奥に進もう。
中央祭壇は総大理石、金の燭台に飾られたきらびやかなものだ。教会のご本尊ともいえる聖母子像は、そのさらに奥にある。祭壇の右脇の矢印にそってすすむと、すぐ近くまでいけるようになっている。祈っている人がいるかもしれないので、敬意をもって沈黙のうちに近づきたい。
聖画は、縦65cm、横57cmの板に描かれており、その全面を金の板で覆われている。見えているのは、聖母と幼子キリストの顔の部分だけだ。聖母の頭上には、金の天使が二人、黄金の王冠をかかげて飛んでいる。あまりにも周囲が光輝いているため、聖母とキリストの暗い褐色の顔が、なんだかみすぼらしく見えてしまうほどだ。これほど豪華な装飾がほどこされているというのは、かなりの人々に信奉されている、つまり寄付が多いということに他ならない。そういえば、あの全長4kmにも及ぼうかという参道の建築費用も、そのすべてが寄付によってまかなわれたそうだ。
この小さな絵が人々の関心をおおいに集め始めたのは、1433年のことである。
その年の春、ボローニャは大雨や雹といった悪天候に見舞われていた。このままでは作物がすべてダメになってしまう、と人々が絶望しかけていたときに、ひとりの法律家が、フィレンツェの例を引き合いに出した。その百年ほど前からフィレンツェでは、洪水や大雨から町を守るため、聖母子像を担いで行列を行なっていたのだ。その絵というのが、聖人ルーカによって描かれたとされる作品であった。同じものがボローニャにもあるじゃないか、と、まさに人々は藁にもすがる思いで、聖母子像を町まで運ぶことにしたのである。
伝説によれば、ボローニャの聖母子像は、1160年に、ギリシア人の巡礼者が運んできたものである。彼は、コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)のソフィア大聖堂で、この聖画を託された。絵の下には、「これはキリストの書記たる聖人ルーカの手による作品である。見張りの山にあるサン・ルーカ教会に運び、その祭壇に飾るべし」と書かれていたという。彼は、この聖画が収まるべき場所を探す放浪の旅を続け、ついに、ボローニャの「見張りの山」にたどりついた。そして当時、この山の上で、聖人ルーカに捧げた小さな聖堂を建てて生活していた修道女たちに、聖画を託したのだった。
ここで大変興味深いのは、この伝説を初めて文章にしてまとめあげた人物が、聖母子像の行列をしよう、と発案した法律家であったことだ。彼の語った伝説が、人々に希望を与えたのは確かであろう。幸運にもこの時には、聖画がサラゴッツァ門についた瞬間、ぴたりと大雨がやんだという。それ以降、疫病流行や戦争や悪天候といった時には、決まって同様の行列が行われるようになった。そして現在では、町の恒例行事になっている。復活祭から数えて6週間後の日曜日に、何十人もの聖職者や信徒たちをひきつれて、飾り立てられた聖母子像が参道を降りてくる。町の人々がそれを、サラゴッツァ門で迎えるのだ。日付は毎年かわるが、だいたい6月に催される。無論、地元のテレビ局は万全の体制で、その様子を完全生中継する。
実をいえば、ボローニャの聖母子像が聖人ルーカの作でないことは、科学的に立証されている。聖人ルーカは紀元後1世紀の人物である。いっぽうで、X線調査の結果、この聖母子像が10〜11世紀に描かれ、さらに12〜13世紀に上描きがなされたものであることが解明されているのだ。しかし、いったい誰がそんなことを気にしようか。15世紀に、あの法律家が伝説を書き上げて以来、この聖母子像はボローニャにとって、絶望の一歩手前で差し伸べられる希望であり続けた。この町の人々が、由来も定かでない一枚の絵に、奇跡の力を与えたのだ。
さらに人々は、聖母により大きな力を与えるため、こんなこともした。
あの長い参道「サン・ルーカのポルティコ」には、666のアーチがある。決して偶然ではない。666は、キリスト教では悪魔を示す不吉な数字。しかも、山腹をぐねぐねと進むポルティコの姿は、まるで悪魔の化身といわれる蛇のようだ。キリスト教の教会では、腕に幼子を抱いた美しい聖母が、素足で蛇を踏みつけている絵を見かけることがよくある。これは、悪の化身である蛇を、聖母子がやっつけている図なのだ。ボローニャの人々はポルティコ、つまり666の数字をもった「蛇」を教会に踏みつけさせることで、教会に、ひいてはこの聖母に、悪を倒す力を与えたのである。
ボローニャの町のどこからでも眺めることのできるサン・ルーカ。ああ、確かに。再び仰ぎ見てみれば、裾のひろがったドレスをきた女性のようにも見えるではないか。それは、人々の生活を見守る強き母の姿なのだ。
【インフォメーション】
サン・ルーカの聖母の教会
(Santuario della Madonna di San Luca)
11月~2月 6:45-17:00
3月 6:45-18:00
4月~9月 6:45-19:00
10月 6:45-18:00
*平日は 12:30-14:30 閉鎖されます。
サイト:http://www.sanlucabo.org/
サン・ルーカの聖母博物館
(Museo della Beata Vergine di San Luca)
住所:Piazza di Porta Saragozza 2/a 40123 Bologna
Tel:051 6447421/Fax:051 6440975
サイト:http://www.museomadonnasanluca.it/
火~土 9:00-13:00
木 9:00-18:00
日 10:00―18:00
*2010年1月現在、入場無料
【参考資料】
- Alessandra Cleri, Guida di Portico di San Luca del Meloncello al Santuario, EDITRICE COMPOSITORI, 2008.
- Don Paolo Mattioli, Guida Storia dei Divoti dela Madonna di San Luca, EDITRICE COMPOSITORI, 2004 *1894年に書かれた同名書の復刻版