20 やむ

 

 夕方なのかと思った。雨の火曜日、町がおとなしくていい。
 きのうの晩、おおきい秋月は終わってしまった。十二もならべていたのに。
 うれしいありがたいと、まるい実を、高くかかげて刃をあてた。浅くざらついて、すべすべした皮のなかから、冷えて澄みきった実がしたたる。重さ、しろさ。月を持てたら、こんなふうにうっとりする。そうして、からだはひとをはなれ、おもむくままに見はらす高い山の頂の雪、ほうぼうに道をつくる湧水をたどり、そのすべてを飲みほすようにむしゃぶりつく。ああ、これだったと、息をつく。
 ひとのからだのどこかには、水でも美酒でも満たされない甕がある。
 ふだんは気づかないまま暮していて、ひとくちで、渇いていたとわかる。ぴしり、ぴきん、干からびた甕は、獰猛に吸いつく。たりなかったのは、あるときはありの実、またあるときはやわらかなだれか。おいしいと喜ばれると、育てたわけでもないのにうれしかった。
 もっと暑いときには、近所の木綿のとうふと、一杯の白湯だった。わかめや芽かぶのときもあった。もうすこししたら、柿か、なんだろな。
 東北の血が躍るのか、寒くなると張りきる。忙しくもないのに、目が覚めたとたん、気が急く。
 パンをかじり、りんごジュースをのみながら、お昼はなにを食べようかとより目で思いつめている。そうして予定通りの昼を作りながら、晩はどうしよう、誘って出ようか誘いを待とうか。効率がいいように見えて、ただ急いでいる。ずっとすべて、うわのそらになっている。
 はりきりすぎて、頭と腹と手足と、全部つかいすぎてわからなくなる。ドラマーこそは、真の天才。さらに歌えるのだから、ドン・ヘンリーの脳みそというのは、さぞや重たい。
 過剰に働いてきしみだすと、飲みすぎたり、食べすぎたり、眠れなくなったりでくたびれて、熱を出して、ようやくふりだしにもどれる。そのひとそろいも季節のようにめぐる。
 動きたがるからだをおさえつけるのが、いつまでもへたでこまる。思っていることは、みんな顔に出てしまい、このごろ、ますますそうなった。それはこころが幼稚で、秋になれないということ。
 熱をもった頭は、判断を誤る、考えは蛇行して、まちがっているほうへほうへと、かしいでいく。秒針ばかりがきこえて、いそいで、ころがって、とめられない。息つぎは、浅くへたになるばかり。
 それがけさの暗い雨降りで、天気のせいもあるんだろうなとふとおさまる。
 十月一日に、真夏のかっこうでいた、ことしのこの世なのだから。
 心配ごとは、ひとつかたづくうち、あたらしいのが十もできる。ましてことばは、ひとつ返すまえから、百も降ってきた。あたらしく茂ることばの木、あおくとがったとげ。
 じぶんに振り落とされないよう、その木にしがみつけば、鼓動もはずみ、くたびれた。日ごとに、だんだんにという用心をしなくなる。ひとのこころは、たしかに天気に左右される。晴れか雨か、こちらかあちらか、是か非か。
 お手あげだなあ。
 空に背のびする、土にしゃがむ。傷ついているなら、傷つけているということ。うしろの正面は、つねに同時に存在している。蟻だって、ひとだって、かわらない。
 ことしは長く暑かったから、みんな長く熱を吸った。甕はだまってさぞかしひからびた。田畑の実りにも影響があるのだから、心身にも障った。
 きのう冬が立って、ようやくきいろい葉を見た。けさはなんとなしのおさめどころをみつけたけれど、セーターを着ていればまだ汗をかく。
 こんなことの手前のあたりをぐずぐず話して秋月をかじっていたら、ゲームになった。
 いまから前むきなことだけ話すこと、お題はかえる。
 ……お友だちのオカモチさんが、ちいさなみどりのかえる君をくれたのは、三年まえの冬でした。オカモチさんはかえるが大好きで、世界のいろんなかえるのものを持っている。ピンポンのボールをきみどりいろのフェルトでくるんでいて、ちいさくて軽くてあったかかくてまるいくて、つまり、やさしさとおなじかたりをしていた。はじめてひとりで海外に行くから、無事に帰るようにとくれた。毎日ポケットに入れて歩いた。おかげで、無事に帰れました。
 夜更かしをして、懐かしいかえる君と過ごした冬を話し終えるとよく眠れた。旅の夢は、見なかった。
 気はこころ、病は気から。いままでずっと、ことばをこころに近づけようとばかりしていた。
 やめるときも、悲しみのときも、そのこころにいちばん近いことばに目をこらす。だれに誓ったわけではないけれど。あるじはこころ、ことばはいつも従者と、うたがわなかった。
 けれど、からだはかんたんに、ころりとゲームによろこんだ。ことばが、ひとをひっぱる。いままでは、そんな自己暗示までして世に臨むなんておそろしい。あるいは元気があるときなら、まるの裸で立ちむかってこそ本望。いずれにしてもだめだあほだと尻をたたきつづけてきたのだから、からだによいはずもない。
 
 きょうはいちにち、雨の火曜日。寝坊して体操をさぼったので、アイロンと掃除で汗をかいて、ベランダの鉢の植えかえもして、帳尻をあわせた。
 きのうは降りそうで降らなかったので、セーターの陰干しびよりだった。洗って、しんみりかわいたところに、アイロンの蒸気をあてる。それをつるしておいた。
 たたみながら、またうしろむき。ため息をつく。
 ……指きりしましょう。
 しろい小指を見つめる。透明なパープルのグラデーション。手入れのいきとどいた爪はきらきらしていた。さいごにしたのはいつだったか、思いだせないまま、おそるおそる指を出した。ささくれが、はずかしかった。
 手をつなぐ、指をからめる、強く握る、あざができるほど。ひとりでできないいろいろの、どれも遠ざかっているけれど、指きりほどではなかった。
 ゆーびきりげんまん、うーそついたら、針千本のーます。
 毎朝していたのは、幼稚園の年少のときだった。きょうは、泣きませんと誓って破った。おととし、東北のお寺さんで地獄の絵を見たときに、飲んでない針は億ではたりないのだったと思いだしていた。死んだら、地獄で飲まされる。
 先週指きりしたのは、編み物教室なので、この世にも千も万も針がある。長くさぼっているカーディガンを、つぎのお教室までしあげます。ちいさな声で、いってしまった。
 糸が細いこと。三本を一本にして編む。にがてな編みこみ模様があること。とちゅうで、針の太さもかえる。
 いちどにやることが多すぎて、あとまわしにしてきた。身のほどしらずだったなあ、もっとかんたんなものにすればよかったなあ。くよくよ手にとっても、ちっとも楽しくない。
 あたらしい宿題も、つぎつぎ出る。器用な同級生のみなさんは、どんどんしあげていくので、うらやましい。
 干支も四回めぐるというのに、幼稚園の、お絵かきやお弁当の時間と、なんにもかわらない。
 さすがに、泣きじゃくって喘息を起こしたりはしないけれど、ふくれっつらを息を吸って吐いてなだめて、また手を動かす。遅れて、あわてて、からまる糸に癇癪をおこして、なさけない。好きこそものの上手にはほどとおいけれど、やめたくなくて通いたい。
 ……負けずぎらいだよね。
 このあいだいわれてしおれたけれど、図星だった。負けてばかりの負けず嫌いというのは、成立するのかな。けれど身のまわりは、そんなことばかりが残った。
 続けていることの少なさにくらべて、手ばなしたものの多さといったらあきれる。
 幼稚園でバレエ、小学校はお習字お絵かき、中学でピアノ、高校はやめるものがないほど無為にすごした。
 大学を出てらっぱをやめて、三十五あたりでとうとう会社もやめた。会社をやめたら弁当を作らなくなって、年賀状も出さない。病気をしてプールをやめて、フラダンスは冬のはだしがつらくてやめた。ことしはお花の教室が解散した。
 年をとるほど、やめるのは大仕事になった。古い手帳の住所録の、会わなくしたひとたち。そのまま会えなくしたひとたち。泣いたり怒ったり、小石を蹴飛ばしてやつあたりしてぶつかって、あざだらけになっていたころは長い。
 それでもまだあるかな。まばらの部屋をみわたす。
 やめると、はればれ楽になると知っているので、ふらりと誘われそうになる。
 さけ、いろ、うま。やめられるんなら、かっこいいな。
 へへへと照れていると、誘いがくる。待ってるなと思ってるんだろうな。それで、きょうはまだやめない。
 強いひとと飲めば、それなりでいるのに、弱いひとと飲んでいると、すぐ酔っぱらうのはおもしろい。若くてかわいらしいひとと飲むほどぺろんとやられる。お酒は、ひとまかせにまわるものかもしれない。
 バザーに出した。ひとにもあげた。それでもまだ、更衣のたんびに、もう着ないなという服があるのだから、去年とことしのこころは、まるで別人と思う。
 会いたいひとに会えて、会いたくないひとがいなくて穴があいてもまだ着たいセーターがあって、よい音楽は無尽蔵。いまは、きのうの秋月で、おなかもいっぱいのまま。
 指きりの約束を守れたら、師走がくる。
 ことしと来年なら、まるでちがうひとになっている。
 

 ことしと来年は、もっとちがうひとになっている。

(2015年10月 撮影:石井孝典)

 

『からだとはなす ことばとおどる』の連載は20回で終了いたしました。
書き下ろしを加え3月初旬に単行本として刊行いたします。

 

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