Ph.ノワレが銀幕に刻んだ遺産に思う
フランス映画界と演劇界を股にかけて活躍した重鎮、フィリップ・ノワレが昨年11月末に76歳で亡くなった。生涯に出演した映画は120本以上。ときにアイロニックなユーモアを込めて、ときにいぶし銀の魅力で人間味溢れる演技を披露して器の大きさを感じさせたこの希有な役者を惜しみ、フランスのマスコミはこぞって追悼特集を組んだ。シネフィルに好まれた異色作から大衆的な作品まで、国境を越えて彼が映画界に残した足跡は大きい。『地下鉄のザジ』『最後の晩餐』『追想』、そして『ニュー・シネマ・パラダイス』と出演作を挙げればきりがないが、晩年の代表作といえばやはり『イル・ポスティーノ』だろう。イタリアの孤島に身を寄せる、チリから亡命してきた偉大な詩人(ノワレ)。その彼に、毎日世界中から届くファンレターを配達する臨時雇いの郵便局員(故マッシモ・トロイージ)。学のない彼に、詩人は毎日の触れ合いのなかで徐々に詩心を伝えていく。出自も育った環境もまったく異なるふたりが詩という芸術を通して触れ合い、自然に友情を育んで行く様が丁寧に綴られ、ノワレのおおらかなキャラクターと相まって奥深い感動をもたらしてくれた。
この作品に謳われている、人が人に寄せる敬意、好奇心、寛容性といった精神について考えるうちに、つい最近公開になったばかりのMauvaise Foiというフランス映画のことを思い出した。中堅のバイプレイヤーとして評価の高いロシュディ・ゼムが同じく俳優のパスカル・エルベと共同で脚本を書き、初めてメガホンを撮った作品だ。アラブ系男性とユダヤ系女性のカップルを主役に、宗教と人種の違いが生み出す難しさを描いている。独立精神に長けた若い世代のカップル(演じるのはゼム自身とセシル・ドゥ・フランス)は、自分たちなりの価値観を持ち、宗教に関しても親の世代ほど熱心ではなく互いの価値観を尊重し合っている。だが妊娠を機に女性がユダヤ教のお守りを飾るかと思えば(日本人が神道でもないのに神社にお参りに行くのと同じ感覚か)、男のほうは男児が生まれたら父親のアラブ名をつけると言い、急にラマダン(イスラム教の断食)を開始する。両親は娘の恋人がアラブ人と知ってショックを受ける、といった具合。頭では理解しようとしても、宗教的な伝統や生活習慣の違いを認めたり、偏見なしに受け止めることがどれほど難しいかを突いていてはっとさせられる。そこに安易な解決策はない。ただそんななかでも相手に対するリスペクトや歩み寄りがいかに大切か、それが最大の鍵であることを本作は真摯に語る。背景は異なれど、『イル・ポスティーノ』のように誠実な真心を感じさせる映画だった。


