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『三月の5日間』』 岡田利規 |
『鈍獣』』 宮藤官九郎 |
| 二作を推す 井上ひさし |
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舞台の上に、ほかの形式ではとても表現できないような特別な時空間を創り出すこと。その特別な時空間に貫禄負けしないような強靭で生き生きした言葉を紡ぎ出すこと。そして、この二つがうねりながら一つになって、ふだんでは、「見ていても見えず、聞いているのに聞こえない」人間の真実を観客の前に提示すること。しかもその観客は一人や二人ではなく何百何千にも及ぶので、よほど強力なプロット進行を仕掛けないと、それらの人たちは一匹の巨大で生きた観劇共同体にはならないだろうということ……劇を書くということは、以上の難問を乗り越えるための苦役にほかなりません。これが自分で作品を書くときも、ほかの作品を読むときも、評者が頭のどこかにおいている物差しです。 |
| 岡田・宮藤、両氏を強く推す 岩松了 |
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岡田利規『三月の5日間』そこに描かれている世界はまさに青春のすべてではなかろうかと私は思ったのだ。ゆきずりの男女がラブホテルですごしたイラクへの米国の空爆開始の日をはさんだ五日間、さして自覚的とも思えないままデモ隊に加わった若者たちとその周辺、ライブハウスで会った男に声をかけ、その自分に激しく落ちこみ火星に行きたいと語る女等々……いずれもが過不足のない的確な言葉で語られる。そしてラスト。男女は五日目の朝、ホテルを出て、お金の精算をして渋谷駅まで一緒に歩き、別れ、女だけがもう一度五日間をすごしたラブホテルの方へ戻る。そこに用意されているのは、五日間外国のように見えた渋谷がいつもの渋谷に戻っているという、人間の内側で起こるドラマに加担した渋谷という街(世界)の無雑作にしてグロテスクな存在だ。渋谷は、克明にその生態を描かれた若者たちの目の前に横たわっている。その克明と結果描き出されるものとの連なりが見事だ。どんな美しい女の顔も具体的であるという意味でグロテスク、この作品はその域にある。 |
| 〈テアトル〉を青ざめさせるもの 太田省吾 |
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岡田利規の『三月の5日間』は、〈アンチ・テアトル〉作品である。〈テアトル〉に対して、その機構あるいは構造そのものを問いただそうとしている。そしてそこから生み出されたこの作品には〈テアトル〉を青ざめさせるものが秘められている。 |
| 「談合」「下部組織」といった言葉が飛び交った 岡部耕大 |
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華やいだ雰囲気の選考会だった。それだけ粒が揃った作品が多かった。わたしは宮藤官九郎氏の『鈍獣』を推した。殺されても殺されても生き返るゾンビのような人間が主人公である。それも愚鈍なゾンビである。殺しを計画した側が恐怖に慄いていく。その構成力の凄さには舌を巻いた。書き手は予めラストシーンを設定して書く人が多いが、宮藤氏は直観的に構成をひっくり返す腕を持っている。人物設定もそれぞれが個性に満ち溢れていて魅力的である。地方都市の逃れることができない人間関係である。従うか従わせるか。愚か者を装って生きる人間関係は共犯者となる人間関係である。「村社会」は根強く生きているのかもしれない。読みながら感嘆した。舞台が観えるのである。ほとんど、映像といってもいい。多分、宮藤氏は書くのが楽しくてしかたがないのではないか。それほどにエネルギーに満ち溢れた作品である。明くんの悲惨な運命はどうだ。昨今のいろいろな事件を想起させながらドラマはスピーディーに走る。言葉も現代そのものの言葉である。否定し、相手の表情で瞬時に肯定する。「してません。いや、しました」。演じる側もさぞ楽しいだろう。「クドカン時代」が到来するのかもしれない。 |
| あてどなく、あどけなく 竹内銃一郎 |
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受賞作はともにわたしが強く推そうと思っていた作品で、他の委員からの批判をどのようにかわそうかと、あれこれ策を練って選考の場に臨んだのだったが、意外にも(!)二作に圧倒的な支持が集まった。こういうのを嬉しい誤算というのだろう。 |
| 《逆さ蟻地獄》と《ぎぇ〜!》 野田秀樹 |
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岡田利規氏の『三月の5日間』は、読み始めた瞬間から、え? え? え? と思いながら奇妙な路地に迷い込んだ。そして、にやにやしつつ、一気に読めた。読み終えたら、渋谷のラブホテルから出てきていた。そういう感じである。同じところを何度も繰り返しながら、微妙にずれて、先へ進む。進むというより、堕ちていく感じがある。しかも、下へ落ちるのではなくて、上へ落ちていくような気がした。いわば、《逆さ蟻地獄》に嵌った感じである。渋谷の町を、ラブホテルへ逆さに引き返して行く件、決めたわけでもなく五日間ラブホテルで過ごす破目になっていく過程、そして、その五日の閉塞された享楽のうちに、始まったばかりのイラク戦争が終わってはいないかと、ふと頭をよぎる瞬間、その一つ一つが、実に生々しい今の若い日本人である。それを見事に描ききった岡田氏は、出会ったことのない才能である。いよいよ出てきたというべき才能かもしれない。或いは、どこに隠れていたのよ、というべき才能。もしかしたら、買いかぶりすぎと呼ばれるかもしれない才能。そう言われないためにも、今後、どんどんいい作品を書いていただきたい。応援します。応援しますって言うのも、どうだろう。 |


