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連載・エッセイ

2 「ボローニャにポルティコありき」(前篇) ―2010.03.29

ボローニャ四方山話

「ボローニャ四方山話」第1話が掲載された後、宝石職人のご隠居の工房を訪れた。お礼参りのためだ。
「ご隠居、第一話が無事掲載されました。これもご隠居のご助言のおかげです」
「で、次はどうするんだい?」
「サン・ルーカ教会のポルティコの話をしましたんで、もう少し、ボローニャのポルティコそのものについて話そうかと思うんです。これから資料を探しに図書館へ行くんですが、絶版になってる本のようで、見つかるかどうか……」
「ポルティコに関する資料ねえ」
 白髪に金粉をつけたままのご隠居が作業台から立ち上がり、工房にある大きな書棚から、本を一冊とりだした。
「これかい?」
 目を疑った。まさに探していた本ではないか!
「ご隠居は本当になんでも知ってらっしゃるんですね。いやあ、まいりました」
「それ書いたの、うちのお客さんだからねえ」
 えっ、と見やるとご隠居は、ホッホッホッと身体をゆらしながら、工房の奥に消えていくところであった。
 ご隠居に感謝の手を合わせ、第2話であります。


 柱廊。回廊。アーケード。色々な呼び方ができるが、イタリア語では「ポルティコ(複数形はポルティチ)」という。
 ボローニャは「ポルティコの町」だ。第1話でとりあげた、サン・ルーカ教会と旧市街をつなぐ3.5キロメートルの参道。ひと続きのポルティコとしては、世界最長であることはすでに話した。だが、この柱廊だけをもってして、ボローニャを「ポルティコの町」と呼んでいるわけではない。さらに圧巻なのは旧市街である。かつて城壁で囲まれていた旧市街の面積は、わずか4平方キロメートルにも満たない。にもかかわらず、その中に、全長37キロメートルを超えるポルティコが張り巡らされているのだ。
 いったい町は、どのような景観を呈しているのだろうか。
 多くの旅人が到着する鉄道駅から、町の中央広場に向かって歩いてみよう。
 一番線ホームに隣接したホールを通り抜け、中央口からロータリーのある駅前広場へとぬける。広場の向こう側には、6車線分ほど(ボローニャの道には車線のない場所が多い)もある道路が通っている。この道の走っている場所にはかつて、14世紀に建てられた城壁がたっていた。20世紀になって取り壊され、現在は旧市街をかこむ環状道路となっている。この道路の内側が、いわゆる旧市街、皆が「チェントロ」と呼ぶボローニャ市の中心部だ。

 「ポルティコの町」の名のとおり、駅を出るとすぐに、ポルティコが旅人を迎えてくれる。環状道路に面して立つ近代的なホテルには、直線的なラインをもったスマートなポルティコが、レンガと漆喰で作られた建物には、石の円柱に支えられたアーチつきのポルティコが並んでいる。雨の日に駅に降り立つと、「あのポルティコまでいけば傘をささないですむ」という思いで、ついつい足早になる。ああ、ボローニャだな、と思うのだ。
 ここで、ポルティコの基本的なつくりを、もう一度おさらいしてみよう。
 2階以上が1階よりも前方に出っ張った建物をご想像いただきたい。この出っ張り部分は、数本の柱によって支えられている。張り出した部分の下にできた空間が歩道、つまりポルティコとなる。ポルティコの天井は、建物によって様式がことなる。丸天井もあれば、平らなものもある。柱も同様で、円柱、角柱、アーチ付きと多種多様だ。いっぽうポルティコの床面は、様々な色の大理石のかけらをしきつめて、間にセメントを流し固め、それをツルツルになるまで磨きあげた、パッラディアーナとよばれる石の床であることが多い。レンガや石畳がしかれた所もあるが、そちらは減りがはげしく、表面がボコボコになっていて歩きにくいことが多い。駅前のポルティコの床もパッラディアーナで、建物によって微妙に模様や色が違っている。
 ところで、日本と違い、ボローニャの旧市街にある建物の多くは、お互いにぴったりと密接した状態でたっている。建物と建物の間にすき間がなく、境界となる壁を共有して立っているのだ。そして当然、ポルティコどうしも密接することとなる。そのため、色や様式の違う建物が長屋のように続き、同じく色や様式の違うポルティコが、一連の長い通路を形成することとなったのだ。


「マッジョーレ大通り。建物は密接し、異なるデザインのポルティコが続く」

 さて、駅前ホテルのポルティコの下を左手に進んでいくと、道なりに、ちょっとした中庭を通り抜けることになる。鉄骨が目につく近代的なマンションの中庭で、ここにもポルティコがあり、その下には本屋が棚を並べている。立ちどまって本を手に取る人々の間をすりぬけていくと、ポルティコがいったん途切れ、駐車場となっている広場が現れる。むろん、ここでポルティコが終わってしまうわけではない。広場の向こう側にたつホテルや館にも、ポルティコは続いている。連続的に、断続的に。そうしてポルティコに導かれ、私たちは町一番の商店街であるインディペンデンツァ通り(Via Indipendenza)へとたどりつく。
 中央広場まで一直線にのびたこの目抜き通りが完成したのは、19世紀のことだ。その行く先には、旧市庁舎であるレンガづくりの建物が小さくかすんで見える。4車線分ぐらいはありそうな車道をはさみ、ポルティコをもった建物が両側に並んでいる。19世紀にできた劇場、18世紀にできた旧神学校(現在は住居や事務所が入っている)や銀行、17世紀に再建された教会等々、どれも宮殿と見まごう立派なものだ。ポルティコを支える柱も巨大な石造りで、高さも数メートルほどあるものが多い。
 ポルティコの下には様々な店舗がずらりと並んでいる。とくに、衣料品店や化粧品店が多い。ショーウインドーをのぞきこみながら散策する人々。ポルティコの下に、所せましと商品を陳列している花屋。テーブルとイスが並べられ、オープンカフェになっている場所もある。焼き栗や手作りアクセサリーを売るような露店も出るし、何十年も同じ場所にカンバスを立てて、自らの作品を作成・展示・販売している画家もいる。大きなチャウチャウ犬を伴い、アコーディオンをひいている年老いた路上音楽家もよく見かける。道の真ん中にひざまづいて、物乞いをしている若者がいるかと思うと、そのかたわらで10代前半の少年少女たちが、ファーストフード店で買った飲み物を手に、けたたましい話し声を上げている。

 「雑踏」や「カオス」といった言葉も頭に浮かぶが、歩道の幅が3メートルほどあるので、通行にはそれほど支障はない。ポルティコの下は自動車やバイクは当然のことながら、自転車の通行も(基本的に)禁止されているので、事故の心配も少ない。そしてなんといっても屋根つきなので、天気を気にする必要がない。悪天候の日にアーケードつきの商店街に入ると、ほっと一息つく人も多いだろう。ポルティコの下には、あの安堵感が常にあるのだ。だから人々はついつい立ち止まり、おしゃべりに花を咲かす。散歩のかわりにポルティコの下を“行ったり来たり”する。食事や映画のあとで、「ちょっと歩こうよ」というセリフがさまになるのも、ポルティコのおかげなのかもしれない。


「旧市街中心部。前方に張り出した二階部分が柱で支えている」

 さて、町一番の商店街のポルティコがこれだとすると、町で一番古い大通りのポルティコはどうだろうか。
 マッジョーレ大通り(Strada Maggiore)に向かおう。



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