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連載・エッセイ

第12回 台湾総統選挙の日 ―2012.02.08

失われた『母国語』を求めて

 一月半ばの台北は、日が暮れたあとでも気温が15度あった。最高気温が5度前後の日々が続く東京にいたので、心身がふわりとほぐれるようだった。マフラーや手袋を部屋に置いてきたのですっかり身軽な心地である。夕食のレストランを探すために両親とともに、日本資本の百貨店が連なるきらびやかな通りを歩いていた。旧正月を控えているので、色とりどりの提灯とともに2012年の干支である辰の姿をあしらった絵などがほうぼうに飾ってある。華やかなその通りに、大きな画用紙をお腹と背中に貼り付けた男が立っていた。画用紙には手書きと思われる文字で「馬英九欺騙我們」と書いてある。男の表情はマスクとサングラスで覆われていて、老人なのか若者なのかよくわからなかった。服装はみすぼらしかった。父も母も、その男を見たはずだった。だけど何も言わなかった。
 ──馬英九欺騙我們(馬英九は我々をペテンにかける)
 大統領選挙を控えた夜だった。

 *
 選挙の日は、従妹も台北に帰ってきていた。祖母の孫の中で最も歳下の従妹は、みんなからメメと呼ばれている。台湾語で妹という意味である。
 ──メメ、好久不見!
 と話しかければ、
 ──姊姊(お姉ちゃん)、オヒサシブリ!
 と返ってくる。数年前までは日本語をほとんど話せなかった従妹は、今、日本の大学に留学中である。
 ──她說、她明天中午就離開台灣!
 (この子ね、明日の昼にはもう台湾を経つのよ!)
 従妹の母親である叔母が言う。
 ──因為、我要上課!
 (だって、学校があるもん!)
 従妹は、選挙のために、投票のために自分の国に帰ってきた。(今回は投票ができないけれど)私もそうである。それなのに、選挙のためだけに従妹が一時帰国したと聞き、思わず日本語で感嘆した。
 ──えらいねえ。
 従妹は子どもの頃から変わらぬ愛くるしい笑みを顔いっぱいに浮かべた。
 せっかくみんなが集まったのだからと、叔父が昼餐を計画した。ジンペングライにしよう、ジンペングライはいい店だ、と叔父が言い、父も、それがいい、ジンペングライは雰囲気もいい、と賛成する。お店の看板を見上げてようやく、ジンペングライが「金蓬莱、Jin1 peng2 lai2」のことだとわかった。「蓬莱」は台湾の異称である。みんなで円卓を囲み、叔父が薦める料理を次から次へと味わう。魚丸湯(つみれ入りスープ)、ツァイボーガオ(ダイコン餅)、バーツァン(肉ちまき)……。父が祖母のほうを見やりながら、台湾語で言う。
 ──むかしは、こういうのをよく食べたもんだよね。
 祖母は上機嫌でうなずく。確かに「金蓬莱」の料理は、小さい頃に祖母から食べさせてもらった料理とどこか似ている。
 ふと、高校生、ひょっとしたらまだ中学生の頃に「台湾ってどんなものを食べるの?」と聞かれたことがあったのを思いだす。「うーん、水餃子とか、春巻きとか、ビーフンとか……」「へえ。それって中華料理とどうちがうの?」
 自分がなんと答えたのかは思いだせない。でも、そう質問されて、とても焦ったことは今でもよく覚えている。
 (私は、台湾のことを知らなさすぎる)。
 台湾人なのに、と。ところがふしぎなことに、私にとってその後ろめたさはいつも長く続かなかった。ひとから「台湾」に関する質問をされてうまく答えられないときに発作的に蘇る。そしてまた薄れる。その繰り返しだった。
 「金蓬莱」の料理は、どれもとてもおいしかった。
 ──這是台灣傳統菜!
 (これは、台湾の伝統料理なんだ!)
 と誇らしげに叔父が言うのを聞いて、私はとっさに身構える。「傳統、chuan2tong3」あるいは「正統、zheng4tong3」。日本語では「伝統」そして「正統」を意味するそれらの言葉に対して、もしかしたら私は敏感すぎるのかもしれない。単に、古くから受け継がれているという意味であるのならいい。そこにほんの少しでも「純血性」を貴ぶようなニュアンスがまじっているのを感じると、途端に恐ろしくなるのだ。叔父の顔は晴れやかだった。美味しくて、しかも懐かしい味を堪能する大人の顔だった。おかげで私は、つまらぬことばかり考えてしまう自分がいやになる。凍頂烏龍茶を従妹が注いでくれる。香りがいい。日本でも人気のあるお茶だと告げると、みんな誇らしげだ。食後のフルーツ──スイカのほかに、グァバ、レンブと台湾独特の果物もあるのがうれしかった。日本では食べられないので──を食べていると、
 ──で、小学校は混雑していた?
 叔父が台湾語でたずねる。父が、まあまあだった、と答える。
 朝からぱらついていた雨がやみ、傘をささずに済むことを父と母は喜んだ。赤茶色の煉瓦の建物が投票所の小学校だった。従妹くらいの若い女の子と男の子を多く見かけた。祖母と同じ歳頃の老人も少なくなかった。家族に支えられながら投票所に入ってゆく老女の背中を、外から見つめた。そう、私は中には入れない。「選舉委員會投票通知單」がない者はここまでだと止められる。それでもよかった。ここに来たかった。台湾の大統領を選ぶ投票日にここにいたかった。
 叔父夫婦と従妹も、昼食後、同じ場所で投票する予定だった。車椅子の祖母も一緒である。話題が選挙のことになって、私はにわかに緊張した。しかし大人たちの口調はのんびりしたものだった(実際は、台湾語と中国語が奔放に飛び交う会話ですが、便宜上、日本語に統一して書いています)。
 ──まあ、大丈夫だろうよ。南部のほうでも投票のために台商たちがこぞって帰ってきてるんだから……
 「台商、Tai2 shang1」とは中国大陸を拠点の一つとして商売をしている台湾人のことである。その言葉を、私は書物をとおして知った。それも日本語で書かれた本によって。要するに、自分の父親や叔父らが、そう呼ばれる存在であることを、私はそんな遠回りによって知ったのだ。
 ……「台商」である父や叔父の念頭には、商売における大陸中国との関係がいつもある。それが急激に悪化すれば、商売に支障を来す可能性も免れない。だからこそ父や叔父のような「台商」は、大陸中国との融和を唱える現職の馬英九(国民党)を支持する。台湾独立? そんなのは夢物語だ。霞を喰って生きろというようなものさ。中国が急激な経済成長を遂げた今、台湾は大陸中国との関係を軽んじることはできない。
 台商たちに言わせれば、馬英九はそのことをよくわかっている。
 しかし。日本がそうであるように、台湾でもここ近年、国民間の経済格差はますます広がっている。対立候補の蔡英文(民進党)は、そのことを強く訴える。企業経営の効率を目的に中国での事業を拡大したいのは主に高所得者層である。中小企業や農業などでは、中国との自由競争にますます追われている。現大統領のやり方を行使し続ければ、生活が逼迫するのは、結局、低所得者層たちである。持つ者と持たざる者。前者ばかりが得する状況を促進するのはおかしい。是正するべきだ、と。
 日本の新聞や書物、それにネットなどの情報をとおして聞き齧ったこれらの知識をもとに、父や叔父に意見する勇気が私にはなかった。そもそも台湾のこうした「現実」を父と叔父が認識していないはずがない。「金蓬莱」の円卓で私はそっと口を噤む。店内は賑わっていた。どのテーブルにも御馳走がずらりと並べられていた。私はふと、きらびやかな夜景の中、「馬英九欺騙我們」と書いた画用紙を腹の前に括り付けて立っていた男のことを思いだす。暗い気持ちになりかけた瞬間、円卓の向こうから叔母ののびやかな明るい声が響いた。
 ──あたしはむずかしいことはよくわからないけど、女の大統領が誕生しても素敵だなと思うわ……もちろん冗談だけど。
 その発言に対して、だれよりも大袈裟に呆れてみせたのが叔父だった。
 ──おまえの冗談は世界一つまらない。
 叔父が彼の妻をそう叱り飛ばすと、円卓がどっと沸いた。
 冗談ではなかったら? 私はひそかに考える。蔡英文を支持するひとたちの中に、「むずかしいことはよくわからないけれど、女の大統領なんて素敵だもの」と思うひとがいないとは限らない。それは「馬英九欺騙我們」と体をはって訴える者の動機とはまるで重みがちがうのかもしれない。しかし、個人の動機に重みがあろうとなかろうと、一票は一票だ。投票箱に吸い込まれたら、一、という数でしかなくなる。有権者がそれを投じるまでの過程は、すかさず「一」という数に収斂されて差がなくなる。
 大統領を、自分たちの国の代表を、個人の自由意思で選べるということの、凄みと危うさ。
 ──馬英九が女性ならよかったのに。
 円卓の斜め向こうから、また声が飛んできた。従妹だった。両親の会話にそうやって従妹が口を挟んだとたん、円卓がまたどっと沸いた。私はひとり呆然とした。おとなたちは皆、従妹の発言を気のいいジョークと思っているようだった。従妹は馬英九に一票投じるために帰国したのである。その選択は、父親による影響が大きいのだろう。私は、父のほうをそっと見やる。
 ──きみの目的は、投票じゃない。選挙を見る。
 今回は投票ができないと私に告げたときの父の言葉を思いだす。でも。もしも見るだけでなく投票もできたのなら、私は、父の支持する候補者に自分の一票を投じたのだろうか?

 「金蓬莱」で満腹になったあとは、天気がさらに良くなっていた。叔父の家の近くで父の顔見知りと出会う。
 ──欸,你回來了。我們等了四年就是今天!
 (やあ、戻ってきていたのかい。四年間、この日を待っていたもんな!)
 ちっとも深刻さの感じられない陽気な口調だった。
 ──我等了四年就是今天。
 胸の中でその中国語を呟いてみる。寸前で投票できないことがわかったとはいえ、この日を待っていた。投票所の入口で考えていた。もしも私もあの中に入ることが許されていたのなら、私はいったい、どの候補に自分の一票を投じたのだろう。馬英九、それとも蔡英文。まさか宋楚兪? この期に及んでまだ答えが出ていない。投票せずに済んだことを、どこかでほっと思う気持ちもある。四年間も待っていたのに。

 *
 その日の午後八時過ぎ、馬英九の再選が決まった。テレビニュースを見ながら、私は喜びも悲しみもしなかった。何も感じなかったのではない。波うつ感情をどう処理していいのか分からず、途方に暮れていた。私は、台湾のことを、他人事とは絶対に思えない。かといって我が事と思いきろうとしても、いつもどこかで遠慮が働く。それでも、私は台湾について考えずにはいられない。日本に対してそう感じるのと同じように。


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