第10回 麗しのジョージ・マロリー (1)

「ジョージ・マロリー――その名を……書いただけで手が震え、激しい動悸がし、僕という存在が丸ごとどこかに飛んでいきそうだ――ああどうしよう! どうしよう! 身長六フィート、プラクシテレスの彫刻作品のような体を持ち、顔は――信じられない――ボッティチェリの絵のような神秘、中国の版画のような洗練と優雅……」(第五章)

読んでいるこちらが恥ずかしくなるような文章、訳すときにもある種の覚悟がいりました。伝説の登山家ジョージ・マロリーはとにかく見目麗しく、男女や年齢を問わずさまざまな人に強烈な印象を与える存在だったようです。『沈黙の山嶺』には、マロリーの美貌ぶりや、マロリーに心を奪われた人の話がかなり詳しく書かれています。

ウィンチェスター校でマロリーを教え、マロリーを初めてアルプスに連れて行ったグレアム・アーヴィングはマロリーの死後、次のように書いています。

「マロリーは際立って美しい顔をしていた。その輪郭やきめ細かい造作、とくにやや大きく、まつ毛の濃くて思慮深い目はボッティチェリの聖母を強く連想させた」(第五章)

また、ケンブリッジ大学でマロリーの個人教授だったアーサー・ベンソンはマロリーに惚れこんでいました。

「この若い彼を愛してなどいない、一緒にいることに深い喜びを感じることなどないふりをする意味はあるのだろうか?」(第五章)

そんなベンソンの思いを知ってか知らぬか、ケンブリッジ時代のマロリーはブルームズベリー・グループの面々と親しくしていて、自身も作家志望でした。ヴァージニア・ウルフはマロリーについて「ギリシアの神のような頭の、うっとりするような学部生」(注釈付き参考文献)と書いています。

冒頭の情熱的な一節は同グループの一員、リットン・ストレイチーの言葉です。でもリットンにとって残念なことに、マロリーはリットンの弟のジェイムズを好きになりました。リットンのほうは構わずマロリーに言い寄り続けるのですが。(マロリーとストレイチー兄弟がその後どうなったか、またこうした関係を当時の文化をふまえてどう解釈するべきかについては、第五章と注釈付き参考文献に詳しい説明があります。)

(続く)

その美貌により男女を問わず次々と人の心を奪っていったジョージ・マロリー。Wikimedia Commons

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