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『ぬけがら』 佃典彦 |
『愛の渦』 三浦大輔 |
| 趣向の勝利 井上ひさし |
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劇作家が第一に心がけなければならぬのは、この、人間最古の表現形式である演劇に対して、愛と志があるかどうかを自問すること、そして同時に何か飛び切りの趣向を発明することである……と、評者は堅く信じている。愛と志は、作家それぞれに固有のものだから、ここでは問わないし、また問うこともできない。けれども趣向は別だ。趣向という言葉はいかにも軽そうに見える。評者にしても、かつて「芝居は趣向」と発言したために、ずいぶん損をした。そんな軽いことを口にする作家の作物など陸でもない、つまらないものにちがいないと、極めつけてくる人がまだまだ多いからだ。そこで、趣向をきちんと説明しながら、今回の受賞作二編をうんと誉めることにしよう。 |
| 最後三ツ巴になった 岩松了 |
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三浦大輔『愛の渦』には教えられることが多い。また考えさせられることも。或いはきわめて安易な発想のもとに生み出された戯曲では、と思ったりもするが、候補作を並べてみる時、結局際立っているのは、その微細にして冷静な人間の描写である。そこには人間の〝演技する必然〟が描かれている。他人の視線を浴びる生身の体が精神もろともくりかえす攻撃と防禦、そしてつまるところ無防備であるという人間の喜劇性。あらゆる登場人物を無防備たらしめているのは、外側に立てる人間などいないというこの作者の確たる演劇観である。そう考えていく時、果して安易な発想のみであったか、と思わずにはおれぬ。むしろ閉塞の演劇状況に対して苛々しくも、〝基本にかえろう〟と叫んでいるのではないかとも思えてくるのだ。それほどまでに虚飾のない会話劇だとも言える。なぜ男5と女5をあれほど粗雑に扱ったのか、という難くせはつけたくなるが。 |
| アイデアと筆力に一票 鴻上尚史 |
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『LAST SHOW ラストショウ』の水子の出現には感動した。選考会に参加する時点では、この作品の授賞を当然と考えた。けれど、議論を続けるうちに、強引な展開に、キズを感じるようになった。 |
| きっぱりとした決意で走りきる 坂手洋二 |
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選考会は激戦で、一筋縄ではゆかなかった。選考委員が持論を披露し、やがて幾ばくかの無念さとともに推薦作の弱点を呑んで一歩後退していくという展開だった。あるいはある瞬間、私たちは確実に、井上戯曲塾の生徒になっていた。 |
| 後味の良さと悪さと 永井愛 |
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佃典彦さんの『ぬけがら』は積極的に、三浦大輔さんの『愛の渦』は消極的に推した。 |
| 『演劇的か、それとも、そんなことはどうでもいいのか、それが問題だ』 野田秀樹 |
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私は、前田司郎氏の『キャベツの類』と長塚圭史氏の『LAST SHOW ラストショウ』を推した。 |
| 「現代口語演劇」の保守化をまぬがれて 宮沢章夫 |
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九〇年代の半ば、「現代口語演劇」という言葉が生まれた。もちろん大きな意義はあったし、そこからまた演劇の議論が生まれたといまでも考えるが、それと同時に、「現代口語演劇」の持つ危うさや脆さもまた、あらわになっている印象がある。 |


