第4回 ファッション・ショウの夜に起きた同時多発テロ


撮影:Lucien Lung

ビザ取得に向けて
 2015年6月頃から、僕はフランスで会社を立ち上げるため、またそのためのビザを取得するために、約一ヶ月に一回くらいのペースで、パリ-東京間を行ったり来たりしていた。
 特にビザに関してはかなり苦労した。どうしてこんなに手続きが煩雑で、時間がかかり、提出書類や必要事項が明確ではないのかまったく理解に苦しむ。
 フランス人の友達に聞いても”c’est la vie”(それが人生。しょうがないの意)とか”c’est la France”(それがフランスだよ)と言ってあきらめている。ビザにかかわらず、書類関係はフランス語を母国語とするフランス人にとっても煩雑で苦手な人が多い。
 我がBellevilleにはアルジェリアからフランスに渡ってきて、10年近く不法滞在した末、フランス人女性と結婚して、めでたくビザと人生の伴侶を同時に手にした強者もいるが、僕の参考にはならなさそうである。
 友達の中にはビザのために紙面上だけの結婚をしてもいいと言ってくれた人もいたが、これから会社を立ち上げ、フランスに根を下ろそうとしている初っ端からグレーな事をするというのも気が引けたので、それは最後の手段にとっておこうと決めた。こういう事例は検閲やチェックが厳しくなってきた今日では少なくはなってきているが、10年ほど前まではしばしば行なわれていたらしく、ただでさえ高いフランスの離婚率に少なからず貢献していたようだ。ただ初めはビザ目的で結婚したのに、今でも夫婦生活をおくり、遂には子供まで授かっている夫婦(僕の友人でもある)も知っているので一概には言えないが。ちなみにこういう結婚をフランス語で“marriage blanc”空白の結婚という。

パリのカフェでファッション・ショウ
 さてそんな時期の9月初旬頃のことだった。パリに戻ると時々行くカフェで友達とビールを飲んでいたら、この店のマスターが「確かデザイナーだったよね? うちのカフェでファッション・ショウをやらない?」と話しかけてきた。日程の希望は11月中旬とのことだったが、何か特別な意味があるわけではなく、ふとした思いつきのような感じに見えた。
 普段だったら特に問題なく引き受けるところだが、ビザ取得のために、またしばらくしたら日本に行かなければならず、圧倒的に時間が足りないように思えた。ただつくりためていた洋服もあるし、何より自分の好きなBellevilleのカフェでショウができるのは、とても魅力的だと考えた。少しの間、頭の中で使える時間を計算して、といってもアルコールが多少入った頭で計算しているので、とても正確なものとは言えないが。何とかなるだろうと踏んで、結局その場で承諾してしまった。
 本来であれば、二ヶ月後に迫ったショウに向けて、すぐにでも細かい打ち合わせや、詳細を決めにかからなければいけないのだが、そこはフランス人。日にちは11月13日とだけ決めて、その他のことはOn verra(直訳すると、“私たちは見るだろう”で、すぐ話し合うのが面倒なことや、少し難しい問題に直面した時によくフランス人が使う言葉。“後で考えましょう”とか“様子を見ましょう”の意)ということになり、その日はショウの成功に向けて乾杯をして終わった。
 またその後もバタバタとしてあっという間に日本に行かなければならない日が来てしまい、ほとんど話し合いが出来ないまま、こちらの意向と要望だけを伝えただけになってしまった。僕が戻ってくる頃には、もうショウまで一ヶ月と少ししか時間がないので、かなり不安ではあったが、「お前がいない間にもちゃんと進めておくから」と素敵な笑顔で断言してくれた。マスターの、その言葉を三分の一くらい信じて日本へ旅立った。
 さて、日本での用事を終えてパリに戻ってきてみると、信じていた三分の一くらいはなんとか進んでいた。こういう時は三分の一くらい信用しておくと、がっかりせずにすむ。フランスに住んでからイライラしたり、気落ちしないために学んだことの一つだ。
 ショウをやること自体を思いつきで始めているため、こちらの希望と会場側の対応がかみ合わないことは多々あった。例えば、モデルはマスターが見つけてくると言っていたので、任せていた。だいたいファッション・ショウのモデルは身長175cm以上で服のサイズは36号というのが基準となっているのだが、165cmの女性を連れてきて、「ヒールを履かせて何とかならないか」と言ったり、ショウの時間は1時間くらいにしてほしいと言ったり(通常パリコレなどの大きなショウでも時間は5〜10分くらい)、閉口させられることも多かった。
 また、ファッション・ショウというものにステレオタイプなイメージを持っているらしく、「シャンパンはちゃんと用意するから」とか、「赤い絨毯は用意したほうがいいのか?」とか、少しずれた方向に気合が入っていた。
 まあしかし、なんとか少しずつ詳細が決まっていき、ようやく形になりそうだった。そうなってくると、つくりためていた服と、すでに発表している服で間に合わせようとしていた気持ちが段々と変化し、新しいものをつくろうというモチベーションが高まってきてしまった。会社のことや、アトリエのことなど他にやるべきことも多かったため、時間はかなり限られていたが、基本にあるコレクションのテーマが東欧だったので、そのラインに一つ二つと足していき、またカフェという会場に映える服も考えながらつくっていき、結局は10体のうち4体は新しいピースでショウが形成された。
 毎度のことだが、睡眠時間をかなり削って仕上げた。ショウは夜だったので、当日ギリギリまで作業をしていた。一睡もせずに当日の朝6時にショウに使う靴にペイントしていたので、完全に時間の計算はあってないが、その甲斐もあって、初めてパリのカフェで行なったショウは成功だった。
 当日は古くからの友達はもちろん、ファッション関係の友達や、間違いなくファッション・ショウに一生縁のなさそうな、近所の飲み仲間のおじさん達など、雑多なBellevilleを象徴するようなさまざまな人たちが来てくれた。カフェの人や手伝ってくれたすべての友達に感謝したい。


©Lucien Lung

町の人々の表情が変化
 このショウの話をする時にどうしても触れなければいけないことがある。
 11月13日と聞いてピンときた人もいると思うが、ショウの日の夜に、戦後最大級となる同時多発テロがパリで起きた。ちょうどショウが終わって15分後のことだった。パリ郊外のスタッド・ド・フランスで爆発があったという第一報が入り、みな騒然となり、第二報が入った時にはもう店のシャッターを閉めて外には出られない状態になっていた。そのカフェから1kmと離れていないカフェとレストランでも襲撃が起きたのだ。
 その後は何分かおきに続報が入り、みんな友達や家族の安否の確認に慌ただしく、もうショウの余韻も素晴らしかった雰囲気もすべて壊れてしまった。ただ多くの友達と一緒にいられたことには安心感があった。ほぼすべての友達の安否を確認できたが(中には一番被害が大きかったバタクラン劇場にコンサートを見に行っていた友達もいた)、その夜は結局夜中の2時までそのカフェにこもり、その後帰れなくなった友達を家に泊めた。ショウの準備で疲れはピークだったが、それよりも自分の活動区域でこのような大規模なテロが起きたことのほうが疲労感を増大させた。
 テロが起きたほとんどの施設には一度は出入りをしているし、バタクラン劇場にはロックやエレクトロのコンサートをよく聴きに行っていた。Bellevilleとはまた違った雑多さだが、付近のバーやカフェには若者が多く、どちらかというとリベラルな人が多い地域だった。同年の1月に起きたCharlie Hebdo(シャルリー・エブド)襲撃事件とは違い、宗教やイデオロギー関係が希薄な場所で起きた事に大きな衝撃を受けた。
 まだすべての真相が明らかになったわけではないので、詳しい言及は避けるが、今日もヨーロッパはテロの脅威に怯え、逆に有志連合国による建前上はISILに対する限定的な空爆(市民を殺さない「限定的な空爆」を僕は知らない)も続いている。
 心に強く残っているのは、少なくない僕のフランス人の友達の皆が、テロは許せないが、フランスは空爆をやめるべき、空爆もテロも変わらないと言っていたこと。また安易な排外主義や国粋主義に走らず冷静に物事を見ていることだ。無論、フランス全体では移民排斥を訴える極右政党Front National(国民戦線)が過去最大の支持率を取っているのも事実だが、周りにはヒューマニストで賢明な友達が多いことを誇りに思う。
 自分の生活環境では、テロの後も普通に生活していかなければならないので大きな変化はないが、心の中では言いようのない閉塞感や、テロとの戦いという出口の見えない霧の中に迷い込んでいる停滞感や絶望感を皆が感じていた。印象的だったのは、11月のテロの後はどこか人々の表情が暗いような気がしたことだ。パトカーの音や消防車の音に敏感になったり、誰かが走っていると、つい見てしまったりした。
 初めてパリのカフェで行なったショウの日が悲しい日と重なってしまったが、今まで以上に平和や差別について考えるようになった。アートをする以上、いや人間である以上、あらゆる人種、宗教、ジェンダーによる差別と戦争がなくなり、本当の意味での平和が訪れるように考えるべきだと思う。
 ファッションを通しても通さなくても少しでもそういう世界の実現に自分の役割を見つけていきたい。


©Lucien Lung                                                      

[執筆者プロフィール]
宮白羊(みや はくよう)
1983年 東京生まれ
ファションデザイナー
パリの服飾専門学校Atelier Chardon Savardを卒業後、創作活動を始める。
モスクワ、カサブランカのファッションウィークに参加
2016年自身のブランドMOUTON BLANC(ムートン・ブラン)をパリで立ち上げる。
公式ホームページ http://ashmiya.com/

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