第1回 一人っ子政策と「黒孩子(ヘイハイツ)」

 人がこの世に生を享(う)けてまず行うのは、出生を届け出ることだ。無論、赤ん坊が自ら行うのではなく、親などが代行するわけだが、居住地の役所などで新生児の名前や住所などの情報を記録してもらう。人生はそこから始まる。そして、人の権利や義務のあり方は、どのような形で国民として、居住者として自らが登録されるかによって、変わってくる。これから四回にわたって執筆する本コラムでは、特有の戸籍制度をもつ中国の状況を紹介しながら、戸籍の抱える問題を普遍的な観点からも考えてみたい。
 中国の戸籍について考える時、私はまず、「黒孩子(ヘイハイツ)」(闇の子ども)を思い浮かべた。「人口計画出産法」の改正案が今年一月一日から施行され、一九七九年から続いてきた「一人っ子政策」が終了した。中国政府は二〇一〇年の国勢調査で、一三〇〇万人以上にのぼる戸籍のない「黒孩子」の存在を把握しており、「一人っ子政策」の終了に伴い、「黒孩子」に戸籍を与えると宣言した。
 計画出産に反して二人目の子ができた場合、多く産んだ分、社会に負担をかける費用として社会扶養費を払わなければならない。二四万元(約四二〇万円)の社会扶養費の支払いを拒否し、中国青年政治学院副教授の職を解かれた楊支柱(ヤンチチュウ)は、自分の子を含む「黒孩子」を「人間の形をしているペットで、豚にも犬にも劣る」と表現した(張伝聞「中国黒孩子与人口普査黒洞」『選挙与治理』二〇一〇年一〇月二七日)。楊の二人目の子どもは公的に自らの存在を証明できない。他の子どもと同じように学校に通うことも、病院で診察を受けることもできない。少なからぬ「黒孩子」が、児童労働や人身売買の標的になっている。
 「黒孩子」の戸籍登記を認めるというのは、中国政府が初めて打ち出した方針ではない。政府は国勢調査のたびに、計画出産に違反していても戸籍を登記できると広く呼びかけている。二〇一〇年四月、国家統計局局長の馬建堂(マチェンタン)は、社会扶養費の支払いの必要がある場合は最低の基準で徴収してもよいし、分割払いも認めると述べた。当然、国勢調査の事務局には問い合わせの電話が殺到したが、新聞社の取材に事務局の担当者は、戸籍登記の業務は担当していないと冷たくあしらったという(張伝文、前掲論文)。
 基本的な統計データさえ入手できないならば、長期的な視野から適切な政策が立てられず、国家の運営に支障を来す。戸籍のない人口の存在は、地下ビジネスや不法就労をはびこらせ、治安を悪化させる。
 一人っ子政策が廃止されたとはいえ、「人口計画出産法」改正前に産まれた子どもが戸籍を得るためには、原則として、親が社会扶養費を払い、公職を辞さなければならない。「黒孩子」に戸籍を与えることは、そう簡単ではない。しかしそもそも、何の罪も犯していない子どもを「黒孩子」にし、生まれながらにして十字架を背負わせてよいのか。
 中国の「国籍法」は、父母双方あるいはどちらかが中国公民であり、中国で出生した者は、中国の国籍を得られると明記している。「戸籍登記条例」は出生後一ヵ月以内に常住地で出生の登記を行うことを規定している。
 社会扶養費は固定額でなく、北京市の規定では所得の三倍から一〇倍と、地域によって異なる。実際にいくらとられるかは交渉次第だ。腐敗した役人は計画出産に関する権限を悪用し、私腹を肥やす。中国の計画出産のシステムは、間違いなく、人権侵害と政治腐敗、そして拝金主義を助長したのである。

◇あこ・ともこ=東京大学准教授。専門は社会学、中国研究。著書に『貧者を喰らう国』、石井知章・緒方康編著『中国リベラリズムの政治空間』(共著)、川島真編著『シリーズ日本の安全保障5 チャイナリスク』(共著)など。

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