小池昌代「詩と幼年──水の町の物語」第2回 詩に出会ったころ(2)池の匂い

 町名は土地を明確に区切るものだが、ある一帯を、広く曖昧に呼び慣わす場合もある。深川などはそのよい例で、一部の町に「町名」として残りながら、同時にある広い範囲を、漠然と指し示す。かつては深川区と呼ばれた広域があった。その後、城東区とあわさって江東区となった後も、旧深川区一帯に、そもそも深川は、地名の一部として被せられていた。江東区深川平野町という具合に。あるときから深川がとれ、表記はシンプルになった。江東区平野町。深川が外されたその年、わたしは九歳だった。はっきり覚えている。まるで見たように。深川の二文字が、封書の表から、からころ、下駄のような音たてて滑り落ちていった。サビシイとは誰も言わなかった。ザンネン、と大人が口にしたかもしれない。それは父だったかもしれない。母はそういうことを決して言わない人だ。どうしようもない現実を見たときは、ただ、黙っている。
 平野町二丁目から三丁目にかけては、うちも含めて多くの材木屋が商っていた。新木場への移転が本格的に始まる前のことで、たくさんの材木屋がどうして共存出来たのかと思うが、取り扱う材木が微妙に違ったり、製材をやるところ、やらないところ、高級材を専門に取り扱う銘木屋など、店は用途別に、それぞれの特徴を持っていた。
 もちろん、町には材木屋ばかりがあったわけではなく、数からいえば、材木屋でない家のほうが多かったはずだが、商いをやっていると、町内で仕切り役を任されることは多かっただろう。お祭りなどでも、何かといえば中心に材木屋がいる。
 うちの隣は、O組という建設会社、裏手にはだいぶ後になって印刷所が来たが、前のお宅は薬剤会社のサラリーマン、その左隣りは材木屋で、右隣りはI建築設計事務所。ここにはわたしの年下の遊び仲間がいた。綺麗な顔立ちの女の子と男の子のきょうだい。上の女の子は、あるとき、うちへ遊びにきて、階段から、転がり落ちた。落ちていくところを、わたしは二階の踊り場から見ていた。突き落としたわけではない。が、なぜこんなにはっきり覚えているのだろう。そしてなぜ、罪の意識があるのだろう。自分の家で、痛い思いをさせてしまったから? あるいはまさか、わたしが背中を突いた?
 階下で祖母が青ざめうろたえていた。泣き声はたたなかった。「階段で落ちてから、ちょっとおかしくなった子供」というのが、どんな町にもいるものだが、I家の長女は無事だった。ただ、めったに笑わない美女になった。
 一方、わたしは、彼女の家の裏庭にある池に、ある日、落ちてずぶ濡れになった。浅い池だったのに、なぜそんなことになったのだろう。きっと池のなかをのぞきこんでいたのだ。どんな子供でも、そこに水のたまりがあれば、覗きこまずにはいられない。そして落ちる。なぜなら子供は頭が重いから。それに気づいたとき、わたしはもう、だいぶ大きくなっていた。それまでは、風呂場でも落ちたし、池にもよく落ちた。吸い込まれるように、気が付くと落ちていた。
 その池には鮒がいた。鮒は昏い水の色をしていた。水そのものだった。水に溶けていた。水なのか鮒なのか、その混ざり合った混沌を、わたしは飽きずみとれていた。水が好きだったわたしは、将来、水を売る人になりたいと密かに願っていたが、そんな商売、どこにあるのか。風呂に入ると、よく水売りのまねをした。いらっしゃい、いらっしゃい、水だよ、水だよ。洗面器に、水ならぬ湯を、じゃばじゃばと汲み上げ、風呂桶の内側から、洗い場にいる誰彼に売りつける。洗面器一杯が十円ほど。わたしは、いつだって綺麗な水を売りたい。
 池の水は昏い水だ。黒い水とは言わないけれど、決して綺麗な水ではない。しかも、ぬめぬめとした鮒と、同じ空間に自分が浸っている。耐えられなかった。わたしの人生最悪の日。全身から、ぽたぽたと水滴を落としながら、自分の家に歩いて帰る。祖母があれまあ、と言う。「落ちた」。母も驚く。叱らない。みんな面白がる。池の匂い。
 そのころ、底なし沼の恐怖を知った。最初はおそらくテレビで観た。底なし沼の話が好きな男の子がいて、わたしはその子が好きだった。彼はわたしと妹を怖がらせようとして、顔を見れば盛んにその話をするが、いつだって、底なし沼にはまるのは他人ばかり、自分がはまるようなことは、この先もまったくないと思っている。
 毎年、夏になると、父の旧制中学時代の友達一家と海の家に泊まりに行く。底なし沼好きの男の子はその家の長男で、T家には、三人の息子がいた。T氏は姉妹二人の我が家をいつも羨ましがる。女の子のいる家はいいなあ。靴だって、小さくてきれいでかわいらしいのが玄関にあったら、どんなに幸せだろう。繰り返し繰り返し、しつこく言う。そして、わたしと妹のどちらかをヨメにくれ、と言う。三人いるから、好きなのでいいと言う。絶対ありえない。長男は好きだが、結婚は、海の家で、朝ごはんを食べながら決めるようなものではない!
 その朝ごはんに、必ず出たのが生卵。炊きたてのご飯にかける。T家の長男は、卵をかきまぜたあと、信じられないくらい大量の醤油を注ぎ入れる。彼の作る原液は、卵の黄色をとどめない。混濁した濃い茶色だ。大人たちはそれを見ると、欧米人のように、オーマイゴッド、と言葉こそ違うが、ほとんど同じようなニュアンスの態度で、彼をたしなめようとする。身体に悪い、なんでまたそんなに。
 しかしわたしにはわかった。形になる前の、ぬめぬめとした命の混沌を、かきまぜて、ぐちゃぐちゃにして、食っちゃうなんてあり? 彼は自分の気味の悪い蛮行を、少しでも和らげたく、一瞬でも忘れたく、だからあんなにたくさんの醤油を入れたのだ。きっとそう。
 T家の長男は、翌朝も、当然のように醤油を注ぐ。つー。また、この子ときたら……。彼の腕を、誰も止められない。
 わたしは同じテーブルの少し離れたところから、箸を止めてその光景を見ている。彼は「非難」と取っただろうか。
 こんなことをせざるを得ない自分はなんて孤独なんだ、でも、おれはやるよ。彼の横顔はそう語っていた。決然と注がれる醤油の角度。誤解である。わたしは心底、うらやましかった。



[2017年11月14日追記]
◇書籍化のお知らせ
本連載に加筆修正を加え、『幼年 水の町』として、2017年12月中旬刊行いたします。それに伴い、本連載の公開は第2回までとさせていただきます。続きはぜひ書籍でお愉しみ下さい。

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