
ボローニャのシンボル、といえば、地元住民は「ドゥエ・トッリ(Due torri)」を真っ先にあげる。歴史地区の中心、文字通り町の“へそ”に立っている、2本の斜塔のことだ。
第2話で登場したマッジョーレ大通り(Strada Maggiore)と、それに続くリッツォリ通り(Via Rizzoli)を含む5本もの道が集まるラヴェニャーナ門広場(Piazza di Porta Ravegnana)。この小さな広場に、四角柱のレンガ造りの2本の斜塔が、ちょうどV字のように並んで位置している。その高さにはかなりの違いがあり、地上約48メートルの「ガリゼンダ(Garizenda)」を、約97メートルの「アジネッリ(Asinelli)」が見下ろしている。2本とも1000年代に入ってすぐに建てられたもので、どちらも建設中に自身の重みで傾いてしまったらしい。
特に「ガリゼンダ」の傾きが顕著だ。長方形のずんぐりむっくりした箱のようなその姿。かつ手は60メートルの高さを誇っていたのだが、あまりに傾いて危険だというので切断され、現在の姿となった。それが1360年のことである。
「傾斜するドゥエ・トゥッリ」
傾いている方からガリゼンダの塔を見上げると、
その上方を雲が流れていくときには、
塔がこちらに向かって落ちてくるような感じがする。
(『神曲』地獄編第31歌)
1200年代半ばに生まれたダンテが「ガリゼンダ」をこう歌った当時、塔はまだ切断される前の姿だったことになる。今では最新機器による監視が実施されており、喜ばしきかな、これ以上傾くことはないと言われている。
いっぽう、のっぽの「アジネッリ」は、やはり傾いてはいるものの、一千年近い年月を五体満足に生き延びてきた。ずんどうで空っぽの「ガリゼンダ」とは対象的に、細くなった先に冠をつけた箸のようにほっそりとした身体の中には、延々と木の階段が続いている。頂上までの段数は498段。楽な道のりではないが、小さな子供でも元気に登っている。階段の手すりが美しく光っているのは、見学者たちの手が何度もそこを触れるからか。いや、それだけではない。手すりを磨き上げている“塔守(とうもり)”がいるのだ。
本来は“塔の管理人”と言うべきところであるが、塔のメンテナンスを一手にひきうけ、その高見から町を見渡す管理人の姿は、灯台守を思わせる。やはり“塔守”と呼ぶのがふさわしかろう。現在の塔守は、3代目のロベルト・ザッザローニ氏だ。
1950年に、市が斜塔「アジネッリ」の管理人の公募を行なった。看護士をしていたのに血を見るのが苦手で、転職を勧められていたというロベルト氏の父親が、木工職人だった祖父を誘って応募したのが始まりだ。見学者たちが登っていく階段の大半は、ロベルト氏の祖父が製作したものである。その後、1954年から現在にいたるまで、ザッザローニ家が「アジネッリ」を守っている。今日働いているのはロベルト氏とその弟、叔父、女性がひとりの計4人だ。
塔守の仕事とは、いったいどのようなものなのか。
斜塔の所有者はボローニャ市である。市は塔の外観と構造上のメンテナンスを担当する。いっぽうザッザローニ一家は、市から斜塔という不動産を借りて、それを観光スポットとして運営している。運営に関わる塔の内部だけを管轄しているわけだ。見学者の払う入場料(一人3ユーロ)が一家の収入となり、年間8,000ユーロの不動産賃貸料を市に支払う。塔内部の運営に関わるメンテナンスの経費も自分持ちだ。市からの援助はない。
塔守の一日を見てみよう。
朝9時にロベルト氏の弟さんが塔の入口の扉を開ける。午後1時にロベルト氏到着。塔内の照明、電気系統は正常に動いているか。階段が安全な状態に保たれているか。点検すべきことは多い。1日平均100~120人、多い日には400人という見学者たちを見守り、時には質問にも答える。イタリア人よりも外国人の見学者の方が多いそうだ。塔の扉が閉まるのが午後6時。この間少なくとも数回は、塔を上から下まで登り降りする。
「人々が常に安全に塔を見学できるようにしておくのが僕の仕事さ」
と、ロベルト氏は、階段の手すりを握ってできた手のひらのマメをみせながら陽気に語る。塔は365日見学可能だ。休館日はない。ロベルト氏の休暇も、年に数日という状態だ。
「それでもやめたいとか、仕事をかえたいとか思ったことはないね。すごく特別な仕事で、満足感を与えてくれる仕事だよ。この仕事をやってるのは、僕らだけなんだ。2、3日も塔から離れていると、塔のことが気が気でならなくなる。家の電気の配線がこわれていてもあまり気にならないのにね。塔のない自分は、魂のない人間みたいなもんだよ」
僕は塔の中で生まれたようなものだから、とロベルト氏。彼の母親は、妊娠中の大きなお腹を抱えて塔の中で働いていた。人は生まれた場所を、自分自身や家族、そして己の人生を象徴するものとして認識する、というのが彼の持論だ。ぼくのことをよく知ってる人は、名字のザッザローニではなく、「アジネッリのロベルト」と呼ぶんだよ、と彼は笑う。塔が彼のアイデンティティー(存在証明)なのだ。若くして病気で亡くなった彼の父親は、亡くなる直前まで塔守として働き続けていた。24歳になる娘さんは別の職業を選んだが、3歳になる孫息子には、仕事をついでもらいたいと願う。
こうした話をうかがっていると、伝統的で、少々古くさいタイプを想像してしまうかもしれない。しかしロベルト氏はまだ47歳。早口で勢いよく話し、日に焼けて引き締まったその風貌は、ヨットレースでもしていそうなタイプに見える。塔守というこの上なく保守的な職業に従事しているなど、とても思いつかないだろう。
「塔守ロベルト氏」
しかし、彼はこう語るのだ。
「19世紀に生まれたかったな。人が目を見て話すことの少なくなってしまった今世紀は、あまり好きじゃない。」
ロベルト氏に、「アジネッリ」の魅力を聞いてみた。頂上から見た景色の素晴らしさ。そこではいつも風が吹いていて、気持ちがいいこと。そして一息いれてから、こう言った。
「塔に登ると、そこは町の中心なのに、地面から切り離されている。自由になれる気がするんだ。飛んでいるような感じかな」
わたしたちも斜塔に登ってみよう。
「アジネッリ」の塔の入り口は、マッジョーレ大通り側にある。人ひとりがはいれるだけの幅しかない小さな入口だ。地上約10メートルの高さにある切符売り場には、いつも女性が座っている。そこまでは丸い螺旋を描いていた階段が、四方の壁に沿った四角い螺旋に変わる。見上げても、塔の中には階段しか見えない。踏み面の幅が極端に狭いところもあるので注意が必要だ。また、階段そのものの幅もせまいので、降りてくる人とすれ違うためには、どちらかが四隅にある小さな踊り場に立ちどまり、相手が通過するのを待たなければならない。
「アジネッリ内部の四角い螺旋階段」
頂上に着くまでには、4つのフロアがもうけられている。傾斜を自覚し始めるのは、3つめのフロアあたりからだろうか。知らず知らずのうちに階段の手すりを握りしめて登っていることに気がつくのだ。そして、もうひとつ気づくことがある。のぼり始めたころには階段でいっぱいだった塔の内部が、いつのまにか広々としていることだ。これは、上へいくほど壁が薄くなる分、塔の中の空間にゆとりがでてくるからである。入口付近で幅3メートルを超えていた壁の厚さは、この辺りまで来ると1.5メートル程、頂上手前では1メートルとなる。こうして重さを軽減することで、塔に安定性を与えたのだ。