17.ひく

 

 ひとさし指の第一関節まで、土にさした。習ったときより指は伸びたけど、まあいいや。ぽとんと落した。双葉は、あんがいすぐに出た。
 そこから長い梅雨があって、気をもんだ。ことしは根ぐされしたというひともいた。そして猛暑がきた。伸びた、あれよ。本葉が出て二週間で、背丈を越えた。体温より高い気温にのぼせたように、空へ宙へ。じっと見ていたら伸びる動きがわかるんじゃないかしら。洗濯を干すたび、しゃがんだ。
 うちの朝顔。二本のつるをのばしている。

 あかい紫とあおい紫、どちらも散歩のとちゅう、どこかの垣根にからまっていたのをつまんでおいた種だった。二本は、相談しているみたいに、毎日交互にひとつ咲く。けさは、あおいほうだった。手のひらほどの大輪で、うすい花弁は風にやわらかく震える。あんなちいさなつぼみに、よくこんな花がたたまれている。
 ちょうちょみたい。こんな色のスカートなら、すてきだな。花の芯をのぞきこむのは、助平な感じで、つい振りかえる。トロンボーンのらっぱのところを、朝顔管という。学生のころは、夏休みじゅう金色の朝顔を左の肩にのせていた。
 目が覚めると、えいやと布団をしょって、枕をふたつ抱える。ふたつ枕をならべて、そのあいだに顔をうずめて、腹ばいに寝る。猛暑もありがたいと思えるように、朝一番にそとに干す。敷布も洗う。今夜もさらさらにばったり寝られると思えばよく働けるもので、睡眠はからだのほうびとわかる。
 そうして、きょうもたんたんとのびている朝顔に、おはよう。
 声は出さない。ことばなんて通じないから。葉に触れながら、いろいろ黙って、水をやる。車の音、室外機のうなりにかこまれ、ばしゃばしゃとやり終えると、みーんな打ち明けた。足が軽い。
 だいそれた秘密はないけれど、ささやかな内緒ごとをためこむ。メールで、電話で、きかなくていいうわさを知ると、暑さでうかつに、あほうになってしまうのがおそろしい。そういうときにかぎって、予定が混む。そして、会いたいひとに会えない。このあいだそういったら、会えるときに会えばいいといわれた。うなだれた。
 きのうの、あんなに燃えていた夕空、けさの、こんなにりっぱに咲いた朝顔。ひとりじめというのは、さびしいんだ。いつだったか、長野の山の尾根で、かこむ山々が雪岩の冠だったときも、そうだった。そして、文字が書けてよかったと思った。
 あんなに楽しかった海は、つい先週だった。
 朝顔に水をやって、見ないまま枯れた先週の花殻をむしる。それから水浴びをして昼寝をしたら、きりりと痛い。それみたことか。しばらくビールはおあずけになってしまった。

 暦をくぐりぬけ、海を見にいった。
 午後の電車は、海水浴からはずっと出遅れていた。揺られながら、うちの朝顔はいまごろしぼんで、またつるをのばしている。嬉しくて早起きしすぎた。水をやったころは、まだ開いていなかった。きょうは、見のがしがちのあかい紫の番だった。後ろ髪が東京のほうにたなびくと、空が広くなった。とおくの水平線が、つぎの駅、また次の駅と近づいてくる。木をかきまぜる風が光る。岩肌が見えた。そして、駅は、海岸の名がついていた。
 ひと晩酔っぱらって、翌朝は港から、目のまえの島に渡った。渡し賃は、三百円。船底のエンジンで、お尻がしびれると思ったらすぐ着いた。
 ……帰るときは、そこのボタン押して。迎えにくるから。
 日焼けしきった船長さんの、しろく乾いた髪。海を見て、船に乗るのがあたりまえのひとに会えた。そう思うだけで、しばらくはよく眠れる。
 台風のあとで、ときどき帽子が飛んだ。雨の名所は、人類の想像を超えるほどの快晴で、肩がいりいり焼ける。とおくの入道雲は、むくむくと白熊の人形劇のようだった。
 潮のひいたリアスの磯にしゃがむ。潮のひいた岩のくぼみに、いろんな生きものがいる。ちいさな魚、貝、石のかげに蟹もいる。神さまは、こんなちいさな水たまりも、おもしろがって見ているのだろうか。しゃがんでふりむくと、地平線が斜めになる。
 まえの晩、港はお祭だった。
 くろいお獅子とお神輿が、家々をめぐる。かつぐひとたちは、寿ぎの木遣り歌に声をそろえる。晩になっての宮入りは、お獅子が鳥居をくぐろうとするたび、みんなで力を合わせてからだをひっぱって抗う。年にいちどのお祭りなのだから、すぐに帰すわけにはいかない。お獅子が入らなければ、お神輿ももどれない。参道はひとにあふれ、最高潮の熱がうずまく。
 あおいあおい太平洋に尻をむけて、くぼみをのぞく。夏のまんなかに呆けると、いろんなことを黙って見ているしかなかった、ちいさなころのようだった。そして、きのうのお祭もずっと昔に思える。時間が逆にまわって、あの雪国で、鼻水たらしてそり遊びをしていたころ、きょうまでのぜんぶをもう知っていた気がする。
 ぜんぶむかしになる。いいきかせて、奥歯をかんで。そしてまた覚えている時間は、のたうちまわっていてもみんな愛しい。はじめて目があったのも、夏の盛りだった。一日慣れない町を歩いて、ぼさぼさのすっぴんだった。あのうすらぼんやりに、駆けもどりたくなる。
 泣く、笑う、だまる。みんなほんとうにへたくそになった。
 暑さは、ことばをなえさせる。服従とは、この感触か。それでもだまっていても、汗は流れ、声にしないことばはパン生地のように膨らむので、苦手な読書にさえ逃げられる。本が読めて、音楽がきける。そういうときは、どこかが傷んでいる。くたびれている。夏は、そのみんな、暑さのせいにできる。
 もじゃもじゃの茂みの足もとに、浜昼顔が咲いていた。きょうはもう水やりをしない。きょうも咲いたはずの朝顔。
 旅に出ると、畑が玄関先の花がゆたかでうらやましい。遠くないときは、露地栽培の束を買って帰るときもある。根を切ってもらって、ぬらしたハンカチを巻いて、新聞紙でくるむ。
 毎日水をかえれば、一週間は咲いている。部屋にちがう生きものの息があり、視線にちかい気配を感じるのは、ひとりずまいの行儀の悪さをいささかいさめる効果もある。
 そして、一週間で枯れていくすがたを見ていると、もうぜんぶ見てしまった、ぜんぶにすっかり飽きてしまったと思いたくなるときがある。それはまだ、人生を長いと思っているからで、いつかのおそろしい足音をだいぶ忘れている。忘れないように、そうじをして、布団を干して、よく眠る。
 朝になれば、まだ見ていない花が咲くのだから。

 
 みぞおちはしくしくと響く。けさは、いくらかよくなって、そうめん、トマト、ものたりない昼を、デザートのメロンで一発逆転して、あちいあちいと口にする。朝顔は、もうしぼんでいる。
 ……まだちょっと痛い。
 へそをおさえたら、親切なひとが、撫でてくれた。あったかくて、やわらかくて、へなへな笑っちゃうほどいい気もち。あばら骨が、開いていく。

 そうだった。夏休み、気まぐれに撫でると、猫たちのからだは、アコーディオンのじゃばらみたいにどんどん長くのびていった。飽きずさすってもらううち、これはあのときの猫の恩返しなのかしら。猫にはできたのに、ひとにはしてこなかったな。おばあさんが寝ついても、せいぜい手や背や腰をこするくらいだった。
 へそのまわりが、同心円状にあたたまり、ちきちきと打っていた脈が静かになっていく。うれしくて、あたたかくて、さびしくて、目をつむる。
 月は、また満ちていく。腹は、痛くなったり、なおったり。やることは、まだまだある。そろそろ洗濯ものと布団をとりこむ。
 さかなや、蟹たち。岩と砂とおなじ色の濃淡で、水墨画のようだった。潮が満ちて、くぼみがあふれて、どこかに運ばれたかしら。
 へその緒は、いろんな生きものの消息を追いかける。
 耳は、せみの声ばかり気にしているけれど。

(2015年7月 撮影:石井孝典)

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