| 選評 岩松了 |
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マキノノゾミ氏『赤シャツ』を受賞とするか否かだけが問題になった。私自身『坊っちゃん』という小説を読んだ記憶もさだかでないくらいなので、幸いなことに、一本の戯曲として読んだわけだが、どうしても赤シャツが坊ちゃんや山嵐の生き方を「あんな風に生きることが出来たら」と思う根拠が納得出来なかった。その対立が描かれていないと思ったのだ。ということは、やはり原作で描かれている対立によりかかっていて、マキノ氏自身が「あんな風に生きることが出来たら」ということに対する執着もないまま、この作品を産みおとしてしまっているように感じた。執着という言葉を使ってしまったけれど、それはドラマの中盤から後半への緊張感を持続させる力のような気がする。緊張感という言葉を使ってしまったけれど、それは様々な要素がからみ合って流れる時間の謂で、『赤シャツ』の後半がどうしてもやせてゆく印象になるのは、つまるところ、この“執着”に起因するのだと私には思える。早い話が、赤シャツのような生き方のどこが悪いの? それ悩む必要ある? と言いたくなるのだ。 |
| 選評 太田省吾 |
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演劇のおもしろさというものはどういったものなのか。おおよそこのようなものだといった〈制度〉的なものがあること、あるいはそれを構成している要素をまったく欠いては成り立たないことは私もわかっているつもりである。 |
| 選評 岡部耕大 |
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今回は受賞作なしとなった。重苦しい雰囲気の選考風景であった。どの審査員も決定的に支持する作品がなかった。受賞作なしは12年振りとのことである。「それはそれで意味のあることではないか」とも考えた。岸田戯曲賞は演劇界への登竜門の意味を持つ賞である。破綻はあってもこれからを感じさせる戯曲を読みたかった。戯曲を書く意味とは人間への限りない賛歌であり、また人間への限りない挑戦と挑発ではないかと考える。バブル経済が破綻して以来、人間はどこか臆病になっていると思えて仕方がない。あるいは姑息、あるいは卑怯になっていると思えて仕方がない。毒が沈下した。そして、沈下した毒はそれこそ重苦しく人間を蝕んでいると思えて仕方がない。弾けるような人間が書けないものか。そんな苛立ちと焦燥感がある。 |
| 選評 佐藤信 |
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今年は受賞作を選べなかった。選考会のあと、選考委員全員が、なんだか意気消沈して口数が少なくなってしまった。受賞作なしは何年ぶりだろうか。岸田戯曲賞の選考委員は全員が、かつてこの賞を受けた芝居書きによって成り立っている。批評家のような高みからではなく、おたがいに困難な状況を抱えながら戯曲を書いている仲間のひとりとして、なるべくならば「受賞作なし」は避けたいという暗黙の合意が、近年は出来ていたような気がする。だからなおのこと、どうしても受賞作を選べなかった今年の選考会は、苦い後味を残した。ぼくもそうだ。 |
| 選評 竹内銃一郎 |
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五本の候補作の中で、論ずるにたるのは、マキノさんの『赤シャツ』だけであるように思われた。 この作者の作品は、これまでも幾つか読んでいる。どれも、澱みなく物語は流れ、登場人物の骨格もまことに平明で、読者・観客を楽しませるツボがしっかり押さえられたものであった。けれど、その澱みのなさ、平明さがわたしにはいささか退屈に思われ、また、読者・観客へのサービスに走りすぎて、いわゆるウソが際立ち、鼻白むこともしばしばであったと記憶する。 |
| 選評 野田秀樹 |
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今年は、漫画に強く影響された作品がでてこなかった代わりに、テレビの脚本に近いようなものが、いくつかありました。ここ数年、演劇空間のダイナミズムを意識した作品が激減していると思います。 |


