特集/マルグリット・ユルスナール「5歳の少女のまなざし」堀江敏幸

20世紀を代表する作家のひとりであり、また女性初のアカデミー・フランセーズ会員であったマルグリット・ユルスナールMarguerite Yourcenar(1903 - 1987)。彼女の自伝的三部作〈世界の迷路〉 Le Labyrinthe du monde の邦訳が完結した。(初出:雑誌『ふらんす』2011年6月号)

 

5歳の少女のまなざし 堀江敏幸

詩の空間 物語の空間 吉田加南子

〈世界の迷路〉へのいざない 小倉孝誠

マルグリット・ユルスナール 著作紹介 小倉孝誠

 

 古文書なども扱っている割合大きな新古書店で硬い内容の本を何冊か買ったとき、レジのわきの書棚のうえに貼られているモノクロB4サイズの販促用ポスターが目に入って、小切手帖を開いたまましばらくそれを見つめていた。愛らしいけれど翳りのある瞳、上下の長さのバランスがほんの少し崩れている唇、背中まで垂れた、濡れているようにも見える長い髪、胸の前で軽くあわせたまるっこい両の手と肉付きのよい腕。何歳くらいだろう? 頭と肩のバランスや腕の長さからすると、まだ幼児の体型を脱していないと思われる上半身を軽く左にひねり、わずかに顔を傾けてカメラのレンズと対峙しているその少女の姿に、見覚えがあった。こういう場合、なるべくさりげない口調で切り出すのが鉄則である。白髪の女店主に、私は言った。「その小さなユルスナールは、売りものですか?」
 「おやまあ」と訳したくなるような一声に、派手な手振りを添えて彼女は応えた。「ユルスナールの写真だと気づいた人はあなたがはじめてですよ、何人かの作家のポートレイトがここにずらりと貼ってあったんですけれど、みんなお客さんにあげてしまいました、でも、それだけはわたしのお気に入りだから、誰にも譲らなかったんです」
 やっぱりこれを欲しがる読者がいるんですね、と売りも譲りもしてくれそうにない女店主にむかって悲しい顔をしてみせたのだが、なんの効き目もなかった。そこで、自分は先月この街に着いたばかりの貧乏留学生であり、学部時代にはユルスナールを主題にした論文を書いたこともある云々と拙い言葉で説明し、そのポスターの新たな所有者として自分がいかにふさわしいかを訴えた。たとえば、なにかもう一冊買ったらプレゼント、というようなことはないでしょうか? ありません、と彼女は嬉しそうに笑って付け加えた。そんなにご興味がおありなら、版元のガリマール書店に問い合わせてみたらいかがですか?
 さすがにそこまでやることはないだろうと諦めて、がらんとした寮への帰途、私はあの少女時代のユルスナールの姿をどこで見たのだろうかと考えていた。数日後、図書館に出かけて、かつて読んだユルスナール関係の資料を何冊か開いてみると、目当ての写真はラ・マニュファクチュール社の叢書、《私は誰?》に入っていたジョルジュ・ジャックマンによる『マルグリット・ユルスナール』(1985)から、あっさり発掘された。5歳、とキャプションがある。もう一冊、マチュー・ガレーとの対談集『目を見開いて』Les Yeux ouverts(※)のル・サンチュリオン社版(1980)にも、より鮮明なかたちで収められていたのだが、この本は図版なしの廉価版で親しんでいたせいか、記憶からすっぽり抜け落ちていた。
 これを書いている現在の私は、1990年代に入って、サヴィニョー、サルド、ゴスラールと、女性の書き手によるユルスナールの評伝が立て続けに刊行されたことを知っている。いずれにも彼女の幼少時代の姿を捉えた写真が収められているのだが、先のポスターになったマルグリットの姿は、そのどれとも異なっていた。
 この写真を見るかぎり、幼少時代のマルグリットのまなざしには、なんとも言えない妖艶さと翳りと諦念がある。少女に諦念とはあまりに不釣り合いだが、彼女の心には、親しい人に対しても安易に開かないブラックボックスがあって、そのことを少しも苦にしない強さも共存しているのではないか。産褥で母親を亡くしたという伝記的な事実だけでは説明のつかない、孤独とは別種の厳しい単独性がこの目にはある、と卒論を書いていたころの私は思っていた。誰といっしょにいても、彼女はその心性を失わない。逆に言えば、独りの状態をごくふつうに引き受けることのできる人間としか波長があわなかった節があるのだ。おそらく父親との関係もそうであったろう。執筆中だという〈世界の迷路〉第3巻、『なにが? 永遠が』Quoi ? L’Éternitéでは、この少女の眼差しに潜む単独性が、父親のそれに重ねられるのではないか。5歳のマルグリットの写真を見ながら、私はそんな夢想にふけっていた。
 当時、ユルスナールはまだ現役作家だった。ところが、大学院に進学したその翌年に彼女は脳溢血で亡くなり、〈世界の迷路〉第3巻は未完のまま残された。これでもう続きは読めないのか。なかば諦めていたところ、1988年になって、遺稿として姿を現したのである。原稿は残り数十頁を残して、ほぼ完成に近い状態にあったらしい。早速一読して、私はなるほどと深くうなずき、いくつかの事実関係に意表を突かれてため息をついたものだった──、まさか二十数年後に自分がそれを日本語に移すことになろうとは、夢にも思わずに。

(ほりえ・としゆき)

(※)岩崎力訳『目を見開いて』、上の写真も収録されている。

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