| 『自慢の息子』 松井 周 |
| 懐疑する力――松井周 岩松了 |
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松井周『自慢の息子』ここに描かれているのは、単に、ひきこもりの息子とその母親との関係ではない。独自の手法は文字通り演劇的で、演劇なればこそ果たしうる作業を為した作品だ。 |
| もうひとつ力不足だが―― 鴻上尚史 |
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ひりひりとした人間描写は、赤堀雅秋さんの魅力だと思う。新井秀子をいたぶる新井雅史のシーンなど、ぞくぞくと震える。けれど、今回の作品は、物語が構造的にもうひとつ立体化できてないように感じる。 |
| 許容範囲かどうか 坂手洋二 |
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今回は候補作の多くが「上演台本」「演出ノート」のように見受けられ、その弊害を感じた。メンバーの俳優陣を活かし、その居場所を設けるために書かれているのではないかと思われる節がある。抽象度の高い設定の戯曲が多く、シーンの中で一つの出来事を完結させているものは希れである。多くの場合、安直な飛躍を重ね、人物と出来事が投げ出されている。それが新しいとも思えない。 |
| 緊張あってこその自由 永井愛 |
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変換ミスとは思えない誤字、作者にしか理解できないト書きがこれほど多い審査は初めてだった。戯曲は第三者による上演も想定して書かれるものであるはずだが、自分の現場でだけ通用すればいいと考える作者が増えたのだろうか。それとも、言葉を杜撰にしていることに気づかないほど、言葉に対する緊張感が薄れてしまったのか。最終候補作が九本もあったこと自体、絞り込みが難航したことを示していると思う。私も推せる作品がなく、最終選考もまた難航した。 |
| 深読みさせてくれ 野田秀樹 |
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候補作が九本という割には、労多くして実りが少ない年だった。 |
| いまこそ書かれるべき、戯曲としての上演台本 宮沢章夫 |
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例年に比べて困難な選考だった。それを裏付けるように、受賞に向けられた、決定的な言葉、つまり誰もが納得する決め手がどの作品にも存在しなかった。皆がおしなべて推すという作品はなく、これほど推挙する作品が分散する選考もこの数年では稀だ。一人が推せばそれを否定する言葉が返され、ではそれを説得するに足る論理が支持する側にあるかといえば誰もが口ごもる。だからこうして選評を書くのにも言葉がうまく出ないもどかしさを感じる。 |


