特集/マルグリット・ユルスナール「マルグリット・ユルスナール著作紹介」小倉孝誠

20世紀を代表する作家のひとりであり、また女性初のアカデミー・フランセーズ会員であったマルグリット・ユルスナールMarguerite Yourcenar(1903 - 1987)。彼女の自伝的三部作〈世界の迷路〉 Le Labyrinthe du monde の邦訳が完結した。(初出:雑誌『ふらんす』2011年6月号)

 

5歳の少女のまなざし 堀江敏幸

詩の空間 物語の空間 吉田加南子

〈世界の迷路〉へのいざない 小倉孝誠

マルグリット・ユルスナール 著作紹介 小倉孝誠

 

 ユルスナールの作品がすべて邦訳されているわけではないが、主要著作は、『ユルスナール・セレクション』(岩崎力編、全6巻、白水社、2001-2002)で読める。第1〜4巻が小説、第5巻『空間の旅・時間の旅』はエッセイ集、そして第6巻『目を見開いて』はマチュー・ガレーとの対談集である。
 小説の処女作『アレクシスあるいは空しい戦いについて』(1929)は、同性愛者の告白という形式をまとい、両次大戦間のヨーロッパを舞台に、知的で繊細な男の魂と官能の遍歴を描く。『東方綺譚』(1938)は中近東やアジアに題材を汲んだ短編集であり、すでに日本文学への目配せがなされている。『源氏物語』では主人公の死が描かれていないが(「雲隠」という章の題名だけが残された)、ユルスナールは「源氏の君の最後の恋」で、紫式部が書かなかった源氏の最期を巧妙に語ってみせた。
 しかし小説家ユルスナールの代表作は何といっても、『ハドリアヌス帝の回想』(1951)と『黒の過程』(1968)の二作である。前者は、紀元2世紀のローマ皇帝が死期の迫るのを悟り、若きマルクス・アウレリウスに向けて書き記す回想という形式をもち、生と世界をめぐるあらゆる主題を展開した傑作として、作者に一躍国際的な名声をもたらした。後者は宗教戦争が渦巻く16世紀のヨーロッパを舞台に、不寛容と偽善のなか各地を放浪する主人公ゼノンの自己探究の軌跡をたどる。どちらも間然する所がない歴史小説である。
 小説世界がそうだったように、ユルスナールは評論においてもじつにコスモポリタンだった。歴史小説の「声」について論じ、トーマス・マンやレンブラントを語り、ボルヘスを愛読した。日本文学への愛着も強く、『三島あるいは空虚のヴィジョン』(1981)は秀逸な三島由紀夫論、「空間の旅、時間の旅」は1982年10月、東京日仏学院で行なった講演にもとづく刺激的な芭蕉論である。
 数年間にわたって断続的に行なわれたインタビューの記録である『目を見開いて』(1980)において、ユルスナールは自分の生涯、知的形成、自作の成り立ちについて述べ、さらには世界政治、人種差別、フェミニズム、翻訳など多様なテーマをめぐって意見を表明している。回想録『世界の迷路』が作家の少女時代と青春時代の一部しか再現していないのだから、この著作ではその欠落を補うかのようにユルスナールがみずからを語っており、彼女を知るための必読書だろう。ちなみに「目を見開いて les yeux ouverts」とは『ハドリアヌス帝の回想』の最後の一句にほかならない。

(おぐら・こうせい)

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