18.とぶ

 

 もう一週間も雨がつづいている、鴨居は、半ズボンやスリップやワンピースや長靴下と寝巻がぶらさがって、どこかの楽屋みたいになっている。
 扇風機をつけると、いくらか乾きがよくなる。シーツやハンカチは、生乾きにアイロンをかけて、ひと晩椅子の背にひっかけておく。服の選びかたも、乾きやすさが優先となって、肌寒い朝なのに、うすくてひらひらした格好をして、毛糸のカーディガンをはおって、こういうおしゃれもあるのかもしれない、鏡をのぞく。そのうち湿度があがって、脱いだり着たりと忙しい。立秋とともに、ぱたんと涼しい。へんてこな夏の終わり。
 扇風機のこまるのは、すぐにほこりがつく。分解して、洗って。面倒とそのままにすれば、ほこりをまきちらす。この多湿の部屋にも、静電気はひそんでいる。
 はずして流しに運び、花環のようになったあおい羽に水をかけ、ぼろ布でふく。ベランダに出して、かわかす。ほんとうは、台所の換気扇も洗ってしまいたいけど、もうすこし我慢する。あれは、油でぎらぎらになっているのをすっきり拭うのがいい。子どものころびっくりしたコマーシャルのとおりをやるのがおもしろい。
 水滴のはねた羽にたよりない外の光が反射して、壁がちょっとあおく染まった。
このあいだ、ビルのすきまで、鳩が雨やどりをしていた。ちいさなからだに、雨のしずくはおおきく重くしみていく。気の毒なほどずぶぬれで、羽をすぼめ、身はふくらませ、きっと寒かった。ひとりで黙って、一点見すえて、ハンフリー・ボガードみたいだった。
 近くで見かける鳩たちは、灰に虹をまぶしたような羽をはやしている。夕方の公園で遊んでいた男の子たちは、せみや蝶ちょやとんぼを捕まえては、羽をむしって投げつけてきた。ちいさな生きものは、羽を失った身をよじらせ、しずかに動かなくなる。糸より細い触角、レンズのような目、指にかみついたのは、若草いろのかまきり。
 あおいお空を見ることができなくなった虫たちを、じっと見ていたのだから、きっとおなじようなことをした。だって、あの、ぷちと離れる感触を知っている。いまだって、草をちぎり、花を摘み、肉を切り裂き、魚の腹をひらく。
 ひとはほとほと罪深いけれど、動植物のほうもしたたかで、鈍くて腹だたしいところがある。
 とんぼも猫もせみも、池のほとりで、あおいお空のした、せっせと交尾していた。すずめにいたっては、うちの窓の手すりで、かけひきののちにのっかっていた。町なかで、動物園で。盗み見する生きものたちの交わりは、単調で、すばやい。それで、だいじょうぶなの。心配になる。さる山のオスとメスも、工夫をしているのを見たことがない。ひとは、闇のなかでこそこそ研究して、四十八通りも考えた。けれど、羽がないから、とんぼのように空中技はない。耳のなかは、風がぼうぼうするかしら。スピードに総毛立ちそう。
 ……見てるぜ、ここで。
 すぐわきで、洗濯を干していても、ぜんぜんやめなかった。

 夏は、節電をかねて図書館に通う。席をふさいで編みものをするわけにもいかず、児童室のちいさな椅子にすわって、ケストナー少年文学全集をはしから読んでいる。
 エーミールと探偵たち、動物会議、点子ちゃんとアントン、ふたりのロッテ。再会もあったし、はじめて読む巻もある。
 子どもの本は、物語のなかの空気がしろくて澄んでいるから、読む、読んだ、刻まれた、飲みおさまると、はっきり感じられる。ケストナーの物語のいいところは、子どもたちの生活がとても現実的だった。
ふたごは、離婚した夫婦にそれぞれ引きとられ、離れて暮らしていた。エーミールのお母さんは、自宅で美容師をしていて忙しい。アントンのお母さんは、病みあがり。お金持ちの点子ちゃんは、さびしい思いをしている。ちいさな男の子たちが、ジャガイモをゆで、卵を焼く。
 飛ぶ教室は、池内紀さんが翻訳された文庫本が手もとにあり、読みくらべができた。いろんな宿題をぐずぐず積みあげて、クリスマスの物語を真夏に読む。オーストラリアのクリスマスは、こんな感じと思う。
 読みきれなかったら、借りる。やさしい子どもたちの物語を抱えて歩くと、草の匂いが恋しくなって、原っぱのある公園に寄る。この夏も、ずいぶん蚊にさされた。
 ……トーサン、カニニササレタ。
 ……こうくん、カニニじゃないよ、蚊にさされた。
 お父さんが、ちいさな男の子に教えていた。まえにも聞いたことのある会話だった。カニは、赤くてはさみ持ってるでしょう。これは、カニササレタでいいの。日本語を話しはじめたちいさなひとは、一音の名まえが、飲みこめない。カニ、カニニ。カニ、カニササレタ。小声でくりかえす。
 ひと文字名まえの生きものは、鵜とか、藻。蚊と鵜と藻なら、水辺のものがたり。
 ぼんやりするうちたくさん刺されて、ふくらはぎがふくれあがると息がはやくなる。かゆくて、腹もたってくる。
 ぺちっぱん。
 むかしの仕返しどころか、いまだってなんの迷いもなく叩きつぶして、吸ったはずの血を見られないとがっかりしたりする。夏が来るほど生きるほど、よきものから遠くなる。まったくこれでは、なんのために学校にいって勉強なんてしたのか、わからない。
 おおきくなったら、なんになる。さっきのお父さんは、プロポーズより慎重に聞いていた。
 ちいさなこうくんは、キューキューシャになるといった。
 
 おおきくなったらなんになる。年にいちどはきかれた。作文も書いた。
 婦人警官かバスガイドか看護婦さん。帽子が好きだから。そう書いた。やさしい担任の先生は、帽子もすてきですが、どんなお仕事なのかを調べてみましょうとあかいペンで書いてくださった。
 夢の進路はつぎつぎ更新され、なにひとつかなわなかったけれど、いちどもお嫁さんと書かなかった。ドレスは、あんなにきれいだったのに。ひとでないものにあこがれたのは、白鳥ぐらい。
 ……白鳥のお姫さまは、そんなお行儀の悪いことしませんよ。
 先生にいわれると、あちこちにのばした足を閉じ、一番の足で立った。プレパラシオン。子どものくせに身体がかたくて、いつまでもうまくならなかったけど、背のたかいぶん跳ねるとぴょんと飛び出す。それで、うさぎの役をもらった。ピンクのタイツ。ピンクの衣装のお尻には、しろいまるいボンボンが縫いつけてあった。
 グリッサード、アッサンブレ、シャンジュマン、シャンジュマン、グリッサード、ジュテ、アッサンブレ。クッペ、パ・ド・ブレ、シソンヌ、スス、アームスは、アンオー。
 いまとなっては念仏のようになった。ひとのいないところでとなえながら、ときどき遊ぶ。朝の公園、深夜の道。影踏みをしているような、虫に逃げまどっているような、左右の足をながめる。
 冷房にあたりすぎて手足がつめたいときは、これでなおる。十回もはねればすぐに汗ばむ。
 このあいだ、大阪にいく新幹線でもこっそり跳ねながら、感性の法則をつくづくながめた。通路でぴょん。その一秒も、ぐうぐう寝ている八十キロはあるおじさんも、同時に、目にもとまらぬはやさで疾走する列車にふりおとされずについていっている。見えない力に支えられて、それぞれに踊りまわるように生きている。はてもないことと、ドアにでっこぱちをくっつけた。往きも帰りも富士山は見えなかった。

 ひとに会いすぎると、おなじひとにおなじ話をしたり、会話のとちゅうで話題を変えたり、話のとちゅうで結論が見えなくなったりしてくる。いいたくないことを、ぱくぱくしゃべる。ほこりまみれの機械のように、迷惑をまき散らす。
 話とぶけど。賢いひとなら、そう切りかえて話すけれど、打ち切っている自覚がない。酔えばもっと、ぐいと割り込んでいる。あとになって、くよくよする日が増えたので、二回めにいったとき、教えてね。よくよく頼んでみたけれど、やさしいひとはきっと教えない。それで、きょうは話したいことだけ話してみるといった。
 ……いいよ、どうぞ。
 子どもじみた宣言を、きいてもらえてうれしい。こういううれしさをもらうと、どんな贈りものもかなわない。
 空、あおいね。洗濯干したから、雨降らないといいけど。朝の素麺は、しゃんとする。九州のも、揖保の糸も、それぞれおいしい。
 口に出すまえに、ほんとうに思ってるのか。くんと考える。それは、これはにんじんとわかって口に入れることの、帰り道のようなものなのに、ちいさいころよくよくいわれたことなのに、ずいぶん久しぶりの休符だった。ボレーばっかりのテニスのように、来たとたんに打ち返す。早い船に乗って、水かさの増した川をどんどん下るように話をしていた。
 水かさの増した暑さのせいでも、だれかのせいでもない。ただなまけて、なまけすぎて、なまけていることにも気がつかなくなっていた。納戸のおくから大事な道具が出てきたような、あきれたありさまだった。びっくりした。
 きょうは約束のない日、一週間ぶりの晴れま。どのベランダも、布団と洗濯ものがいっぱいかかっている。図書館の道で、女のひととすれちがう。通勤時間のビルもまぶしくて、そのひとは、そのまま空を見あげた。
 つられて、高く深くなった青に、綿あめのはじまりのような雲がからまっている。
 大通りの角をまがると助走をつけて、水たまりをまたぐ。

(2015年8月 撮影:石井孝典)

ジャンル

シリーズ

  • エクス・リブリス
  • ニューエクスプレス
  • ライ麦畑でつかまえて
  • キャッチャー・イン・ザ・ライ
  • 白水社創立百周年
  • 白水社2016売上トップ10