小池昌代「詩と幼年──水の町の物語」第1回 詩に出会ったころ(1)赤い夏

 川が町のなかを縦横に走っていた。
 墨を流したように、黒く光って動かない川だ。丸太が浮かんでおり、長い竿を使って、それらをさばく川並もいた。
 小学校は、家から少し遠いところにあって、子供の足では、二、三十分かかった。いくつも橋を越えて通った。
 下町の学習院などと、半分、おちゃらかして親たちが呼んでいたその学校は、明治小学校といい、確かに古い伝統校だった。小津安二郎も通ったのだと、人から聞いたのはずっとあとのこと。当時は小津安二郎なんて、誰も口にしなかったし、子供にはどうでもいいことだっただろう。
 もっと近くに学校があったのに、なぜ、越境してまで、明治に通ったのか。下町の親たちは誰もが忙しく、教育熱心というタイプではなかったはずだ。それでもそれなりに、すこしでも評判のよい学校に、息子や娘を押し込もうとしたのか。町内の子供たちは、のぶこちゃんもひろえちゃんもともよちゃんものりこちゃんも、気づけば、当たり前のように「明治」に通っていた。
 結論から言えば、無駄な努力を払ったとも言える。それほどの「ありがたみ」があったのかどうか。今から思えば、とんでもない先生もいた。でも、人間は、一生のどこかで、そのとんでもない人に、必ず数度は出会うものだとすれば、早い段階から出会っておいてよかったのだともいえる。
 隣のクラスを担当していたのは、あきらかに少女に興味のある先生で、いつもはとても物腰が柔らかく、被害にあわなければ善い人だった。怒ったところを見たことがない。優しい人だとも感じていた。でもなぜか、気をつけたほうがいいと、噂がさざなみのように広がっていき、実際、触られたとか、手を握られたとか、具体的なことがらがあきらかになるころには、女の子たちは用心した。しかしその先生は、いつまでも担任を続け、辞めさせられるというようなことは、まるでなかった。
 彼の頭には、薄い髪が何本か、ようやくはりついている、というふうだったのに、ある日突然、黒くフサフサになった。かつらだ、かつらだ、とわたしたちは笑った。細くて背の高い先生だった。いつも少しハニカミながら、自分でもどうしたらよいかわからず困っているような風情があった。けれどいったん、若返った以上、ハゲに戻ることはできないのだ。禿げていることは少しも滑稽なことではない。いきなり若くなるから、その逆行が、おかしくてたまらない。ひとかたまりの黒髪は、雲のように彼の頭上を覆い、彼はそのことによって、みんなから、静かな罰を受けていた。
 夏がくる前、六月の終わりには、板の蓋がはずされ、校庭にプールが現れる。
 水のないプールの底には、枯葉がたくさん落ちている。わたしも底に降りてみたい。が、掃除するのは大人の仕事である。水泳の大嫌いなわたしは、水のないプールにこそ惹かれている。
 プールに、水は、ないほうがいい。水のないプールで暮らしたいくらいだ(今も)。
 やがてプールに水が満たされると、泳ぐことぐらいしか、やることがなくなる。水泳の授業はなぜか、肌寒い日が多い。こんなに寒いのに、オヨグノカ? どの子のくちびるも、まっさおにふるえている。なぜだか、そんな日の記憶しか、残っていない。
 男子はみな、赤いふんどしをつけさせられていた。もちろん、つける前には、ふんどしの巻き方を習ったはずだ。それは明治小学校の伝統を特徴づけるもので、明治といえば赤ふんということになっている。今は違う。今は赤ふんが廃止されたと聞く。赤ふんの何かが、時代にそぐわなくなったのだ。
 丸出しになったお尻、ひらりと垂れ下がった前垂れ。その奥に包まれた睾丸。
 子供といっても、若い男だ。今、見れば、わたしは、どきどきしてしまうだろう。ところが当時は何も感じなかった。ふんどしに萌える女子など、周りに皆無だったし、嫌悪していた子も記憶にはない。何かを感じたり、考えたりはしていたはずだが、みんな黙って、表現しなかった。そしてただ、赤ふんの「赤」を、目のなかに収めていた。
 夏の生まれだが、わたしは水が怖い。胎児のころは、羊水という水に浮いていたのに。いったん、陸に上陸してしまうと、もはや前世のことをすっかり忘れ、わたしは二本足で立つ人間の女となって、当たり前のように肺呼吸をしている。水に入ると無力を覚える。息継ぎができない。顔に水がつくのが嫌だ。
 しかしある日、抵抗をやめる。力をぬく。「浮く」ということを覚える。二十メートルを、息継ぎなし、目はつぶったまま、見事、斜めに泳ぎきる。
 手がプールの、向こう側のコンクリートの壁に触れる。ゴールの触感は、ざらり、としている。
 わたしを待っていてくれたのは、そしてわたしをついに解放してくれたのは、あの味気ない、物言わぬ感触だけ。なめらかではない。指を傷つけるかもしれないほどざらついている。けれどあたたかかった。プールの内壁。
 あの内壁のような人に、わたしはその後、出会っただろうか。会えたような気もする。わからない。残っているのはただ、ざらりとした感触だけだ。
 水泳の時間には、休む女子もいて、彼女らが泳げない原因を、みな知っている。わたしも休んだ。「赤いやつか」と唐突に聞く先生がいる。少女の好きな、あの先生ではない。あの先生は、そんな乱暴な聞き方はしない。また、別の先生だ。赤、という色で象徴される日があった。わたしはその先生を、プールに突き落とし、沈めてやりたいと思う。
 返事はしない。顔も見なかった。



[2017年11月14日追記]
◇書籍化のお知らせ
本連載に加筆修正を加え、『幼年 水の町』として、2017年12月中旬刊行いたします。それに伴い、本連載の公開は第2回までとさせていただきます。続きはぜひ書籍でお愉しみ下さい。

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