温又柔「台湾総統選挙を終えて」

 父は、思いだしたようにわたしと母に命じた。
「說中文!」
 ここから日本語で話すのはよそう、他のひとが聞いたらややこしいから……と中国語で続ける父に、それもそうね、と母が中国語で返事をする。わたしも、
「好、 爸爸(はい、パパ)」
 と答える。
 2016年1月16日、日曜。午前11時少し過ぎ。台北は雨の予報だったが、曇り空は明るく、ところどころ光が射す。両親とともに従弟が通った小学校にむかって歩いていると、「もう投票いってきたの?」「そうよ、小学校の二階よ」と挨拶を交わしあう地元のひとたちの声が聞こえる。中国語まじりの台湾語。母や父、わたしの家族たちとおなじ言葉だ。いや、わたしたちの場合、そこに日本語もまじる。
だから投票所である小学校の校門の前で、ふと思いたったように父は中国語でわたしたちに命じたのだった。
「ここからは中国語を喋りなさい」
 わたしは口をつぐむ。
 緊張が走る。前夜から続く緊張だ。「身分証」と印鑑、そして「選舉委員會投票通知單」を鞄からとりだす手がやや震える。係員が、私たちを投票会場の教室に案内する。行列の最後尾に父が先頭、母がわたしの後ろにつく形で並ぶ。教室の中では、複数の書類が並ぶ長い机の前に座った数人の職員が対応している。父に続き、職員のひとりに持参した「通知單」と印鑑をあずける。職員が机上の分厚い冊子をたどる。この地域の住民の名が掲載されている名簿のようだ。「通知單」と、名簿の名が符号する。職員がわたしのほうを見あげる。いよいよ投票用紙を手にするのだ。緊張が募る。印鑑と身分証と投票用紙をいっぺんに受け取ろうとしたら、
「慢慢來, 妳先把這個放在書包裡」
 緊張するわたしを気遣うような職員の口調を、あわてなくてもだいじょうぶだからね、という日本語に訳したくなる。
 いよいよ投票用紙を手に、教室の中に設置されたブースの中に入る。この日は、総統選挙であると同時に日本の国会議員にあたる立法委員の選挙でもあった。巻物のような長い用紙には、候補者たちの姓名と政党があらかじめ記されている。
 ……前日の出来事を思いだす。
 夕方、台北の路地を歩いているときだった。雨の降る中、太鼓の鳴る華やかな音が聞こえた。冠婚葬祭? あるいは台湾の伝統的な人形劇である布袋戯なのかと一瞬、想像した。しかし、お祭りではなかった。立法委員(国会議員)の候補者の街宣車だった。太鼓のリズムとともに数台の小型トラックがわたしの目の前に近づく。車に乗っているひとたちと目が合う。どのひとも、わたしにむかって手をふり、頭をさげる。日本語でいうなら「最後のお願いにきました」という言葉が拡声器越しに響く。
 こんな経験は、以前にいくらでもあった。子どもの頃からずっと暮らしている日本で、東京で。選挙があるたびに、頻繁に出くわす光景だった。いつからか、わたしは目を伏せるようになった。
 ――わたしに、声をかけても無駄だよ。
 ――わたしには、あなたを選ぶ資格はないから。
 目を伏せ、足早にその場から立ち去るわたしを、政治に社会に関心のないやつだと呆れるひともいただろう。傍から見たら、わたしは日本人そのものなのだから。いや、日本人のふりをして、応援するようなそぶりをみせてもよかったのかもしれない。そうしてみたこともあった。けれども、虚しさが残った。どうしたらいいのかわからない。選挙があるたびに、わたしは神経質になる。
 ――何故、わたしには選挙権がないの?
 「日本の政治に参加していいのは、日本人だけだ」と突きつけられるようで、いつも無性にさみしくなった。
 だから8年前のあのとき、自分の姓名が印字された「選舉委員會投票通知單」を父から手渡されたときは半信半疑だった。
 ――わたしにも選挙権があるの?
 父は可笑しそうに日本語でわたしに言った。
 ――ある。だって、きみは台湾の国民だもの。
 しかしその4年後、わたし宛の「選舉委員會投票通知單」は届かなかった。過去2年間、台湾に「帰国」していなかったからだ。
 それからまた4年が経つ。
 第14回中華民国総統・立法委員選挙前日の台北の路地で、候補者と支援者を乗せたトラックがよぎるとき、わたしは顔を伏せなかった。まっすぐ、かれらを見据えた。候補者の名と、かれを支持する政党の名を掲げた看板をおぼえようと目を凝らした。わたしにむかって、かれの支援者たちが微笑みを浮かべる。車が通り過ぎ、太鼓の音が遠のくまで動けなかった。動きたくなかった。わたしは、「有権者」として、ここにいるのだ、という実感を噛みしめていたかった。
 ……投票所のブースの中で、わたしは昨夜見たその候補者の姓名を見つける。かれは、国民党が擁立した候補者だった。
 母はごく朗らかな調子で、かれに投じると明言していた。
 逆に父は、自分がだれに、どの党に投じるのか、あえて私に語ろうとしなかった。
 ただ、わたしが「投票」のために帰国することを歓迎していた。その飛行機代すら、出してくれた。おそらく父は、わたしの自由を尊重しようと努めていたように思う。自分と同じ選択をするように強要しなかったし、そのようにして欲しいとほのめかす素振りもまったくなかった。
 ブースの中でひとりになったわたしは呼吸をととのえる。投票用紙に記入し、ブースから出る。投票箱に、自分の一票を投じる。
 廊下に出ると、先に投票を終えた父が晴れやかな表情でわたしを待っていた。わたしの肩をやさしく抱くと、
「おもしろかった?」
 周囲を憚ってか、小声の日本語でたずねる。
「妳去投票好玩嗎?」
 その夜、叔母にもおなじことを中国語で訊かれた。
 ――投票は「好玩」だった?
 「好玩」は、おもしろい、という意味の中国語である。けれどもわたしは、
 「很有意思(とても“有意思”だった)」
 とっさに言い直してしまう。
 「有意思」も、おもしろい、という意味の中国語で、遊びが楽しい、というニュアンスがある「好玩」に対し、興味深いという意味合いが強い。那很好、それはよかった、と返ってきた叔母の声は明るいままだった。
 蔡英文が現総統である馬英九と争った第13回中華民国総統・立法委員選挙が行なわれた4年前、わたしが投票はできないながらも、台湾の「選挙」の雰囲気をあじわうために「帰国」したことを、母の妹である叔母はよく知っていた。
 投票せずにすんだことに、どこか安堵していた前回とちがって、今回はついに権利を「行使」したのだ。おもしろくないはずがない、とたぶん皆、思っている。
 ……開票から一時間と経たずに、選挙の結果は明らかだった。
「圧勝、だね」
   思わずそう漏らしたわたしに、父が苦笑まじりで反応する。
「ざんぱい、だよ」
 一瞬、何語かわからなかった。数秒遅れて、「惨敗」という日本語が脳裏に浮かぶ。それきり口をつぐんだわたしに、父のほうもそれ以上何か言うことはなかった。
 ……与党である国民党の「惨敗」と、鮮やかな政権交代は、わたしには必然的なことに思えた。
 ある学生のことばがよみがえる。
 「私は台湾の民主主義とともに育ちました」
 2014年3月下旬、台湾人の友人がFacebookで紹介していた動画の一つで、ある女子学生がそう語っていた。
 その時期、台湾は「太陽花学連(ひまわり学生運動)」と呼ばれる大規模な学生運動の真っ最中だった。運動の発端は、馬英九総統率いる国民党が中国との間で結ぶ「貿易サービス協定」の承認をめぐる立法院での審議を強引に打ち切ったことだ。議会で多数を占める与党・国民党の「横暴」な仕打ちに、台湾の学生たちが「民主主義ではない」と声をあげた。そして、日本の国会議事堂にあたる立法院を占拠するという行動に出た。彼らの要求はこうだ。
 ――協定審議の前に監視条例を定めよ。
 立法院議長がそれを受け入れるまでの約24日間、学生たちは立法院を離れなかった。孫文の肖像が掲げられた立法院にいる学生たち。場内に掲げられた垂れ幕には「民主的台灣」という文字が佇む。そのような運動の最中、立法院を背後に、おそらく戒厳令解除のあとに生まれた若い学生は語る。
 ――私は台湾の民主主義とともに育ちました。台湾の民主は私たちの親の努力と犠牲でヨチヨチしながらも成長してきました。私たちは幸福です。我々が抵抗を続ければ、この国の未来はよいものになります……
 今回の台湾の選挙は、総統のみならず、立法院(国会議員)選挙でもあった。蔡英文率いる民進党が圧倒的多数の議席を獲得したことに加え、「太陽花学連」の流れを汲んだ「時代力量」が得た議席も少なくなかった。
  (台湾人の将来は台湾人が決める)。
  「圧勝」か、「惨敗」か。
 ……「貿易サービス協定」の一件がなければ、そして「太陽花学連」の際の学生たちが世界に示した「民主主義」に対する真摯な闘いに深く感動していなければ、わたしはひょっとしたら、「台商(中国を拠点の一つとして商売をする経済人)」である父や叔父と同じように、中国との関係を最優先する国民党を支持していたかもしれない。
 しかし、わたしがそうだったように、父もまた、わたしと話し込むのを敬遠しているように感じられた。だからわたしたち父娘はそれ以上、選挙の結果について語りあうことはなかった。早々とテレビを消して、ぜんぜん関係のないことを喋りあう。母の陽気さだけはいつもと変わらない。少なくともわたしにはそう感じられた。
 翌日の昼食の席で、「あたしたちの苗字、いまや世界でいちばん有名ね」と母がいたずらっぽく言うと、母の妹である叔母も笑いながらうなずいた。母の弟の妻にあたる叔母が「あたしはちがう」と悔しがる。台湾では夫婦別姓なのだ。
 わたしの母方の祖父の姓も、蔡、という。
 母と叔母たちは、わたしとはうってかわって選挙の話題をおそれない。
「でも、最近は投票しないひとも少なくないのよね」
「だからあたし、言ってやったの。うちの姪なんか、わざわざ日本から帰ってきて投票するのよって」
叔母たちの中国語は、母とおなじように台湾語を挟みながらくるくる廻る。母方の親族に囲まれながら、わたしはあいまいに笑う。隣にいる父のことが気になる。父は始終、心なしか上の空だった。食後のお茶を啜っているとき、ふと父とふたりになる。迷ったが、わたしは訊ねてみた。
「選挙の結果、仕事に影響ある?」
「?」
 きっと父の頭の中では日本語以外の言葉が渦巻いていたのだろう。中国語に切り替えようと思ったが、私はおなじ日本語をくりかえす。政権交代後、対中融和を主軸としていた国民党が与党でなくなれば、中国を舞台とした事業は低迷する可能性がある。事実、中華人民共和国外務省は、蔡英文率いる民進党の「独立志向」を牽制するように「台湾地区の選挙結果にかかわらず、大陸と台湾は一つの国家である国際認識に変化はない」という声明文を出している。
 父は軽く首をふり、わからない、とやはり日本語で言いながらわたしに笑ってみせる。
「大丈夫。どのような結果でも、ようすをみて、やるだけ」
 ずっと、こうやって父は生きてきた。
 1980年代、時代の勢いと波にのって伯父がたち上げた会社のために、異国の日本に赴任することになり幼かった私と母を呼び寄せ、東京に家を構えた。台湾の企業が中国に進出しはじめる1990年代後半に入ると、母に留守をまかせ、中国の各都市を忙しく渡り歩くようになった。今では、幼い孫娘に会うために東京に「帰って」くることを無上の喜びとしている……
 わたしに心配などされなくても、父は大丈夫であるはずだ。
 それに、台湾は、父たちだけのものではない。
 台湾には、父や叔父のような大陸との関係を重視する「台商」もいれば、国民党政権下で活発化した中国との自由貿易に追われて逼迫する中小企業や農家もある。四年前、煌びやかな繁華街で「馬英九欺騙我們(馬英九は我々をペテンにかける)」というプラカードをひっそりと掲げていた男性は、国民党のこの「惨敗」を喜んでいるだろうか。中国から台湾に渡り、根をおろしながら暮らしているひとびとやその子どもたちは、「台湾は中国ではない」という台湾人たちの主張をどのようにうけとめるのか。さらにいえば台湾には、インドネシアやベトナムなど東南アジアから移住したひとびとも少なくなく、「新移民」と呼ばれる彼らの存在は今後ますます大きくなっていくだろう。
 日本がそうであるように、いや日本以上に、台湾には、さまざまな「台湾人」がいる。
こんなあたりまえのことを叫びたくなるのは、自分もまた、「台湾人」のうちのひとりと思いたいからなのかもしれない。
 投票日の翌々日、東京に戻ると、台湾史上初となる女性総統の誕生と8年ぶりの政権交代、というニュースが日本でも大きく報道されていた。「蔡英文當選」と報じる号外を手に笑顔をみせる台湾のひとびとの写真が載る日本の新聞を見つめながら、台湾が自分から遠ざかるのを感じる。日本に帰ってきたとたん、自分も投票した、という実感が急に薄らぐのだ。そうかといって、日本人として、隣国のひとつである台湾のニュースを客観的に見ている、という心境になったというのでもない。
 日本と台湾の狭間で居場所がつかめないようなふしぎな疎外感を抱きながら、わたしはある動画を再生する。
 https://video.udn.com/news/407958
 昨年十二月、台湾第二の都市である高雄で催された「新移民」対象の決起集会で蔡英文が三つの公約を掲げたときのニュース映像だ。

 一、新移民が中華民国(台湾)国籍を取得する際の手続を簡素化する
 二、新移民の母国での学歴を台湾でも承認する
 三、新移民の子どもたちへの教育を拡充する

 この映像は、わたしが自分の一票を、彼女に投じようと決意した最大の決め手だった。
 ついに総統となった蔡英文が移民たちにむかって語った中国語に耳を傾けながらわたしは思う。
 ――いつか日本の総理大臣が、こんなことを言う日は来るのだろうか?
 その途端、「外国人」として台湾で暮らしているひとたちへのやみがたい羨望が疼く。
 ――說中文!
 選挙の日、投票所の入り口で聞いた父の声がよみがえる。
 父や母と同じ、台湾のパスポートを私は所持する。
 父や母とは異なる言語――日本語――で私は考える。
 日本語と台湾籍。「国語」と「国籍」。日本と台湾。ふたつの「国」に対する感情が波打つ。選挙の前日、台北の路地を歩いていたときに目にした中華民国の「国旗」を見つめたときのことを思いだす。子どものとき、台湾で青天白日満地紅旗と呼ばれるあの国旗を目にするたび、いつも「外国」にいる気分がした。そんな自分が、中華民国総統選挙で一票を投じたなんて。
 日本に帰ってきたとたん、わたしはうまれて初めて「投票」したという感動以上に、何か怒りにも近い激しい寂しさに襲われていた。心を落ち着けようと日記帳をひらくと、数日前の走り書きが目に入る。

 ――わたしは、この「国」では参政権がある。
 だからわたしは「国籍」を信じない。「国旗」は振らない。
 一票投じるのは、「民主主義」のためだ。

 日付は、2016年1月16日未明、になっている。人生初の「投票」を控えた緊張と高揚がありありとつたわる筆致だった。いつも、書くことで心を鎮めてきたと思う。「書く」ために、わたしは日本語に頼らざるをえない。そのことが、台湾の総統選挙を挟んだここ数日、ひどくもどかしく、無性にさみしい。
(了)

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